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終末に珈琲を飲む  作者: 終乃スェーシャ(N号)
三章:壊れてしまったものは美しく
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他人の光

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 快調に登れる範囲は長くなかった。フロアごと崩落し、斜め掛かった区画は早々なく、手も足も届かない高さに足を着ける場所があったならば迂回する他なかった。


 地上は依然として遠い。それどころか地の底で見上げたときよりも空は遠く高くにあるように見えた。見え方が歪んでいるのだろう。


 それなりにあるき続けたのか、晴天は消え、灰色の雲を透かすように薄っすらと朱色掛かっていた。じきに暮れるだろう。


 幸い、この辺りは壊れてしまう前も後も、それなりの時間いたことがあるため、行き止まりにぶち当たることはなかった。


 区画にあるのはおかしくなった海や紅い地を再現したビオトープと、便利屋などの外部の人間を住まわせるための狭苦しい居住区だ。


 その影響か、他の区画よりも一層、死体の痕が多く残っていた。とは言え腐臭はなく、残っているのは骨と、彼らの衣服だけだ。


「……これもワタシが殺したのでしょうか」


「まぁ結果的にはそうだな。けどこんなものはある種のバタフライエフェクトさ。まぁ、羽ばたきの隣で竜巻が起きただけだな。それでも直接的じゃない」


 メリアの周囲をゆらゆらと舞っていく蝶を一瞥した。青い羽根は蛍光し、瞬いている。


「ワタシが取り返しのつかないことをしたのは分かってる。けど……他にいい方法はあったと思う? テンルの仲間や、この人達が死なないような方法が」


「……ないんじゃないか? 皆が無事なら犠牲になるのはメリア・イクリビタだったって話だろ。悪い、良いの話じゃない。何度も言うけどな? 今メリアにできることは彼らを無駄死ににさせないことだ。自由になるしかない」


 目的のために犠牲を強いたのに、その目的さえ叶えられなかったら、あんまりだ。酷い殺人者でしかない。


 ジンは自嘲した。メリアは初めて会ったときよりも聡く敏感に、笑顔の裏に張り付いた陰鬱さを感じ取って、表情を曇らせる。


「後悔してもどうにもならないだろ? 自由になってしたいことでも考えるのはどうだ? 皮算用でもウジウジするよりよっぽど有意義だからな」


 【錆染】に言われた言葉を横流しするようにメリアへ向けて言った。自分でも実行したことさえないのに。


「色々考えてるわ? 端末でも紙でもあれば沢山書けそうなぐらいにね? ……まず、海を見て、日の出と日の入りを見て……この辺はきっとすぐに叶うのかしら」


 ジンは何も応えなかった。余計な茶々を入れようともしたが、言葉に詰まる。


 メリア・イクリビタのしたいことはなんら特別でもないことだった。だというのに、不快感が滲むぐらい言葉に光が満ちているように思えて、ただ表情を苦く曇らせることしかできなかった。


「……ッ、もうちょっと色々望んでみたらどうだ?」


メリア・イクリビタは自分には出来ないことをして見せた。期待、そうだ。期待の光だ。言葉に滲む眩さを理解して、頭が眩んだ。


「望むにも何があるかわからないから。……ここよりも外のほうがいろんな食べ物はあるのかしら」


「まぁ、あるにはあるな。特に珈琲がいい。っても合成粉と香料で作ったパチもんだけど、だから味はいくらでも工夫できてな。お前の嫌いな苦味を全部無くすことだってできる」


 話の所為で味を思い出したのかメリアは呻くように歯を軋ませて睨む。


「へぇ? それが本当ならまた一度だけ試してみたいかも。あの匂い、匂いは好きだったわ? 味はもう……毒物を舐めた気分だったけど」


 花が咲いたような微笑み。儚い蝶の瞬きが共鳴するようにゆらりと光の尾を曵いて舞う。テンルによって曝け出された憎悪と、悲劇を目の当たりにしながらも、決して押し潰される様子はなかった。


「たのしそうだな。その、初めて会ったときよりも」


「ジン・ジェスター。貴方のおかげかもしれないわ? 貴方の言葉がワタシを歩かせてくれた。それに、ワタシが居た場所は最下層でしょう? そこ以上に落っこちようがないんだから。歩いて行くしかないじゃない?」


 でも今はもう最下層じゃない。


 喉から出かかった言葉が寸で留まる。意地悪な言葉を口にする理由はないだろう。……必要以上に優しくする理由も、本性を吐露して苦痛と罪悪の意識に苛まれる必要性もないはずだったが。


 ふと、脳裏に浮かんだメリアへの言葉を、何も言わずに呑み込むにはあまりにも息苦しかった。


 ジンは自分自身に呆れるように透かした笑みを向けて、なんてことも思っていないフリをした。


「俺は……、望んでみたらどうだ、だとか。ウジウジするより有意義だとか。とやかく言っても自分では全く考えられないからな。そうやって輝いているのを見れるのは……悪い気分じゃないよ。光を見てる気分だ。羨ましい」


「いままで、ずっとどん底だったから。少なくとも今日は絶対に、今までのワタシより良い日が来るわ? 意味もなく実験体同士で殺し喰らうことも、数分を数千年にも拡張して精神の耐久度を無意味に試験することもない」


「はッ、追手が来ることは分かってるのに楽観的だな」


 崩れかかった通路を淡々と歩き進み続けた。


 足を止めることはなく、道を覆う無数の蔓を切り払って行く。どうやら、施設中に広がった植物も、この階層にあったビオトープから伸びてきたものらしい。


「楽観……なのかしら。でも貴方が言ったんじゃない? ウジウジするより、よっぽど有意義だって。それに、自分の置かれた状況さえ理解できないままは嫌だったから。今こうして、貴方と歩けているだけでも凄く楽しいわ?」


 段々と、メリアは歩みを遅くしてやがて立ち止まった。どうしたのかと、ジンが振り向くのを待つように、真摯な眼差しだけをジトリと向けていた。


「どうしたんだ? 改まるみたいに。まだゴールは遠いぞ」


 どうしたもこうしたもない。自分から始めた会話だったのに、何事もなかったかのように有耶無耶にして誤魔化そうとした。


「ワタシは、他人の希望を、他人の光を自分の目指す場所だと思っていたの。けど今は違う。自分のしたいことがわかる。自由になって、その先に何がしたいかを考えられるようになったのはジンのおかげだから。……ジンは自分を卑下するよりもずっと…………ごめんなさい。言葉がでてこない」


 思い悩み、弱々しく呻いた。口にしたい想いを言語化できずに、むず痒いようにメリアは髪をくしゃくしゃと掻いていく。


「悪いことを言いたいわけじゃないの。ただ、貴方といると。変われる気がして……。とにかく、良いことを言いたいんだけど。何も浮かばなかった。ごめん」


「変われる気か……。期待してくれるのはいいが、俺にそんな力はないぞ結局どこでも、誰が相手でも。誰かが誰かを犠牲にしなきゃいけないことは変えられない。俺一人でどうにかできることじゃない」


 何も変えることができなくても、望む光があれば彼女のように、何かに期待できるのだろう。だがもう、期待をするほど苦しくなるだけだ。


 脳裏に過る冷凍睡眠クライオニクス装置缶。……教会では嫌な物を見た。思い出すと、どうしようもなく目眩がして数秒、目を閉じた。


「……貴方がウジウジせず皮算用をしろって言ったんだから協力してくれてもいいんじゃないの?」


「それもそうだな。悪い。……楽しみか。まぁ、地上に出たら珈琲の一杯でも飲みたいな。外の空気を吸いながら、全てを終わらせたあとに煙草が吸いたい」


「ならワタシはそれを実行する貴方を見ていたいわ? 少しは、何かが変わったかを聞いてあげる。これも、自由になったらしたいことね?」


 叶わない願いだ。


 ジンは開いた口を必死につぐむ。


 苦痛が胸を刺すばかりだった。光がまばゆいほど影が濃く晒されていく。


 やがて、鬱蒼と茂った部屋を抜け出た。

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