悪の誘惑
「これだけの金があれば……遅れている魔王城の耐震補強工事に着工できるぞよ」
「……」
冷や汗がポタリと床に落ちた。
「建物の安全対策が早急に必要ぞよ。地震や人間共の襲撃や狂乱竜の寝相に怯えて暮らす必要がなくなるのだぞよ」
「……」
非常用持ち出し袋が必要なくなるというのか……。懐中電灯や鯖缶や単三と単四電池。有機溶剤のペール缶や枕にもできるウエスの詰まった袋も……。
「耐震強度工事で多くの魔族の命が救われるのだぞよ。レベル1のスライムとかも」
「……」
たしかに……これほどのお金があれば、まったく進んでいない耐震補強工事にすぐに着手できる……。魔王城の建て替えすら容易にできてしまう。
だが……ごくりと唾を飲んだ。
「さらには、ワープできる井戸を世界中に作れるぞよ。さすれば、瞬間移動の魔法が使えないモンスターでも世界各国、至るところへ瞬時に移動し旅行ができるのだぞよ」
「……」
それは便利で魅力的だ。毎回毎回ソーサラモナーや魔王様に頭を下げなくてもよくなる。帰れなくて寂しい気持ちにならなくて済む。
最近、旅行してないなあ。今日も魔王城から一歩も外に出ないだろう……。外ロケ無しだろう……。ステイホーム……いや、ステイキャッスルだ。冷や汗が出る。インドア派の魔王様にはちょうどいい。
「デュラハンもインドア派やん。ほぼ引きこもり」
「――私はアウトドア派です!」
ほぼ引きこもりは酷いぞ。
「普段からあまりお出掛けにならない魔王様のせいでインドア派に見えているだけでございます」
目の錯覚にございます。しかし、なぜインドア派よりもアウトドア派の方が格好よく聞こえるのだろうか。
「ワープできる井戸が世界中にたくさんあれば嬉しいですが、逆に人間共がその井戸から魔王城へ来てしまう恐れがあります」
前に一度、女勇者がその井戸を見つけてしまい、仕方なく封鎖した経緯がある。
「ええやん」
ええん? 人間共が攻めてくるのに、ええん?
「攻めてきても戦力的にぜんぜん恐くないぞよ」
「……まあ。たしかに」
どうせ井戸でワープできるのは一人ずつなのだ。たくさんの軍隊が全員移動して来るのには……列を作って一人ずつ飛び込むのだから数日掛かるだろう。
出てきた人間を一人ずつ寄ってたかって袋叩きにすればいい。または、井戸に蓋を閉めてワープ渋滞を巻き起こしてもいい。
嫌だろうなあ……ワープ井戸に詰まって出られなくなったら。いったい、どこへ行くのだろうか。次元の狭間とか異次元とかか……。
「さらには卿が欲しい女子用鎧もたくさん買えるのだぞ」
フッ、言うと思いました。
「ですが、それは必要ございません」
経費で買うものではございません。少しずつヘソクリを貯めて買ってこそ価値があるのです。
「これだけの金があれば、城内の廊下にオブジェとしてたくさん並べられるぞよ」
「――!」
いたるところに女子用鎧を並べるですと――!
「――プハッあ! はあ、はあ、はあ、はあ……」
一瞬、もっていかれそうになった、なにかが。
「さらには、人感センサー内蔵、AI搭載で。『おかえりなさいませ、デュラハン様』と皆が迎えてくれるぞよ」
女子用鎧から「おかえりなさいませ、デュラハン様!」――ですと!
その廊下を通るたびに、「おかえりなさいませ、デュラハン様!」「おかえりなさいませ、デュラハン様!」「おかえりなさいませ、デュラハン様!」「おかえりなさいませ、デュラハン様!」「おかえりなさいませ、デュラハン様!」「おかえりなさいませ、顔無し!」「おかえりなさいませ、デュラハン様!」
キャー嬉ぴー!
「ただいま! ただいま! ただいま! ただいま! ただいま! ただいま!」
「……」
たまらないぞ~! 最高だぞ~! ひょっとすると何度も何度も廊下を往復するかもしれないぞ~!
「さらには、行ってらっしゃい、お気を付けてデュラハン様! ぞよ」
「――!」
「行ってらっしゃい、お気を付けてデュラハン様!」「行ってらっしゃい、お気を付けてデュラハン様!」「行ってらっしゃい、お気を付けてデュラハン様!」……中略。ああ……気が遠くなる。嬉しいぞそのシステム。ヨダレが垂れそうだ。
「行ってらっしゃい、お気を付けてデュラハン様!」
「うむ」
「おかえりなさいませ、デュラハン様!」
「ただいま」
「行ってらっしゃい、お気を付けてデュラハン様!」
「ただいま」
「おかえりなさいませ、デュラハン様!」
「うむ」
廊下を何度も何度も往復してしまいそうだ――。
その廊下から二度と出られなくなりそうだ――。
一度入ると二度と出られない恐怖の廊下だ――。まさに、廊下現象だ――!
「ぜんぶ、予の声ぞよ」
「――!」
魔王様のお声――! 現実に引き戻される感が半端ない。
女子用鎧から発せられる魔王様の声……嬉しいようで……なんか違う。やっぱりアニ声がいい。魔王様の声も捨てがたいが、アニ声がいい――!
「魔王様がアニ声になればよいと考えます」
一件落着でございます。
「……予は予の声ぞよ。いずれアニメ化されればそれはアニ声ぞよ」
「御冗談を」
冷や汗が出ます。アニメ化の前に超えないといけないハードルが二桁くらい立ち並んでいます。
「ハードなハードルでございます」
「……うはあ」
だが、どんなに誘惑されても……やはり駄目なものは駄目だ。この現金を使うわけにはいかない。魔王様はともかく、私は紳士な騎士、ジェントルマンナイトなのだ。
――紳士な騎士は敵の誘惑に負けてはならぬのだ!
「敵って酷いぞよ。味方ぞよ」
「グヌヌヌヌ」
魔王様とこのお金が味方であるのなら……いったい、なぜこれほどにまで苦しんでいるのだ――。
いったい何と戦っているのでございましょうか――。
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