バッドタイミング
明庵がこちらの存在をまだ認識出来ないことを知り、朱影ら三人はホッと胸を撫で下ろす。溜めていた息を吐くと同時に、肩を大きく落とす朱影。
だが、瑜那の方はまだ気を緩めていなかった。声を発しようとする宵命の口を片手で塞ぎ、別の場所で安堵する朱影に音を立てぬよう、口に人差し指を立ててジェスチャーをする。
瑜那は、床に突き立てたナイフを再び手に取り、そのまま床を数回刃先で突き軽く音を立てる。が、それでも明庵は反応を示さなかった。
「んだよ、見えてねぇじゃねぇか」
「・・・どうやら、そうみたいですね」
細心の注意を払った瑜那の杞憂は、実現することなく煙のように消えていった。三人は折れた膝を伸ばし立ち上がると、合流しようと近づく。
すると突然、奥の方から音がした。何か重い物が床を擦るような音。それは一度だけ聴こえると、今度は明確に人の声のようなものが聞こえ始めた。
言葉ではないが、その者もこの現状を見て驚いているような反応だった。状況が掴めず、言葉を失っているような。しかし、その声の主もまるでその場の空気感を察し、息を殺すように静かになる。
自分達の他に、また新たに何かがやって来たのかと再び緊張感を走らせる朱影ら三人。思わず顔を見合わせるその途中、視線を動かした朱影がある重大なことに気がつく。
それは、今の音が明庵にも聞こえていたのか、彼も音のした方を少し目を見開きながら見つめていたのだ。
「なんスかね、今の音・・・」
まだ明庵が音に気が付いていることに、気が付いていない二人の少年に、慌てて朱影が静かにするように静止させる。
しかし、それとは逆に音のする方へ向かって一目散に走り出したのは、明庵だった。ここにきて漸くそれらしい手掛かりを見つけたと言わんばかりに向かっていく明庵に、三人は行動を制限されただ彼の行方を黙って見送ることしかできなかった。
焼け焦げた床の上を、力強く駆けていく音が建物内に反響する。アサシンギルドのアジトではなく、現実の建物の中を進み曲がり角へ消えていく明庵。
姿は見えずとも、そこで彼の足音が途絶えたことから何かを見つけたのか、或いは見失ったのか。三人はそれを確かめるべく、明庵の後を追った。
そこには、何かを見下ろして立ち尽くす男の後ろ姿があった。彼の影でよく見えないが、その足元から僅かに見える視線の先には、誰かが床に座っているのが見えた。
少年二人は目を細め、その座っている人物が誰なのか覗き込むが、イマイチ何者か分からずにいるようだった。だが、朱影はその人物に見覚えがあった。直接会った訳ではないが、白獅がその人物を連れてアジト内を歩いているところを目にしていた。
その時朱影は、また白獅が新しい人材を拾って来たのかとしか思わなかったが、今この状況とその床に座る人物の境遇を察すると、彼らにとっても由々しき事態に陥ってしまったことを悟るのだった。
「おいおいッ・・・!やべぇぞ。何ちゅうタイミングで戻って来やがったッ・・・!」
「朱影さん・・・?」
「何だよ、どうしたんスか?」
言葉を失った朱影の額からは、雫が一滴だけ滴った。朱影にとって、その人物がどうなろうと知ったことではなく、例えこの場で始末されたとしても困ることにはならない。
だが、彼が危惧しているのは、その人物からアサシンギルドの情報が漏洩する可能性があるということだった。
朱影がその人物を初めて見かけた時、その人物はまだ自分の置かれている状況に動揺しており、何も分かっていないという雰囲気だった。
ある程度のことは白獅が説明してくれたことだろう。それでアサシンギルドのことや、この現実世界に転移してきた者達がいることなど、WoF内に起きる異変とは別に、現実世界に現れ始めた異変について理解したのかも知れない。
しかし、今この状況においてそれが彼らの首を絞めることになり兼ねない。朱影の脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、何とかしてその人物の口を封じなければということだった。
自分達の存在や情報が漏洩するくらいなら、逸その事殺してしまった方が安心できるとさえ思い始めていた。素人が一人、この世を去ったところで彼らにとっても大した痛手ではない。
だが、その人物を連れて来たのは白獅の指示によるものだった為、彼に無言で始末する訳にもいかないと、何とかして白獅と連絡を取ろうと、二人の少年に自分の考えを話す朱影。




