無垢なる歓喜
唖然とするシュユー。しかし、彼の心にかかった不安の雲はすぐに祓われることとなる。真っ二つになった船の半身が、徐々にその姿を幻へと変えたのだ。
「ッ・・・!?フーファンか・・・!」
スユーフが両断した船は、フーファンの部隊が見せていた幻の姿。本物の船はもう片方に残った半身から姿を現す。妖術を発動するための祈祷師達は道具の準備は、血海を抜ける時より出来ていた。それだけの時間は十分にあったからだ。
同じようなタイミングで抜け出したシー・ギャングの船団を見たチン・シーが、仲間達にも隠したままフーファンと進めていた防衛策。例え策を知っていて、それを匂わせないようにしたところで、見る者によれば分かってしまう恐れがある。
彼女は、キングの幹部達を侮ってなどいなかった。細心の注意を払った彼女の策にまんまとハメられたスユーフは、驚きのあまり身体から力が抜けてしまう。
見極める目を持っていたと思っていた彼は、無意識の内に騙されたことに対してショックを受けていたのかもしれない。
「バッ・・・バカな・・・!故・・・こんなチープな罠に・・・」
自らの失態を振り払うように、スユーフは再び冴え渡る剣技で斬撃を放つ。しかし、動揺している彼の剣技には、それまでの鋭さはない。スユーフの技には、シン達の元いた世界である日本で言うところの、精神統一に通ずる技術を用いている。
故に、心の些細な動きを抱えたまま、技の真価を発揮することが出来なかったのだ。鋭さを失った彼の斬撃は、チン・シーの船から放たれた火矢によって相殺されていく。
「こちらは回避しただけなのだがな。思った以上の効果を与えたようだ」
幻の中から姿を現した船の中で、チン・シーが思わぬ成果に口角を上げて不敵に笑う。リンクの能力で繋がる弓兵達を使い、彼女は見事にスユーフの斬撃を撃墜していく。最早、その鈍った剣では彼女らの船に切り傷を与えることなど出来ないと思わせるほどに。
「もうよした方がいいんじゃねぇか?それよりも守りに手を貸せよ。俺らだけで手に負える相手じゃねぇぜ・・・ありゃぁ・・・」
ムキになるスユーフを呼び止めるダラーヒム。ハオランがいないとはいえ、相手は三大海賊の一人、チン・シー。キングがいない中で彼女を相手にするのは非常に部が悪いことを、彼はよく分かっていた。
群れの中にいるよりも、外から見ている者の方が全体の様子を把握出来ているというのは当然のこと。スユーフも、冷静な彼の声に目を覚ましたかのように大人しくなる。
目の前のことに没入し、単純なことさえも分からなくなっていたのかと、悔い改めたスユーフは刀を鞘に収め、大きく深呼吸する。
そして一度だけ抜刀の構えを取ると、最後の一振りと言わんばかりに全力の抜刀術を披露する。すると、銃弾のように飛んできていたチン・シー海賊団の火矢が、その場で細切れになり勢いを絶った。
「ボ・・・ボスは俺を、ば・・・罰するだろうか?」
「んなわけあるかよ。まぁ・・・そん時は俺も一緒に罰を受けてやるよ。進言したのは俺だからな・・・」
そう言うと、シー・ギャングから向けられていた敵意がなくなり、それ以来攻撃が一切チン・シー海賊団の元へ向けられることは無くなった。
冷静さを取り戻したスユーフの一撃に、チン・シー海賊団の攻撃の手も止まる。それ以上踏み込めばタダでは済まないといった空気を、船員達は悟ったのだろう。
同時に、チン・シーがリンクの能力で彼らを止めたのも重なり、第三陣の攻防は静かに終わりを迎えた。
シー・ギャングの攻勢の手が止まり、軍勢を一番に抜け出したのはツバキの船だった。最早彼らを邪魔するものはなく、そのままの勢いで無事ゴールへと辿り着いた。
その様子を会場から見ていたシンは、慌てて走り出し彼らを迎えに行く。大歓声の中を人混みを掻き分け、海岸へと向かう。ビリビリと響き渡る大歓声に混じり、船のエンジン音が次第に掻き消された。
漸く辿り着いた海岸でシンが目にしたのは、誰も欠けることなく無事にゴールした仲間達の姿だった。やっと心置きなく話せる者達を前に、シンは自分はここにいると大きく手をあげて彼らにアピールした。
それに気づいた彼らも、シンの方を指差し笑顔を向けて歩いてくる。
「シン!無事だったか!」
「あぁ、見ての通りだ。みんなも無事でよかった・・・」
再会を喜んでいるところに、一人ソワソワとした様子で彼を見つめる視線があった。誰よりもこのレースに熱い思いを賭けて臨んだのは、他ならぬその少年だった。
「それで!?順位は・・・。アンタは何位だったんだ!?」
「・・・二位だった」
シンは他に言葉を飾ることなく、結果だけをストレートに伝えた。するとs少年は、緊張の糸から解き放たれたかのように、その場で座り込んだ。思わぬ反応に彼らは驚いたが、少年はシンの到着順位を聞いて静かに笑い出した。
「嘘だろ!?信じられない!こんな奇跡が・・・。確かに望んだものだったけど、初めてのレースでこんな結果が待ってるなんて・・・」
笑いながら少年の目は潤んでいた。嬉しさのあまり、笑いながら止めどなくその目から大粒の涙をこぼしていた。これまで憎まれ口を叩いていた生意気な少年が、漸く子供らしい姿を見せたのだ。
余程嬉しかったのだろう。その身体を支えるようにミアが立たせると、彼らは観客の歓声と拍手の中、会場へと向かって歩き出した。




