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一人目…(十一)【祈追の午前四時】

 ◆◆◆




 ――淀んだものを流し、誰か(わたし)居る(いた)

水中(ここ)外方(そと)水面(きょうかい)先に(むこう)。私は誰か(イツキ)に訴える。


『……すてないで――』


 身勝手に自分の外領に流し捨てたもの。

それが懇願(こんがん)した。哀憫(あいびん)と共に……だったか。


 ……捨てられ、祈りと繋がったから。

じきに彼女(わたし)と自分は違う存在となってゆく。

 悲しくて、哀しくて、せめて嘆いた。

 私は勝手な都合で、心の安寧の為に切り捨てられ流されたから。ある意味で生贄のようなもの。嘆きが重なり因縁と繋がってしまったんだろう。水底で童女達(みんな)の内に迎え入れられ、一人一人の記憶だろうものが流れ込んでくるのだ――。


 忌まわしい物語(かこ)。童女達の嘆き。

すべてを教えられ、蒼糸で繋げられた。


 ずっと観ていたんだって。ずっと。

 彼女(わたし)の姿を。彼女(わたし)前の彼女(おかあさん)のことも。

 その前も。その前も。その前からもずっと


 ずっと見ていたんだって。廃忘(はいもう)され、祈りが追われなくなってからもずっと。その事に理由なんてものを抱ける情緒は失っているらしく。止めようと考える頭は朽ち果てて。感情も捧げさせられ、個としての思考も趣意も無い。継ぎ接ぎの群体。

 そのように負わされ、そのように繋げられ、そのように織られたから。だから、ずっとずっと視ていくだけの存在。これからもそれは続けるようだ。自分達(わたし)の祈りを追うべき血の脈(わたし)が途絶える時まで、ずっと静かに安らかに――。


 皆が皆『もう誰も、祈りを負わないで』そう願っていた。とっくに感情も無いのに。現在(いま)彼女(わたし)は、自分達(わたし)と違い、(すこ)やかに過ごすべきだと。繋がりを通して伝わってくる。本当に魂というものがあるならそれで願い続けている。水牢のような祈りの中で『願い』なんて泡沫(うたかた)の夢でも――。


 蛇骸(カミサマ)の沈むとされた(つみ)水牢(るつぼ)。土埃で濁っていた水が、長い静穏を経て清澄な流れを取り戻すように。血の途絶えを待たずに、いずれ祈追は薄くなって消えるのだろう。もうそれほど曖昧な存在。

 でも溶ける。融ける。解ける。本望らしい。

 それが解放だ。忌まわしい役責からの解放。いずれ結ばれていた身がほどける。ほつれる。結べず結ばず形を崩す。それでいい。それがいいって。


 揺蕩(たゆた)い、蜷局(とぐろ)を巻いて(しず)んで行く。

繋がった私も一緒に。彼女(わたし)の欠片を抱いて。


『……もう、すてないでね――』


 やめたほうがいいと無言の注意。

 いつか彼女(わたし)は気付けるだろうか。

 私は私でなくなる。さようなら。

私は彼女(わたし)に、お別れの言葉を送る。

 彼女(わたし)自分達(わたし)の視線が交差して、

彼女(わたし)は不思議そうな顔を向けていた。


 ……だけどその時、彼女(わたし)に突然の不幸が襲う。

 定めだったのかもしれない。偶然といえばそれだけの必然ともいえる不幸。あるいは祈追(わたし)達一人一人が遠い昔に(もら)した遺恨(だんまつま)。あるいは彼女(わたし)自身の弱さが招いた些細な罪重(つみかさ)ね。その清算、負責か。


 気付けない。彼女(わたし)のその身に、彼女(わたし)の死角から、彼女(わたし)を襲う蛇行し走る車(ふこうなできごと)が迫っているのだと。

『危ない』と。自分達(わたし)は、私は、彼女(わたし)へと叫びをあげていた。届く筈も無いのに――。


 ドスンッ、彼女(わたし)を襲う衝撃。

 空中へと放られた彼女(わたし)の身体。

 水面に落ちて、水飛沫を上げた彼女(わたし)


 口から大粒の気泡を立ちのぼらせ、苦しみから逃れるために必死にもがき、手を伸ばす彼女(わたし)

 彼女(わたし)は全身を強く打ち、まともに動けなくて。

 間も無く、彼女(わたし)事切(ことき)れた。あっけない幕切れ。祈追が途絶え。全てが突然に終わった。


 ――不意に水底へ身を捧げた溢姫(わたし)

それで彼女も童女達の一人(わたし)と成った。おしまい。

 それでおしまい。めでたし、めでたしぃ?


 そんなわけがない。彼女(わたし)はまだ間に合う。半死半生の狭間。間に合わせられる。ならどうする。


 定められた手順を踏まずに私と彼女(わたし)加わ(まざ)ったことにより、私と彼女(わたしたち)の自由意思や感情を利用して、蛇骸内に自我のようなものが編まれた。

 だから私を最後の結び目とし、童女(わたし)達は一繋がりの歪な水神(カケミズチ)として結び付く。でも初めて形を成すも、歪な身体は端から崩れ落ちる。『祈追(キツイ)』として縛られていた繋がりは薄れて、すぐに泡沫(ほうまつ)と消える定めを悟る。ならせめて消える前に意味を遺そうと。勝手に負わされた祈りではなく自分達の『願い』を(つむ)いだ――。


 どうか、彼女(わたし)は『生きて』と――。


 ――なのに、彼女(わたし)はそれを『拒絶』した。

違う。違う。違うのに。生死の狭間で、中途半端に引き裂けて、遠く離れて行ってしまった……。


 亀裂と欠如、広がる溝。残された時間。

早くしないと。片割れ(なくしもの)を取り戻さないと。間に合ううちに。だから自分達(わたし)は『我を忘れ』てしまうほど必死に。必死に……追ったのに。追ったんだ。なのに。ダメだったんだっけ。なんで? どうして……? えぇと、それで? ……ダメ、もうわからない。何もわからないよ……。あアア゛ッ!


 空っぽの頭で覚えていられたこと。ただ一つのそれは『このままではいけない』こと。なのに身体が動かない。抑え縛られ、自由を奪われていて。


 みしみし、ばきばき。

 ずるずる、ばたばた。

 ぼきぼき、ぱたぱた。


 なんとかして逃れようと暴れる。

どんなになっても、取り戻すために。

取り戻して、自分達の祈望を紡ぐために。


「――落ち着いて」


 ……ふと、誰かが頭蓋(あたま)を撫でてくれた。


 黒い折り鶴が、水面の先を飛んでいて――。

折り鶴は羽休めをするよう女性の肩に止まり、見知らぬ女性は頭蓋を撫でたまま語り出す。


「――キミが、いや……違うな。

キミも、本当のキミだったんだね……?

盗み見は謝るよ。でも緊急事態ということで」


「僕の懸念、違和感、疑問点……。

欠如蛟(カケミズチ)伝説、人身御供(ひとみごくう)祈追(キツイ)という血筋。不可解な状況、言動の不安感、半身が異形となっていた身体。ヌイナのメモに。盗み見させてもらった嘆きと妄執の情景。総括すると、なるほどだ」


「……聞いて。端的にまとめるから。

キミは現代に忌譚を再現してしまったんだよ。その血筋で水底に身を捧げ、物語と同じ流れを汲み、忌譚(カケミズチ)そのものに変貌(へんぼう)してね。加えて、半身(なくしもの)を求め暴れるキミを放置してしまうと、キミの身は崩れ、溶けて消える(さだ)めとだと推測する」


「前提として。忌譚の再現なら、欠如蛟(キミ)からは童女(じぶん)に追い付けないし。それで近付こうとするほどに、時間が経つほどに自裁(じさい)し壊れていく。最後には欠如蛟(キミ)が失われ、物語でそうだったよう土地に凶事がもたらされるかも。まさしく現実を冒す忌譚(やくさい)といったものだ」


「わかったよ。キミが崩れないよう、ヌイナはキミを縛り上げている。また悪い影響が広がらないようにキミの溢す呪詛の受け皿にもなっている。猶予とはキミとヌイナの限界だったんだ。そんな状態で動けなくなったヌイナは、その後を僕に委ねたという経緯なんだろうね。……さて」


「これは、すごく荒療治かもしれない……。

心から酷なことだと思う。けどそれでも送るよ、僕の役目だから。ここまで導く。それがキミの助けになると信じて。分かたれた忌譚を使い、辿っているキミの半身と今の部分を繋げておくから」


「うん。ははっ……はぁ、疲れたな……。

僕が直接できることは、ここまでだろうね――」




 ◆◆◆




 ――画面(むいしき)(のこ)った残影(きおく)煽ってい(よみがえ)る。

理解を拒むしかない。頭が割れそうに痛い。

身体が激しく震える。なんだこの画面って。


「…………」


 画面、そうか『画面』なんだと認識すると、それは古いブラウン管のテレビの画面だった。

 それは無意味なもの(コマーシャル)だ。だから気にしない。

 テレビの画面以外は暗闇の空間。ぼやけた頭でフラつくと、蛍光灯の点く音がして周囲が薄暗めに照らされる。自分(イツキ)の居た場所は、最低限の照明しかない窓もない狭い病室らしき所で。母親との思い出の中で、心に焼き付いた一室によく似ていた。


「……お母さん」


 部屋の様子が、画面と共に自分(イツキ)を責め立てる。


「……約束した……のに」


 意識せず口から溢れる、弱々しい言葉。

布団が畳まれた中央のベッドに腰掛けて吐息。


「――あぅ!」


 バキッと音がして、正面のテレビに亀裂。

驚いて身を(すく)めたけれど。何もなくて沈黙。

沈黙しどれだけ待っても何も起きやしない。


「なん、でぇ……?」


 たとえば、画面から長髪の怨霊(オバケ)()って出て来てしまい。そうして自分は怨霊に襲われ、変わり果てた姿で見付かりましたとか。大嫌いなホラーな流れを想像。でも想像してしまった怖い状況には発展しないらしい。それが……残念だ。残念。ねぇ『なんでそうならなかったの?』『そうなってしまえば良かったのに』頭の中で淀んだ自分が(ささや)く。


「…………ぅ」


 指で画面の亀裂をなぞると、胸が痛む。

 亀裂の鋭利な部分で指を切ってしまったが、自分を傷付けることには慣れていた。渦巻く感情がどうしようもならなくなった時は、胸の痛みを和らげる為、渦巻いて淀んだ自分を切り捨てる為に、自分自身の手首(からだ)に刃物を当てるから。普段(いつも)のこと。

 ふとした拍子にでも悲しくなる。わぁんと泣き出したくなる。自分の弱さは、母親と約束した頃から何も進歩してはいないと思い知る。それどころか日々後退し続けていて。毎日の帰り道、人通りが少ない古民家の並ぶ道で、下を流れる用水路に映る何人の自分に別れを告げたかも覚えていない。


「ぅ……ぅっ、ぐすっ」


 白状する。溢姫(わたし)は自分が嫌いだ。

見捨てたい。逃げ出したい。強くなんてない。泣き出したい。苦しい。寂しい。世界のどこからも居なくなってしまいたい。もうとっくに自分を見失っている。ここはどこなの? 自分は誰なの?


「あ……あぁぅ、嫌ぁ、嫌だァ!」


 感情が抑えられない。人のことを嘲るように砂嵐とノイズを放つ画面を壊してしまえば、そこに反射して映る自分(バケモノ)の歪んだ醜い顔ごと完全に叩き割ってしまえば、全て全て楽になるだろうか。


「ぅあ……。ああ……ッ、嫌だ。溢姫は!

溢姫はァ! 大ッ嫌いです。自分なんてェ!!」


 髪をぐしゃぐしゃにして、大声で叫ぶ。

泣き喚いてテレビの乗っている台を叩く。


「――うわァァんッ!! アアアッ゛!!」


 置いてあった枯花の瓶を投げつける。

台から音を立て、テレビが転がり落ちた。


「あぁアアアッ……ああ……ああぅっ」


 やってしまったと後悔し、顔を覆う。

 膝を折って、愚かな自分を拒絶する。


「ぁ…………」


 すべてを悲観しかけたが、


『落ち着いて深呼吸をしてね……。

心を強く持って、逃げずに自覚して欲しい』


「ひっぐ。ぐっぅ、ヌゅイナ……さん?」


 ノイズの中でも安心する優しく柔らかな声。

テレビは転がり落ち、画面が下に隠れても、なおも壊れずにスピーカーから音声を響かせた。ただし強い衝撃でチャンネルでも切り替わったのか、それまでとは違うものが出力された様子であり。声は自分(イツキ)溢姫(わたし)だと思い出させてくれる。


 涙を拭いて、テレビに這って近付く。スピーカーに耳を当て、すがるみたいに音声を聴く。


『うん。強いんだねキミは』


「ちぃ、違うんです……嘘ついてました」


 覚えの有る音声に対して、正直に応える。

『御客様』になれば『助けて』くれると、送ってくれると約束してくれた彼女(ヌイナさん)なら、きっと自分(イツキ)をここから救い出してくれると。望む。どこでもない『救い』に連れて行ってほしいと。無駄に考えるのを止め、自己を捨て去り、すがってしまうみたいに……ではなく、心から逃避してすがりつく。


 彼女本人とは別れたはずで、助けなんてない。

でも偽物でもいいから。ただ意味の無い、記憶の中の再生でも構わないからと。すがりつく。


『そうかな――?』


「それが、嘘だと……溢姫も忘れてました。

あの時の私は、都合の悪いこと。嫌なことを全部捨てちゃってて、忘れちゃってたから……」


 自分の弱さを、失くしていた。

 それを知って、自分への激しい落胆と失望。

全力で勇気を出した行動と言葉は嘘であって。


『――それは違うよ』


「違いません。嘘なんですよぉ……」


 言い切る。嘘でないはずがないんだと。

沈黙、沈黙……。でも沈黙は破られた。


『なら、両方(どちら)ともキミの本心(ほんもの)さ!』


「……えっ?!」


 意表を突かれて、身体が跳ねる。


 嘘でなくて、それも本当。どちらも本物。

わけがわからない。わかりたくない。


『だってそうだろう。考えてみて。

弱さを無くしてたから言えた言葉なら、弱さに押し込めた奥、キミがキミとして在るべき芯に普段からちゃんと強さを持ってるってことさ。違わないよね?』


「違わなくなくないですよぉ!

なくなく……あれぇ? どっち?」


『どっちもだよ。人間なんてそんなものだ。

二律背反、矛盾なんて当たり前。そしてどちらに偏らないよう、自分が苦しくないよう、社会でうまくやれるようにって。各々一人一人が自分の答えを、折り合いを探して生きて行くもの。それが人さ』


「私は――」


『心配してたけど、キミは強いんだよ。

ちゃんと逃げずに“向き合える”素晴らしい子だ』


「私は――いえ。それも私、なの?」


 向き合える、強い子。それも自分?


 ヌイナの台詞が、記憶とは異なってくる。

単なる記憶の音声じゃないということ。


『そうだ肯定する。この“自問自答”じたいが、その証拠となり得る。そもそも、キミの内で僕の声が響いている意味。何者にも冒すことのできない世界でキミを肯定している意味。つまるところ僕は、必要だから生み出された幻聴に過ぎない』


「おかすことのできない世界の……幻聴」


 記憶の再生ではないが、ヌイナの声はあくまでも自分が生み出した産物。だとすると、偽物である事はかわりがない。けど嘘でもない。意味の無いものではない。「幻聴でも……幻聴だからこそ」自分を肯定してくれる、自分を愛したい、励ましたい、心の奥の本心だと知れたから。


「溢姫は、溢姫を大事にして良いの?

こんな約束も守れない弱い私のことを……」


『僕が答えるまでもないよ?』


「…………」


『キミが自分自身をどうしたいかだ』


「……そう、ですね。そうなりたいです。

大事にしたいから、しなきゃいけないです。

誰かに諭されるまでもない、当たり前なのに」


 こうこうせーにもなって幼稚だった。

手首の包帯に視線を落として、顔を歪める。

指の傷口を含めて、遅れて来た痛みが走る。


『さて、もうキミは理解しているね。

忌縁。忌み嫌って捨ててしまった弱い自分。彼女との縁を辿って“ここ”まで来たんだから』


「辿って……? 自分の縁を辿って?

あれれぇ!? そう、そうでしたよ!!」


 何故わからなくなっていたのだろう。

 バイクに乗せてもらって、進んでて。

 自分の変貌の理由を辿っていたのに。


 そうだ。水面を眺め、辿って近付いた。

 手を伸ばして、縁の下に落ち込んだ。

 辿ったからこそ、閉じ込められた。


「ここは」


 現在地の正体。今なら自覚できる。病室(ここ)は弱さに囚われ押し込めた、母親との約束。縁の下の淀み溜め。水の底に沈ませてしまった過去。日々の罪重ね。普段なら捨ててしまう弱い自分自身の世界だと自覚してきた。辿った先で陥った自己の内面に閉じた世界。水牢の病室。だったら、


『でも、ただ頼るだけにはしませんよ!

もちろん私も解決の努力をします。だから勝手ですが約束して欲しいです。ヌイナさんは私の為に、苦しくなるほど気負いしないで下さいっ!』


 自分の弱さを忘れて感情のままに発した、過去の自分自身の言葉。辛そうな相手(ヌイナ)を労って、より勇気をふり絞って出した言葉で。自分の口から出せたのならば、正しく自分の言葉であることは疑いようがない。よね。だったとしたら、


『――私が私でなくなるのは“これは自分じゃない”って自分から逃げた時なんです! だったら、それはしません。自分自身(あるがまま)から逃げた弱さの先では、純粋に強い人間にはなれないんです。私はせめて心持ちくらい、ちゃんとした“つよつよ”で真っ直ぐな溢姫を目指してますから!』


 何時間前かの自分の言葉が想起させる。

それはもっと過去の記憶。大切な大切なもの。

水に沈ませて流した、母親との約束の在り処。


「そうだ……大切なのに。約束を。

約束した時のことを。私は、ずうっと思い出さないようにしてました。辛くて泣きたくなるから」


 けどこんな機会は二度とない。

向き合える強い子なら、今が向き合う時だ。


「でも約束を、もう一度……」


 自分が望めば、見られるはずだから。

 見られれば、何か変われる気がするから。


「……もう一度だけ、見せて下さい!

確かめたいんですよぉ、約束の意味を!」


 テレビを再度転がし、正面に直す。

 端を発してだろうか、画面(いしき)雨音(ざつおん)が弱まり、邪魔をしていた夜霧(ノイズ)が晴れていて。蒼色の点滅によって再び映し出される画面。「私は……」溢姫は誘われるように、だけれど自分自身の意思でもって亀裂の入った画面を直視する。


 想像した通りに、画面が切り替わって、


『私は泣きません……もう泣きませんから。

自分の弱さでは泣きません。そう決めました。だって溢姫(イツキ)は、心配させちゃう弱い娘を卒業しないと、お母さん安心できませんから……だから』


 病室での最期のやり取り。


『溢姫? 泣いたって良いのよ?

笑顔でいて欲しいって言ったけど。泣いちゃダメってことじゃないの。あのね、泣かない人なんていないのよ。泣けない人はいるけどね。泣けない人は悲しい人なの。涙の後に笑えない人。自分の弱さや辛さを押し込めちゃう何よりも悲しい人。そうはならないように泣きたい時はいっぱい泣いて、最後は元気に笑える子でいて。お願いね』


『わかりました!』


『溢姫。元気に幸せにね。……お母さんが天国でも心配する必要ないくらいに。たくさんの満ち溢れる幸せを繋げられる、みんなの姫様になってね』


『わかりました……もう泣きませんっ!』


 自分の誤った決意に対して、心配そうに、困ったように見詰める母親の顔が印象的で。なのに『なら大丈夫だね。強い子だもん』あえて正さずに、母親は顔を綻ばせて抱き締めてくれていた。


 見たかった過去。過去の自分は、


「――えぇ? えぇぇ……いやいや」


 自分ながら、なんてポンコツだ……。


「…………うぅ゛」

 

 勘違いしていた。言葉の意味を汲み取らず。母親を心配させまいと逆の意味で解釈して。

『冒頭で犠牲になって発見される女学生』は、犠牲になるために生まれたんじゃない。なかった。こんな当たり前の事だったのに気付かないなんて。嫌なことだらけのこんな世界でも、精一杯に意味をもって生きなきゃならなかった。過去形でなくて現在進行形でだ。何故なら、母親を心配させない幸福な未来に、自分を繋げる為に生きてゆくから。

 そう祈望されていたというのに。自分も本心ではそう望んでいたというのに――。


「うぅ、ぁうアア! うわーん、ゥァアッ!

ごめんなさいぃ! ごめんなさァい゛!!」


 泣いた。今までの分も溢れんばかりに泣く。

母親への、自分への謝罪。涙が止まらない。


 安易に逃げて、安寧を得ようとした。

 嫌なことから逃げて、辛いことから目を閉じて、水底に身を投じるような日々。逃げるのは悪くないけど、自分自身からも逃げてしまい、自己の欠片を淀んだものとして捨てていた。恥じないといけないんだろう。反省して踏み出さないといけない。また間違わないように。これからずっと。その感情を抱いて、時には泣いても生きて行くんだ。ずっとずっと。これから生きて行く限り、ずっと――。


 ――病室の隅に掛けられていた千羽鶴。

紛れていた忌譚の折り鶴(アヒル)が羽ばたいて、涙で歪んだ視界を通り過ぎて行くと。その方向にはさっきまでは無かった出口が、病室の扉が開いていた。


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