敗走と変異
蒼空がイルの最後の一撃を貰ってしまい、辛うじて彼の身体を支えていた足が折れてしまう。地面に倒れた蒼空の身体からは、黒刀の刺さった部位から絶えず血が溢れ出してくる。
その様子から、彼の状態はかなり絶望的だった。しかしそれでも、散々彼らを苦しめた靄を操る男、イルも同時に戦闘不能の状態へと持っていった。
「死に損ないの分際で・・・!この程度で俺が止まるとでも・・・思ってんのかぁ?」
地面をうつ伏せの状態で這いつくばるイル。虚勢の言葉は、誰に届くでもなく細々と語られ、その様子を天臣とケイルが見ていた。
「大した男だったが、どうやらここまでだろう・・・。流石にあんな状態では、私達にまともに攻撃することすら叶わん・・・」
「蒼空さん・・・。何でもいい!何か復活できるアイテムはないのか!?何だよッ・・・あっちじゃいくらでも手に入るだろ!?」
ケイルが言うあっちとは、WoFの世界の事だろう。ゲームの中の仮想世界では、彼の言う通り戦闘不能から復活するアイテムも、やや高価だが街で取引されるくらいには流通している代物。
しかし、現実の世界では回復するアイテムすら中々手に入らない物。RPGの序盤で手に入るような回復アイテムでさえ、こちらの世界では貴重な物なのだ。
戦闘不能から復活させるような効果を持つ物なら、尚更手に入る機会も少ないだろう。
WoFの世界と現実世界を繋ぐ生き物であるモンスターが、向こう側の世界からアイテムと共にこちらへとやって来ているのは、現実世界のモンスターを狩っていれば分かること。しかしその中身はランダムなようであり、その殆どは回復効果の薄いアイテムばかり。
故に、にぃなのようなヒーラーはかなり重宝されるクラスだった。
「無理だ・・・。私は持っていない。せめて彼の残してくれた功績を無駄にしないことが、私達の成すべき事だ・・・!」
刀を握り、瀕死の状態のイルの元へ、ゆっくりと歩き出す天臣。
だが、この後に及んでも尚、その醜悪な男は不気味に笑っていた。
「これで終わる訳・・・ねぇだろッ!?言っただろ・・・この日の為に準備をしてきたんだ・・・。最悪の事態も、想定していたさ・・・」
イルは地に伏したまま力を貯めると、周囲の僅かに残る靄を掻き集める。
不気味な雰囲気を漂わせながら、集まった靄の中から何やら“門“のような扉が現れる。
すると、重々しい音と共に門が開き、イルのものと同じ黒い靄が溢れ出す。何処へ続いているのかも分からぬ、真っ暗な門の先からは何かの呻き声や叫び声のようなものが聞こえてくる。
「何だ・・・何をしようとしている!?」
「借りは返さねぇとな・・・。アンタらには敵わなかったが、何れ俺は強くなって帰ってくる。そん時に笑うのは・・・俺だッ・・・!」
自身の能力で作り出した門を使って、この絶望的な状況から逃げ出そうと言うのか。しかし、最早自力で門の中に避難するのも不可能な身体で一体何ができると言うのだろう。
それをみすみすと見逃してやる程、天臣は甘くはなかった。再び友紀の障害となって現れると分かっているのなら尚更のこと。確実にこの男を、ここで始末しておかねばと、その足を早める。
「逃すと、思うのか・・・?この状況で」
「どうだかな・・・。だが、俺に出来る抵抗はこれが“最後“だ。・・・後はアンタら次第だが・・・」
必死に上体を起こそうとしていたイルは、門に近づくでもなくその場で仰向きになり、全身から力が抜けたように倒れ込んでしまった。男の言う抵抗とは、何を意味するのか。
それは大きな波のように、彼らを飲み込もうと押し寄せる。
門の奥から聞こえていた声が、次第に大きくなり、心なしか数も増えてきている。まるで何かがこちらへ迫ってきているかのように。
視覚では何も変わらないように見えるが、聴覚やピリピリとした異様な空気感を察知する触覚が、門の奥に広がる闇の中が危険であると訴えかけてきている。
まるで見惚れてしまうかのように、視線が門へと吸われて動かない。
聞こえてくる音は、いよいよ声だけでなく足音のようなものや、何かがぶつかり合うような音までしだす。
間違いない。門の奥の闇からやって来ているのは、人ではない何かの生き物だ。
そして、次第に近づく様々な音の正体を表すかのように飛び出して来たのは、どこか普通ではない四足獣のモンスターだった。
「なッ・・・!?」
「モンスターだッ!野郎、モンスターを呼びやがった!だが何だあれは?俺の知ってるモンスターとは様子が違うぞ・・・!」
友紀のライブやイベントへ、様々なモンスターを送り込んでいたイル。今回送り込んできた巨獣は、イルの手懐けたモンスターの集大成だった。
そして今、イルの作り出した門から溢れ出さんとばかりに押し寄せるモンスターの数々は、彼がストックしていた友紀襲撃の為に用意したモンスターだったのだ。
「こいつらはよぉ・・・共食いさせることで、異なる個体へパワーアップするんだ・・・。試しに群れの何体かを半殺しにして分かった・・・。そして、次第に興味は次の段階へ向かった・・・」
門から飛び出して来たモンスターの動きは、全く予想も出来ないほど様々だった。一直線に天臣達に向かってくるものや、周囲の彼らを無視して何処かへ走り去って行ってしまうものなど、とても制御出来ているとは思えなかった。
傷だらけの身体で、辛うじて迫り来るモンスターの群れを退ける天臣とケイル。防御力を上げるスキルを、自身と天臣に使ったケイルのおかげで、多少の攻撃ではもろともしない。
万全であれば苦も無く退けられようが、彼らの身体に蓄積された疲労や、異様に進化したモンスターの身体能力に悪戦苦闘する二人。
そんな中、一体のモンスターがイルに向かって走り出し、男を咥えて何処かへ運ぼうとしていた。
「天臣さんッ!アイツ逃げる気だ!!」
「ッ・・・駄目だ、数が多すぎる。とても捌ききれないッ・・・!」
イルの行った実験は、フィアーズが行っていた実験と同じところへ行き着いた。モンスターに覚醒した人間を食わせたらどうなるのか。
すぐに結果は出なかったが、何度か繰り返す内に何体かの個体に変化が表れ始めた。それは人語を話すモンスターや、中には人間の心にも似た感情を持つというものだった。




