特別な存在
蒼空との手合わせで学んだイルは、不可解で不気味な能力を扱うシンに警戒心を持つ。深追いは禁物と、一旦天臣への追撃を止め距離をとる。
「数が多いと、迂闊に飛び込めなくていけねぇよなぁ・・・」
身を引いたイルを取り囲むようにして対峙するシン達三人。悠然と立ち尽くす男からは異様な雰囲気が漂っている。追い詰められているのは相手の筈。それなのに何処か、捉えることのできないような、そんな予感が三人の脳裏に過ぎり、足が前に出ずにいた。
「学んだようだな。さっきよりも慎重じゃないか」
「多勢に無勢だからね・・・。少しはアンタのアドバイスに従っておこうと思っただけさ」
「友紀はどこだ・・・」
落ち着きを取り戻した天臣が、再び刀の切先を向けて友紀の行くへについて問う。先程は飄々と流されてしまったが、どうやらあまりのんびりしていると彼女の身に危険が迫るような言い方をしていた。
「なに、ちょっとある人物に会ってもらってるだけさ」
「ある人物・・・?誰だ、それは」
「彼女にとって所縁のある人物だよ。それも・・・彼女にとって大切で、重要な・・・ね?」
アイドル岡垣友紀にとって所縁のある人物。シンには何のことか全く分からず、蒼空にとっては色々と想像させられるものだった。
彼女が下積みを経て、デビューしてからのファンだった蒼空。彼女のファンの殆どが、今の彼と同じだろう。
元々アイドルには興味があり、新人が現れたということで一度は目にしてみたものの、当時の彼女はそこまで他のアイドル達から抜きん出た輝きを持っている訳ではなかった。
だが、ファンとの交流の中で垣間見える彼女の、一人一人に対して丁寧な対応など、何処か応援したくなるような素朴さが妙なファンを焚き付けた。
そんな彼女に所縁のある人物だとすれば、事務所の先輩や番組の大御所、またはスタッフや天臣のような身近な関係者なのだろうかと、考えればいくらでも候補に上がるような人物が想像つく。
しかし、最も近くでアイドルとしての岡垣友紀を見てきた天臣には、他の誰もが知り得ないとある人物の存在が脳裏に過ぎる。
彼女が落ち込んだ時や挫けそうになった時、仕切りに彼女の口から聞かされていた、昔共にアイドルを目指していた親友の名前、“片桐なぎさ“の存在だった。
「彼女が・・・来ているのか?」
天臣がなぎさのことを知っているとは思わなかったイルは、少し驚いた表情を見せた。だが、なぎさから友紀のマネージャーの話など聞いたことのなかったイル。
これまで復讐に明け暮れていた彼女に、天臣と接触する時間などなかった。なぎさも友紀のことは特別扱いをしており、すぐに彼女と接触することは避けていた。
今回、なぎさが友紀の元を訪れたのは、果たすべき復讐を終え、彼女に残る大きな因縁が友紀だけになった事と、友紀にとって特別な公演だったからだった。要するに、これ以上ないほどタイミングと条件がマッチしていたのだ。
「ふ〜ん・・・彼女から話を聞いていたのかな?流石はマネージャーさんだ。信頼されてるんだねぇ〜」
「彼女?彼女って、誰なんだ?天臣さん」
「・・・まだ日の目を見る前の彼女を、支えていたものだ・・・。だが、それが何故この男と・・・?」
「それは俺が語ることではないな。俺はあくまで彼女の望みを叶えたまで。後は邪魔されないよう、アンタらみたいな奴らから、彼女を守るだけだ」
話を終えた後、イルが何か仕掛けようというのか、腰を曲げて前屈みになり身体を丸めると、その身体から溢れ出すように黒い靄が発生し、下へ流れていく。
靄を扱うということは、イル自身の能力を用いた攻撃、或いはバフのような自らの有利な状況を作るスキルを使用しようとしているに違いない。
イルが天臣の攻撃を避けるのは、靄を使っている時。そして、攻撃をもろともせず悠然と向かってきたり、身を引いたりする時に見せる不可解な瞬間移動の能力。それを使う時は、靄との併用はなかった。
攻撃を当てるチャンスがあるとするならば、イルが靄を身に纏ったり使っている時だ。しかし、それもまだ確定事項ではない。あくまで今までの様子から伺える、可能性の一つに過ぎない。
未だ未知の部分の多いイルの能力の中に、無策で飛び込んでいくのは危険すぎる。
蒼空の能力であれば、靄を散らせることは可能だが、果たしてそれが正解かどうか分からない。
イルは身体の周りに靄を溜め込むように集めると、それを一気に吐き出すように解き放つ。
「さぁ!俺達の舞台はこれからが見せ場だッ!存分に楽しんでくれよ!?」
男を中心に放たれた靄は、会場を埋め尽くさんとする勢いで周囲を飲み込んでいき、シン達は黒い煙の中に飲み込まれてしまったかのように、視界を奪われてしまう。




