闇の彼方に
ベタなホラーですが、結局ベタなものが一番恐いと思って書きました。
仕事に行きたくない。
そんな気持ちを引きずりながら、私はいつもの駅から電車に乗り込んだ。
私は大学で臨床心理学を専攻し、現在のクリニックでカウンセラーとして働いている。
人の心について学び、いろいろな悩みに寄り添い、人の話をよく聴く。
そんな中で、自分自身も成長出来たら……そう思っていた。
しかし、仕事を始めてすぐに、そんな甘いものではないことを思い知らされた。
こちらが女だということで、差別を受けたり、心理職というよりも性の対象として見られる、なんてことはしょっちゅうだ。
しかもクライエント(患者)は、そもそも会話にすらならない人がほとんどだ。
ある程度、覚悟はしていたつもりだったが……
カウンセリングのとき、いつもお酒の匂いをまき散らしている人。
周囲に甘えたい、気を引きたい、そのためにリストカットを繰り返す人。
そういう人達こそが、カウンセラーの助力を求めている。それはわかっているつもりだ。
しかし、私だって生身の人間なのだ。
「カウンセラーのためのカウンセラーを開業したら、儲かるんじゃないか」
これは彼氏の言葉。
冗談のつもりで言ったのだろうが、はっきり言ってムッときた。
それでも何とか仕事をこなし、あっという間に1年経った。
電車は、重い心と一緒に、私を職場へと運んでいく。
窓から手を伸ばせば届きそうなところに、様々な人の生活がある。
それは言い換えれば、生の営みのすぐそばに、死というものが、ぽっかり口を開けている、ということ。
やがて、電車は、「あの現場」にたどり着く。
カンカンカンカン……
遮断機のすぐそばに、花が飾られている。
何年か前、この踏切で、14歳の少女が飛び込み自殺を図った。
原因はおそらく、学校でのいじめ。
もし少女が私のところへ来ていたら、救うことが出来ただろうか。
職場の先輩が、こんなことを言っていた。
「カウンセラーとして一人前になるのは、カウンセラーには何も出来ないと悟ったときだ」
その通りかもしれない。
でも、それではあまりにも……
私は何のために、学んできたのだろうか。
そのとき……
私は、急なめまいに襲われた。
どうしたのだろう。
眉間に手を押し当て、眼をぎゅっと閉じる。
カンカンカンカン……
警報器の音が鳴り響いている。
なにか変だ。
いつもなら、電車は踏切をあっという間に通り過ぎ、警報器の音は歪みながら消えていくはずだ。
電車が急停止したのだろうか。
おそるおそる私は眼を開けた。
私は、巨大な黒い空洞の中にいた。
電車の座席、つり革、それに他の乗客……すべてが消えていた。
空虚でありながら、禍々しい質量をもった何かが、空間を満たしていた。
空間を満たしているものは、やがて形あるものとして集まり、人間の姿になった。
制服を着た少女だ。
私は、少女と眼が合った。
そして、思念のようなざわめきが、私の心に流れ込んできた。
(みんな大嫌い)
(憎い憎い。私が死んでいるのに生きているみんなが憎い)
これは、自殺した少女なのだろうか。
そう思ったとき、耐えきれないような感情の渦に、私は包まれていた。
電車に飛び込んだときの恐怖。
砕かれ、つぶされ、引き裂かれる苦痛。
そして、恐るべき後悔。
やめて!
叫んだつもりが、声にならなかった。
(私はずっとここにいる。あの世になんて行ってやらない)
(話を聞いて!)
私は心の中で、少女に話しかけた。
よくわからなかったが、少女のほうでも驚いた様子だった。
(……)
(そうよ、落ち着いて)
私は再び、少女を見た。
敵意に満ちた感情が、少しゆるんだような気がした。
(……つらかったわね)
(……)
(私で良ければ、話を聴くわ)
(あなた……誰?)
(カウンセラーよ。もっと早く会いたかったわ)
(……)
少女はゆっくりと、近づいてきた。
(カウンセラーなら大勢会ったわ)
(そう……)
(みんな私のことをおかしいって決めつけて、薬を飲ませようとするだけ)
(……)
(カウンセラーがなんだっていうの。だれも信じられない)
やるせない気持ちだった。おそらくは少女の周囲のすべての人間が、彼女を死に追い込んだのだ。
(いいのよ、信じられなくても)
(……)
(でも、また会えるかしら?)
(え……)
(あなたと、また会いたいわ)
(……)
(いま、あなたの所へは行けないけれど、ここへ来れば、また会えるのね……)
私と少女は、互いに顔を見合わせていた。
美しい少女だった。
(また、会ってくれるの?)
少女は言った。
(ええ)
私はうなずいた。
(ホント?)
(……本当よ)
すると、突然、まぶしい光が、辺りを照らし出した。
気がつくと、私はもとの電車の中にいた。
車内アナウンスが、次の駅への到着を告げていた。
あの踏切から1キロも離れていないようだった。
とすれば、あれはほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。
私は、職場の最寄りの駅で下車した。
少女はこれからもずっと、あの場所で、助けを求め続けるのだろうか。
いや、いつかはきっと、新しい道へと歩み出すことが出来るだろう。
それが何なのか、生者である私には、見当もつかないけれど、
(誰かが、私を必要としている)
その気持ちが、私の足取りを少しだけ軽くしていた。
お読みいただき、ありがとうございました!