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5-1


「あたしも、薫ちゃんちであそびたい」


 幼稚園に薫と蓮人を迎えに来たところだった。

 いつもにこにこ元気な薫の親友の風香(ふうか)が、なんだかしょんぼりしている。薫と蓮人が心配そうに風香を見ていて、担任の日菜子が眉を下げている。


「……風香ちゃん、どうしたんですか?」


 紗和子は膝に手をついて、風香の顔を覗き込む。


「あたしも薫ちゃんちで、薫ちゃんと蓮人(れんと)くんとあそびたいの」


 風香がぽつぽつと言った。


「どうも、羨ましくなっちゃったみたいでして」


 日菜子がこそっと耳打ちして、教えてくれる。

 紗和子は、なるほどと苦笑を零す。

 薫と風香は、薫がこの森山幼稚園に転園して出会った。両親を喪った悲しみに沈んでいた薫に、笑顔が戻ったのは風香のおかげだと千春もよく言っている。

 風香は、おっとりのんびり優しい子で、察しが良く面倒見がいい。喋ることのできない薫に、いつも優しく寄り添ってくれている。

 だから、薫も風香が大好きだし、二人は自他共に認める親友だと出会って日の浅い紗和子でも思う。

 そこに仲間入りしたのが、今月からこの幼稚園に通い出した蓮人だ。

 蓮人は男の子だが、気が合うのか薫と風香と仲良くしている。とくに家庭のことでちょっと乱暴になっていた蓮人は、薫を泣かせてしまったことを深く反省している様子で、とても大事にしてくれている。

 三人で仲良くしている。でも、薫と蓮人は、帰ったあとも一緒にいる、というのが羨ましくなってしまったのだろう。お互いが大好きだからこその気持ちだ。


「風香~、お待たせ。……って、あららぁ?」


 柔らかな声に振りかえれば、風香の母の円香(まどか)が迎えに来たところだった。

 風香は、母親の円香にそっくりだ。おっとりした性格も顔よく似ている。


「あらあらぁ、しょんぼりしてどうしたの?」


「ママ、あたしも、薫ちゃんちであそびたいの」


「なるほど、そっかそっか」


 さすがは、お母さん。娘の一言で全てを察したようだった。もしかしたら家でそういう話を風香もしていたのかもしれない。

 だが、円香はちょっとだけ眉を下げた。円香と紗和子は顔見知り程度だし、円香の性格的に「じゃあよろしく!」と言うようなタイプではなさそうだ。それに蓮人が小花衣家にいるのは、蓮人の家庭の事情だと知っている。だからこそ、困っているのがよく分かる。

 紗和子は、よし、と気合を入れて口を開く。


「あの、風香ちゃんのお母さんがよろしければ、遊びに来ますか?」


「え、でも……いきなりご迷惑じゃ……」


「とんでもないです。風香ちゃんにはいつも薫がとても助けてもらっていますから。ね、薫ちゃん」


 うんうん、と薫が頷く。


「ね、ママ、いいでしょ? 薫ちゃんのママもいいっていってくれたもん!」


「ええー、うーん、今日は習い事もないし……もう、じゃあちょっとだけよ?」


「うん! やった!」


「やったな、風香!」


 風香がぴょんぴょんして喜び、蓮人と薫も嬉しそうにぴょんぴょんする。


「すみません、本当にいいんですか?」


「ええ。何時くらいまで……あ、ご予定とかなければ風香ちゃんのお母さんもいかがですか?」


「え、いいんですか? 実は私、前々から小花衣さんとお話をしてみたかったんです。娘の一番の仲良しさんのママだし、お着物が素敵で!」


 ぱっと円香が顔を輝かせる。


「嬉しいです。私も一度、お話してみたくて、是非、いらして下さい」


 思わぬ言葉に二人してきゃっきゃっとはしゃいでしまう。


「ふふっ、まとまってよかったです。薫ちゃん、蓮人くん、風香ちゃん、また明日ね」


 日菜子の声にはっと二人で我に返る、お互いちょっと気恥ずかしくなりながら、子どもたちとともに日菜子に挨拶をして園を後にしたのだった。



「おや、風香ちゃんのお母さん」


 家に帰ると丁度、千春が出かけるところだったのか玄関に居た。


「千春さんお出かけですか?」


「はい。原稿を出しに行ってきます」


「分かりました。気をつけて行ってらっしゃい」


「はい、行ってきます」


 千春は薫の頭を撫でながら円香に「ごゆっくり」と微笑むとそのまま出かけて行った。


「小花衣先生とお話しちゃった。パパに羨ましがられるわ」


 ふふっと円香が笑う。


「旦那さんが羨ましがられるんですか?」


 来客用のスリッパを出しながら首を傾げる。子どもたちは「おじゃましまーす」と家にあがって、薫と蓮人が洗面所へ風香を案内していき、昼寝から起きて来たらしい春ノ助がついて行った。


「ええ、うちのパパは小花衣先生の大ファンなの。二月にお遊戯会があって、夫婦で行った時に、先生が挨拶に来てくれて……ふふふっ、あの人ったら、感動と緊張で一言もしゃべれなかったんですよ。その上、家に帰ったら感動で泣いてたの。未だに握手したって思い出してははしゃいでるんです。多分、小花衣先生のお家に行ったって言ったら、羨ましくて泣いちゃうかも」


「そんなにも……」


 実はまだ紗和子は、千春の本を読んだことはなかった。

 普段から料理本は読むが、それ以外の本を読む習慣がない上、結婚してからは心行くまで大好きな家事をしているので余計にだ。

 話しながら紗和子たちも洗面所に行って、手洗いとうがいを済ませる。

 居間に移動すると子どもたちが待ち構えていた。


「ねえ、薫ちゃんのお母さん、おにわであそんでもいい?」


 蓮人が首を傾げて紗和子を見上げる。


「ええ。でもいつもの約束通り、門の外には絶対出ないように」


「あのね、きょうはね、おはなのえをかきたいの」


 風香が言って、薫が頷く。


「お花の? なるほど、スケッチ大会ですね。だったら……ちょっと待ってて下さい」


 紗和子は、居間を出て、お風呂場の横にある部屋に行く。

 ここは、六畳ほどのこの部屋は千春の祖父母の箪笥や季節のあれこれなどがしまわれている。千春が片付けていいと言っていたので、紗和子が少しずつ整理をしているところだ。

 紗和子は目当てのものを見つけて、居間に戻る。


「これをどうぞ」


 三人に渡したのは、バインダーだ。何に使ったのか分からないが、五個くらい出てきたのだ。


「あ、かたい! これならおえかきできるね!」


 すでにスケッチブックから破り取った紙を持っていた三人が、バインダーに紙をはさむ。色鉛筆やクレヨンを持つと賑やかにお庭へ出て行った。春ノ助が嬉しそうについて行く。

 紗和子は、麦茶の仕度をして円香とともに縁側に行く。

 座布団を置いてお盆を真ん中に縁側に座る。


「ふふっ、真剣ねぇ」


 円香が柔らかく目を細める。

 その先を辿れば、三人がなにやらどの花にするかを吟味している。

 純和風の小花衣家の庭には、様々な植物が植わっている。

 四月も終わりに近づいた今は、つつじ、牡丹が見ごろで、藤の花もぽつぽつ膨らみ始めている。どれを描くか、それぞれ悩んでいるようだ。


「ねえ、小花衣さん。紗和子さんって呼んでもいいですか?」


「はい、もちろんです。私も、円香さんって呼んでもいいでしょうか?」


「うん。敬語もいらないよー」


「あ、いえ、私はいつもこの口調でして……」


 紗和子は、なんとなく気まずくなって目を伏せた。

 すると円香は、おっとり笑って「そっかぁ」と何かに納得したようだ。


「小花衣先生も丁寧な口調だもんねぇ。じゃあ、好きなようにお互い喋ろうねぇ」


「はい」


 優しい提案に、風香は本当に円香に似たんだなぁとしみじみする。きっと、旦那さんも優しい人なんだろう。

 それからなんてことはない世間話を交わす。

 美味しい八百屋さんとお肉屋さんの情報をもらえたのはとてもありがたい。円香も近所の銭湯の話に興味津々で、今度行ってみると言っていた。


「ね、紗和子さん、いつもお着物素敵ねぇ。でも、家事とかしづらくないの?」


「私は着物に慣れているので、あまり感じませんねえ」


「そっか。まあ、昔の人はお着物で生活してたんだもんね。私も挑戦してみようかなぁ、着付けはできるの。習ったことがあって……ただうろ覚えなんだけど」


「私で良ければ、復習にお付き合いしますよ」


「本当? その時はお願いね。……ところで、あのね……紗和子さんもお裁縫するの?」


 円香がためらいがちに指差したのは、奥座敷だ。


「あっ、すみません、片付けるのを忘れていて……」


 そこには、紗和子の裁縫セットが広げられたままだった。


「薫ちゃんが、私と千春さんみたいにお着物が着てみたいと言うので、前に私が古着屋さんで購入したお着物を薫ちゃんのサイズに仕立て直しているんです。アンティークの子ども用の着物で、小物か何かにリメイクしようと思って買ったんですよ」


「ねえねえ、見てもいい?」


「どうぞ」


 円香が立ち上がり、紗和子も一緒に奥座敷に行く。

 二人で広げられた着物の傍に膝をつく。


「可愛い柄、これ銘仙?」


 銘仙とは平織の絣着物の呼称で、現在はアンティーク着物の一つとして親しまれている。鮮やかな色遣いと大胆な柄が特徴的な着物だ。絹織物だが、上物には使えない、現代で言うB級品の糸で織られているので、大正から昭和にかけて庶民の間で普段着の一つとして親しまれていたものだ。


「はい。骨董市に行くのが好きで……そういうところで案外、掘り出し物があったりするんですよね」


「紗和子さんは、自分でお着物を仕立てたりするの?」


「ええ、時々、解いて洗うので。大伯母が教えてくれたので、お着物に関することなら大体は」


「あのね、実は私もお裁縫が好きなの。和裁じゃなくて、洋裁なんだけど……」


 円香が何故か声を潜めて、スマホを取り出して操作すると画面を見せてくれた。


「この服、私が作ったの」


「か、可愛いっ」


 紗和子は思わず声をあげる。

 そこには、桜色のワンピース姿の風香が映っている。ワンピースは、母である円香が作っただけはあって、風香の可愛さを最大限に引き立てていた。


「それでね、あの、嫌だったらいいんだけど……薫ちゃんと風香って服の好みが似てるでしょ? 一度だけ、薫ちゃんとお揃いのお洋服、作らせてほしいなぁって」


 円香がもじもじしながら言った。


「え、でも、大変じゃ……」


「そりゃあ大変だけど、その大変を上回ってるのよ、作りたい気持ちが! あ、もちろん薫ちゃんの意見も聞くから」


「でしたら、あの、一緒に生地のお買い物とか行きませんか? 私も薫ちゃんにこのお着物とは別に夏祭りに備えて浴衣を仕立ててあげたくて」


「浴衣? わぁ、すごく楽しそう! おすすめの生地屋さんがあるの!」


 思わぬところで話が盛り上がり、縁側に戻って二人で、あーでもないこーでもないと言いながら予定を立てる。一応、お互いに旦那さんにも許可を取ってからということで落ち着いたが、週末、一緒に出掛けることになった。


「おやおや、楽しそうですね」


 振り返ると門のほうから庭へと千春がやってきた。


「おかえりなさい、千春さん」


「はい、ただいま。今日は皆でお絵描き大会ですか?」


「そうみたいです」


 三人は、蓮人がつつじ、風香が藤、薫が牡丹の前に座って絵を描いているようだ。春ノ助は薫の横にちょこんと座っていたが、千春に気づいて嬉しそうにやって来た。


「千春さん、今週末なんですが薫ちゃんも連れて円香さんとお出かけしてきてもいいでしょうか?」


「もちろんかまいませんよ。どこに行くんですか?」


 千春が春ノ助を撫でながら首を傾げる。


「手芸屋さんにいこうと思いまして」


「なるほど。僕も先程出した原稿でとりあえず区切りがつきましたし、よければ車を出しますよ。布とかを買うなら、けっこう荷物になるでしょう?」


「いいんですか? ありがとうございます。どうでしょう、円香さん」


「わぁ、小花衣先生も一緒だなんて素敵ですねぇ。でも、パパが羨ましがり過ぎて泣いちゃうかも……。あ、じゃあ、うちの旦那さんも一緒でいいですか?」


「ええ、もちろんです。僕もパパ友というのがほしくて」


「光栄です。よーし、今、メッセージしてみますね。いつも時間が空いていれば三時には休憩に入るはずだから、帰る前には返事が来ると思います」


 そう言って円香がスマホを取り出して、旦那さんにメッセージを送った。


「差し支えなければ旦那さんは、なんのお仕事を?」


「大学の准教授です。文学部で先生してるんです。なんの研究しているのかは私にはよく分んないんですけどね」


「ほー、すごいですね。是非、詳しくお話を聞いてみたいなぁ」


「あ、お返事来た。すごく早い。授業なかったのかな……大丈夫だそうです。あの、小花衣先生、うちの旦那さんは小花衣先生の大ファンでして、当日、泣きだすかもしれないんですがよろしくお願いします」


 ぽわぽわと円香が笑いながら言った。

 千春が「え? 泣くほどですか?」と戸惑いながらも頷いた。


「さて、そろそろおやつの時間ですね。風香ちゃん、苦手なものとかアレルギーとかありますか? 今日のおやつはホットケーキにしようと思っているんですが……」


「全然、大丈夫。何でも食べるのよ。でもこの間、私もホットケーキを作ったんだけど、ふかふかの分厚いのがいいって言われちゃったの。でも市販のミックス粉でも自分で調合してもふかふかにならなくて」


「でしたら、一緒に作ってみますか? ふわふわのコツは案外、簡単なんですよ。千春さん、おやつの仕度をしてくるので、子どもたちをお願いします」


「はい、お任せください。紗和子さん、僕は三枚食べます」


「ふふ、はーい」


 紗和子は返事をして立ち上がり、円香とともに台所へ行く。

 紗和子のエプロンを円香に貸して、いざ、ホットケーキ作りだ。


「今日は、市販のミックス粉を使いますね」


「はーい、紗和子先生」


 円香の返事にくすくすと笑って、材料を作業台の上に用意する。


「ヨーグルト?」


「はい。プレーンタイプがいいですね。これを大さじ三杯くらいいれて、次に牛乳と卵を入れて、よーく混ぜます」


 泡だて器でかしゃかしゃと三つを混ぜ合わせる。


「次に、このミックス粉をそのままどーんと入れます、ここからが重要ポイントなんですが、混ぜ混ぜ混ぜ、とダマがばっちり残っているくらいでいいです。掬っておとすと、ぼたって落ちる感じです」


「え! でもそれじゃあ、焼いた時に粉っぽくなったりして失敗にならない?」


 円香が困惑気味に眉を下げる。


「論より証拠です。焼いてみましょう」


 紗和子は、フライパンを熱して、サラダ油を敷く。それをキッチンペーパーで全体に馴染ませて余分な油も拭き取る。


「生地をお玉ですくって、ぽとん」


 やや上から生地を落とす。もったりと広がって円くなった生地をそのままに、弱火でじわじわと焼いていく。生地の縁がふつふつと泡が立ち始めたらひっくり返し時だ。


「こうやって、周りがふつふつしてきたら、えいっ」


 ひょいとフライ返しでひっくり返すと、こんがりきつね色のホット―ケーキが現れて、むくむくっと膨れる。


「わぁ、すごい。分厚い!」


「じっくり弱火で焼いて、火が通ったら完成です」


「ひゃー、すごい」


「バナナを加えるとよりしっとりしますけど、あんまり重いと夕ご飯が入らなくなっちゃいますから」


「なるほど、なるほど。これなら風香にも納得してもらえそう。私も子どもの頃、絵本の分厚いパンケーキが憧れだったの」


「絵本のおやつって美味しそうですよね。円香さんもやってみます? 材料はまだありますし、千春さんの分だけでこの生地は使い切ってしまいそうなので」


「ええ、やってみたい。見ててね、紗和子先生」


 ふんふんとやる気満々な円香に紗和子は「頑張ってください」と笑いながら、もう一つボウルを用意するのだった。



「はーい、おやつの時間よー」


 円香の声に手洗いうがいを済ませて応接間で待っていた子どもたちが顔を上げる。


「はい、ホットケーキですよ。バターとメープルシロップとチョコレートソース、はちみつもありますからね」


「やったぁ! ホットケーキ!」


「すごい、えほんのやつみたい!」


 蓮人と風香が声を上げ、薫はぱちぱちと拍手で喜びを表現してくれた。

 子どもたちのホットケーキは、一枚分を二枚にして焼いて積み重ねた。


「美味しそうですねぇ。……では、いただきます」


 用意が整ったのを見届けて千春が挨拶をして、子どもたちが続き、おやつが始まる。

 それぞれバターを乗せたり、チョコレートソースをかけたりと思い思いに楽しんでいる。

 紗和子は、一口サイズに切り分けてバターを少し塗って、メープルシロップをたっぷりとかける。

 じゅわりとメープルシロップが溢れて、バターの程より塩気が甘さを引き立てる。ふわふわしっとりの食感も上手にできた。


「あー、美味しい。ねえ、風香、美味しいねぇ」


「うん! 薫ちゃん、チョコもおいしいよ」


 風香は円香にぞんざいに頷いて、薫と夢中になってホットケーキを食べている。

 そんな風香を円香は「そっけないなぁ」と言いながらも愛おしそうに見つめていた。



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