消えた記憶
ツクヨはミアの素っ気ない態度に、大きなため息をつく。彼女も寝起きで頭が回っていなかったのだろう。WoFという世界の中に、ぼんやりとそのような名前の街があることを思い出していた。
「いやいや、そんなことを話そうとしていた訳じゃないんだ。例の現実世界へ繋がるっていうアイテムを、レースのお宝に贈呈した人物のことなんだけど・・・」
「・・・何か分かったのか?」
現実世界へ戻る理由の無い二人でも、現実の世界へ影響を及ぼすというアイテムを無視することは出来ない。そのような物がもし幾つも存在していたら、本体のある現実世界自体が荒らされ、何も知らない内にWoFとの世界を切り離され強制終了させられてしまう事態になり兼ねない。
「それが・・・誰もその話を覚えていないんだ」
「あぁ?誰も?」
誰もというのがどこまでの人物であるのか分からないが、レースを終えて街に残る海賊や観客であれば、あの開会式の時に現れた黒いコートの男。そしてその男が言い放った“異世界へのポータル“というアイテムの存在。
あの演説は機械を用いて全世界へ放送されていた筈。なので、レースのゴール地点となっているこのホープ・コーストの人間が知らないというのは考えづらい。
「アンタ一体誰に聞いたんだ?余所者とか子供じゃ知らないってのも・・・」
「そりゃ色々な人に聞いたさ!私だって信じられなかったからね。昔から街に住んでいる人だとか、直接レースに参加してた海賊にも聞いたよ。・・・それでも誰も知らなかったんだ」
「そうだよ。今街に海賊達は?キングやチン・シーのところの奴らに聞けば間違いないじゃねぇか」
比較的彼らとも交流の多かったキング海賊団とチン・シー海賊団。WoFの世界で“三大海賊“と称される彼らであれば、情報としてはかなり信憑性の高いものとなるだろう。
「チン・シー海賊団は、あの夜宴の途中で港を去ったらしい。街の人に迷惑を掛けないように、早々に出航したようだよ。彼女らしいね・・・。キングのところのシー・ギャングはまだ街に居たよ?何でもまだ街に用事があるとか・・・あっでも、ちゃんと聞いたからね!彼らにも!」
「そうか・・・よし!アタシも運動がてら、街を回ってくるか!」
「どうする?私も一緒に・・・」
「いや、一人でいいよ。迷惑かけちまったからな。今度はアタシが行ってくる。アンタは休んでてくれ」
ミアはベッドから立ち上がり、椅子に掛けられた上着を手にすると扉の方へと歩いていく。早朝から港街を歩き回っていたツクヨは、部屋にあった冊子を手に取ると窓際の椅子に座り、宿の退出時間だけ伝え優雅な朝の時間を満喫し始めていた。
扉を開けたミアの身体に、朝の冷たい潮風が染み渡り、小さくその身体を震わせる。上着の襟を両手でぐっと締め、ポケットに手を突っ込んだ彼女は短い木造の廊下を歩き、下の階へと降りていく。
そしてフロントの人間に外出する旨を伝えると、陽の光が溢れる外の世界へと踏み出していった。
最初に向かったのは、前日に宴が開かれていた会場だった。ツクヨの話では、キングの一味がまだこの港街に留まっているとのことだったので、直接自分で幹部、或いはキング本人に聞いてやろうと考えていたのだ。
実際会場に到着してみると、ゆっくりだが片付けが進んでいる。そこにはキング率いるシー・ギャングや他の海賊の姿はない。だが、会場を片付けているスタッフは、当然あの開会式を見ていた筈。
「なぁおい、アンタ・・・」
「は、はい?何でしょう」
ミアはツクヨの話を踏まえて、開会式での謎の男についてスタッフに尋ねる。しかし帰ってきた反応は、聞いていた通り虚無なものだった。まるで自分がおかしな事を言っているかのような、逆に心配するような視線を向けられ、異世界へ渡るアイテムの存在を否定したのだ。
そして、そんな黒いコートの男のような危い人物が、スポンサーが招待されるような場に立ち入れる訳が無いと、自信ありげに答えていた。
これでレース関係者が知っているという線は消えた。片付けをしている末端のスタッフですら、運営の実力や警備を信頼しており、開会式を見た上で否定してきたのだ。
だがそうなれば、当事者である海賊や、他のスポンサーなどはどうだろう。




