レインコートの子供達
窓から見えていた通り、外は雨が降っており道の奥が見えないくらいの、濃い霧に覆われていた。
寒気のせいか、思考の巡りが鈍くなっていたツバキは、傘を手にすることなくエディ邸の敷地から出ると、門を抜け薄っすらと見える街並みの景色へと身を投じていく。
両手で襟を握り、ギュッと首元を締めて寒さを凌ぐ。吐く息が白い煙となって上空へと消えていく。意識がぼうっとする中でも、彼はしっかりと瞳を動かし、街の様子を確認していた。
しかし、エディ邸と同様に、街は不自然なほど静まり返っており、誰一人外へ出ている者は見当たらない。
整備された道の外れにある土には、いくつかの靴の跡が残っている。いつ付いたものかは分からないが、何処かに人はいるようだ。
手っ取り早く人を探すため、ツバキは近くにある民家へと向かった。そしてドアを何度かノックしながら、振り絞った声で住人を呼ぶ。
「誰か・・・誰かいないか・・・?」
声は一度しか出なかった。その代わり、徐々に弱まるノックで何度もドアを叩く。しかし、民家の中から返事はなく、人が動いているような足音と気配も感じられない。
仕方がなく民家を後にしたツバキは、次の民家へと向かう。
こうして何件かの民家や建物をノックしてみるものの、何処も返事はなく中から音が聞こえてくることもなかった。まさに、街にただ一人取り残されてしまったかのようだった。
「何処か・・・暖かいところ・・・」
覚束ない足取りで、エディ邸から随分と離れて来てしまった。もうこの距離を戻れるだけの体力が残っていないことが、自分でもよく分かっていたツバキは、どうせ誰もいないのなら、入れる建物へ入り、取り敢えず暖を取ることしか考えられなかった。
それまでは道徳心が邪魔をして、扉を開けようとは考えられなかったが、今は自分の身が第一になっていたツバキは、周囲を見渡し大きく広そうな建物を探す。
すると、寒さに意識を奪われそうになる視界の中で、とあるシルエットが目についた。それは黒いレインコートを着て傘を差す、子供のような影だった。
その影はツバキの視線に気がつくと、何も言わずにゆっくりと近くの建物へと入っていったのだ。
漸く見つけた人影に、僅かながらの希望を見出した彼は、その子供が入っていった建物へと向かう。
入り口に鍵は掛かっていない。まるで先程の子供が招き入れたかのように思える。
そこは誰かの家というよりは、何かの施設のようだった。中に明かりは灯っていない。恐らくここも、先程の子供以外に人はいないのだろう。
中に入ってすぐのところに、立派な暖炉があった。ツバキは真っ先に暖炉の方へ向かい、側に置かれていた薪を中に入れ火をつけた。だが、薪だけではすぐに燃え広がらない。
ツバキは周囲を見渡し着火剤を見つけると、手に取れるだけ持っていき、暖炉の中へ放り込んだ。再度火をつけると、漸く冷えた身体を温めることができるようになった。
火が大きくなり、暖かい空気を感じて安堵するツバキ。身体を暖炉の前で休める為、ロビーに置かれたソファーを引き摺ってくると、エディ邸から持ってきたコートを掛けて、ソファーの上に横たわる。
「・・・寒い・・・どうなってんだ・・・」
身体を拭くものが何もなく、彼の身体は依然として濡れたままだった。だが暖炉の火が少しずつ彼の服を乾かしていき、寒さが和らいできた。
次に彼を襲ったのは眠気だった。それほど動いたつもりはなかったのだが、身体が妙に疲れており、瞼が重くなっていく。
うとうとと眠気に誘われ、ツバキの瞼は閉じ意識を失っていく。
どれだけ眠っていたのだろうか。暖炉の火に当てられ眠っていた彼を起こしたのは、またしても寒気だった。
瞼を開き霞む視界のピントを合わせると、大きく燃えていた筈の暖炉の火が、今にも消えそうな程弱まっていた。
「おいおい・・・嘘だろ。消えちまうのか・・・?」
重たい身体を起こし、もう一度火を大きくする為、着火剤のあったところへ向かうツバキ。先程取った時は、まだ残りがあった筈。それを使えばまだ間に合うと思い足を運んだが、そこに着火剤は無くなっていた。
「・・・?なんで無くなって・・・」
すると、ロビーにある二階へ上がる為の階段の方から物音がした。視線を音のした方へ向けると、外で見たレインコートの子供が、階段を軋ませながら二階へと上がっていくのが見えた。
「くそ・・・待ってくれ・・・」
ツバキは暖炉で乾かしたコートを取りに戻り、それを羽織って子供の影を追うように階段を上がっていく。
階段の踊り場を上り二階にやって来ると、広い廊下とその両側に幾つかの部屋と通路が見えた。その内の一つ部屋の扉が、僅かに開いている。先程の子供があそこに入っていったのだろうか。
ツバキは真っ直ぐその部屋へと向かうと、僅かに開いた扉をゆっくりと手で押した。
軋む扉の音が部屋に響く。中はロビーと同様に照明はついておらず、窓には光を遮る厚手のカーテンが掛かっており、まるで部屋を隠すように全てのカーテンが閉められていた。
部屋の中に誰かがいる気配は感じない。カーテンが閉められているせいか、外から聞こえていた雨の打ち付ける音も、その部屋だけ極端に小さくなっていた。
ゆっくりと足を踏み入れるツバキの足音に合わせ、床が軋む音が響く。部屋に入ったと思われた子供は、体格的にツバキと変わらなかった。つまり、子供がこの部屋へ入ったのなら、今の彼と同じように床の軋む音が聞こえるはず。
入ったところを見ていない以上、確かなことではないが、この部屋に何かあるのではないかとしか思えなかった。
真っ暗な中、目を凝らしてゆっくり進むと、床に黒い何かが落ちているのが見えた。
そして不思議なことに、この部屋に入った途端から暖まった筈のツバキの身体を、再び外と同じくらいの寒気が襲い始めた。
床に落ちていた何かを拾い上げようとすると、ツバキの膝は限界を迎えてしまったのか、そこで彼は膝から崩れ落ちてしまった。四つん這いの状態でなんとか耐えていたが、徐々に身体に力が入らなくなっていく。
床に倒れたツバキは、床に落ちていたもの掴んで引き寄せる。彼が手にしていたものは、先程の子供が着ていた物と同じレインコートだったのだ。
「サムイ?・・・サムイ?」
「コート・・・キテ?コート・・・」
「シンジャウ・・・シンジャウ・・・?」
突然、床に倒れたツバキを囲うように、様々な色のレインコートを着た子供達が部屋に立ち尽くして、彼を見下ろしていた。
「はぁ・・・はぁ・・・着る・・・?これを・・・?」
「サムイ・・・ナクナル・・・」
「コート・・・アゲル・・・アゲル・・・」
「イッショ・・・ミンナ・・・イッショ・・・」
暗さのせいか、レインコートを着た子供達の顔は、フードの影に隠れて確認できない。いや、それどころかまるで本当に誰かが着ているのか怪しい程に、顔がある筈の部分は真っ黒な影に包まれているようだった。




