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終末に珈琲を飲む  作者: 終乃スェーシャ(N号)
三章:壊れてしまったものは美しく
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ヴィの達観

 濾過機能が停止し、緑色になった生け簀と、得体の知れない軟体動物を横目に、慣れた道のりを移動していく。


「ここは酷い臭いね。海を、嫌な方向に圧縮した感じがするわ? 方向感覚がおかしくなってくる」


「異界侵食を受けた場所を再現して、そこで飼育可能な食料の試験だったか」


 ジンはあまり匂いとやらは感じ取れなかった。精々、鼻につく程度の磯臭さが滲むだけだ。


「よく平然としてられるわね? 道も迷いがないみたいだし」


「このあたりに住んでたんだ。部屋は幸いお前にぶち抜かれてないし、よかったら寄ってもいいか? 二人ほど合流したいやつがいてな」


「ワタシに拒否する権利なんてないわ? それに、ジン・ジェスターを知れる機会だと思うし……」


 声が僅かに萎んでいったことにジンは気づけなかった。


 藻に満ちた区画を過ぎていくと、垂れ下がる昇降機を足場に、無数のパイプとケーブルが張り巡る細い通路裏を潜り、やがて小さな部屋に着いた。


 頭をぶつけないように屈みながら扉を開けると、ガスと機械油の混ざった臭いが漂ってくる。


 足の踏み場に困る程度には散らかっていた。崩落した区画よりマシだが、大差はない。稼働音を低く響かせる無数の機械がそこら中でひしめき、金属断片や得体の知れないガラクタが無数の空き缶と飲料ボトルと共に塔を積み上げるように重なっていた。


「ジン! もどってきたんすね! よかったぁ……! ふへ、吸っていいすか? ダメって言っても吸うけどぉ……!」


 あどけないような、脱力したような。しかし歓喜に満ちた声が、がちゃがちゃとガラクタをなぎ倒す騒音と共に響く。


 だぼついた衣服、寝癖を放置してくしゃくしゃになった黒い髪。機械油と薬品臭を漂わせながら、ヴィコラ・ミコトコヤネは勢いのままにジンに飛びつき、ぎゅっと抱き締めた。


「嗚呼、戻ったぞ。心配させたみたいだな」


 ジンは表情を引き攣らせていたが、ため息を着くと共に脱力し、少女の小さな背を撫でた。ヴィコラは顔を埋めるようにジンに額を押し付け俯く。


 メリアは息を殺すように沈黙したまま、入ることもできない空間をただジッと眺めることしかできなかった。静かに、服をぎゅっと握り締める。


 ジンは気付く様子もなく、造られたヴィコラの気が済むまで彼女の背を擦っていたが、抱き締める腕の力が緩むのに合わせて口を開いた。


「……アメウズメ弐式と四式の修理を替えを貰いたい。それと、ここを移動する。ヴィコラもだ」


 ヴィコラはほんの一瞬、目を見開いたがすぐに達観するように薄く微笑んだ。ジン・ジェスターの言うヴィコラが自分のことじゃないことを、念押しするように理解させられる。


「了解っす。ただ荷物の準備をさせてほしいのと……そのすっごく綺麗な女の子は誰なんすか?」


 翠と蒼の眼差しが互いに見つめ合う。気まずいように、ヴィコラはゆっくりとジンに抱きつくのをやめて、むふんと小さく鼻息を鳴らした。


 対してメリアはジンの背に隠れるように小さな歩幅で彼に歩み寄っていく。


「ワタシはメリア・イクリビタ・プロトアルファっていう名前で――」


「彼女は地の底で拾った」


 メリアの言葉を遮るように、ジンは淡々と僅かな事実のみを明らかにした。だが、それだけで十分過ぎる。


 ヴィコラは瞬時に、メリアが全てを破壊した存在だと理解すると同時、理解できずに硬直した。青ざめるでもなく、ジン・ジェスターに対する疑心が湧き上がり、酷く頬が引き攣った。


「…………なんで、仲良くなってるんすか。わたしのことは名前さえ呼んでくれないのに」


 吐き捨てられた不満。メリアへの忌避ではない。小さな胸のうちにはとても収まりきらない嫉妬が、表情を曇らせ、鋭い刃となって二人を突き刺す。


 メリアは何も答えられなかった。


 ――名前さえ呼んでくれない? なら、あの信頼し合った抱擁はなに? 二人の間には張り詰めた緊張も、入る余地さえないのに。


 そんなことを問い詰める資格が無いことは分かりきっていたから。ジンが何かを言うまで黙り続けた。


「協力してるんだよ。彼女、不老不死の呪いとやらで自分が傷ついたり、飢えたりすると肉体の損傷を全部他に押し付けて、再生しちまうんだと。それが嫌で無くしたいらしいから、手がかりのために地上に向かってる」


「不老不死を、無くす」


 ヴィコラは言葉を反復した。滲む汗を袖で拭い、力無く微笑む。


「……そうしないと先に進めないんすか? 先に進まなきゃダメなんすか? 無駄死にがあったら、ダメなんすか?」


 ジン・ジェスターは頷いた。穏やかに、達観した笑みを向け返すと部屋の奥の戸を開けていく。静かな駆動音が溢れていくと、一台の冷凍睡眠クライオニクス装置缶が佇むように置かれていた。


「ッ――」


 メリアは息を呑んだ。ぎゅっと、誤魔化すように強く握りしめた槍が、共鳴し震える。


「ぜんぶわすれて、わたしと一緒に、安全じゃないかもしれないけど、どこかで小さな楽しみを探して言ったらダメなんすか?」


 ヴィコラと何ひとつ変わらない別人が、ヴィコラの言葉を紡ぐ。怠惰で、蕩けるような声が余裕なく上擦っている。必死に止めようとしてくれている。


「わたし、色々知ってるっすよ? 大穴から入ってくる月明かりの下で、珈琲の匂いがするなか口元を濡らしたお酒が凄く美味しいとか、何もすることがなくて、ただ薄汚い部屋で一緒にいるだけで心が、すごく、助けられて……」


 ジンは仕事のために使う仮面を深く顔に押し付け、全てを押し殺した。今すぐにでも抱き締めたい弱りきった想いをひけらかすことなどできなかった。


 メリア・イクリビタを許すことはできなかった。


「今からでも忘れちゃダメなんすか? 私は誰と一緒でもいい。どんなジン・ジェスターでもいい。ジンが、わたしの色が一緒にいてくれるなら。私はなんだって捧げられる。この身体が偽物で、身に纏う皮が違ったとしても、ヴィコラ・ミコトコヤネはヴィコラ・ミコトコヤネなんすよ……!?」


 ヴィコラは叫んだ。顔を真っ赤にしながら、ただ真っ直ぐに見据える。翡翠の双眸、力強い瞳の光輝。直視できずにジンは目を逸した。


「それは違う。全く同じなんてことはありえない。ヴィ、君は君だ。別人なんだ。ヴィ、君には助けられて、大切な人だ。だが、……同じじゃないんだ」


 ヴィコラ・ミコトコヤネの冷凍睡眠装置をしまおうと、空間を切り裂いた。亀裂が走り、底の見えない異空が開いていく。


「た、大切っすか。た、……えへ。それでも…………私は一番にはなれないっすか? 答えなくていいっす。敗けたくないから」


 ぺちんと、ヴィコラは小さな手で自身の頬を叩いた。弱々しい声色は消え、達観と気だるげさが入り混じって伸びる。


「……はぁ。しょうがないっすね。地獄でもどこでも行くっすよ。メリアちゃんっすか。色々難しいことがあるかもしれないっすけど……とりあえず。地獄の前にお風呂、入らないっすか?」


 造られたヴィコラがメリアへと手を差し伸べる。メリアはピタリと静止し、不安げにジンを見上げた。

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