招かれざる客
慌ただしく走り回る人の足音。飛び交う海賊達の声に、何か肉のようなものを斬りつける音が聞こえている。辺りを見渡すと、如何やら彼らは、リヴァイアサンとは別の何かに襲われ、戦っているようだった。
それはデイヴィスが海中で、キングの元へ向かう為の道案内をさせていた小型の竜の形をしたモンスターだった。次々に海面から飛び出す魚群のように彼らの船を襲い、まるで母体であるリヴァイアサンを攻撃させないようにしているようだった。
だが、その混乱のおかげでシン達は無事、気付かれることなくキングのいる船に辿り着くことができた。シンは静かにボードを船に近づけ、船体に手を触れると影が集まり、真っ黒な入り口が作られる。
「さぁ、ここから中に入ろう・・・!」
「これで中に・・・?あっあぁ・・・行こう・・・」
初めてシンの作り出す影の中を移動する者は、大抵こんな反応になる。それも当然だろう。どうぞと勧められて、何の躊躇いもなく入れるようなものではない。扉や洞窟の入り口とは訳が違うのだから。
例えるなら、先の見えぬ濃霧で充満した狭い通路へと、足を踏み入れるようなもの。見える恐怖とは違い、一切の情報がない中へ歩みを進めるというのは、様々なことを想像させる。
大抵は、良くないことばかり考えてしまい、必要以上に自分で自分を怖がらせてしまう。その結果、ちょっとした変化でもその恐怖は通常の恐怖と比べ物にならない程、大きなものになってしまう。
要するに、例えそこに何もなくとも、人間の想像力が恐怖を増大させてしまうということだ。
このおどろおどろしく流動する影の中へ入れば、キングのいる船内へ通じるのは間違いないだろう。何度もスキルを使っているシンがそう言うのだ。何も心配することはないのだが、それは当人の心持ちであり、他人には測れぬこと。
躊躇うデイヴィスの様子を見てそれを察したシンは、代わりに自身の身をもってそれを証明しようと、先に影の中へと入っていった。飲み込まれるように、黒々とした影の中へ消えていくシンの身体。だが、先に誰かが行くことで未知への扉というものは、格段に信憑性を増す。
意を決したように唾を飲み込み、影の中へ手を入れるデイヴィス。しかしその先は、何かに触れ得るわけでもなく、ただ外とは違い風を感じることはなかった。ボードから船に作られた影の入り口へは、少し距離がある。ゆっくりと慎重に行くことは許されない。
「あぁ・・・オーケー。シンも行ったんだ、俺も行けるさ」
自分に暗示をかけるように言葉を発し、影の中へと飛び込むデイヴィス。影曇る真っ暗な濃霧の中を抜けた先は、薄暗い船の中だった。船底の倉庫だろうか、人の気配はなく、上の方からは人間のものと思われる足音が聞こえてくる。
「さぁ、約束通りアンタをキングの船へ送り届けた。俺の役割は終わりだな?」
「あぁ、ありがとう。後はバレないように船へ戻ってくれ。何かあればロバーツやシンプソンらを頼ってくれ」
静かに頷いたシンは、彼の覚悟を見届け、再び影の中を通りボードのある外へと戻ろうとした。だがその時、誰の気配も感じなかった筈の船内から、何者かの声が聞こえてきた。
「折角来たのに、もう行っちまうのか?」
その声を聞いた瞬間、二人は心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃に襲われた。決して気付かれる訳にはいかぬ中、誰もいないと思っていたところで急に近くから聞こえた声は、その声色の何倍もの恐怖でシンを動けなくした。
すると突然、何かがシンの背中を強く突き飛ばす。それは、咄嗟に彼を逃さなくてはと動いたデイヴィスの腕だった。唐突に訪れた恐怖と衝撃に囚われることなく、デイヴィスは何よりも先にシンを逃すのだと身体を突き動かした。
「行けッ!船に戻るんだッ!!」
デイヴィスの声が、薄暗い船室に響く。シンは彼の言葉を背に受け、そのまま影の中へと押し込まれていった。だが、デイヴィスの決死の行動は、二人の計画していた道標のある道を歩ませることはなかった。
影に包み込まれ姿を消したシン。その直後、薄暗い船室のどこかで大きな物音がした。まるで誰かがバランスを崩し、床に倒れ込んだような物音。デイヴィスが物音の方へ視線を送る。
はっきりとは見えないが、床の辺りの低い位置に、何者かの人影があった。足を踏み出し、人影を覗き込むデイヴィス。何とそこには、後ろの影の中へ突き飛ばした筈のシンが、目を丸くし唖然とした様子で倒れていたのだ。
二人の思考が一瞬にして止まる。無意識に人間の脳内で起こる“理解“を飛び越え、彼らは互いに全く予想すらしていなかった光景を、その目に写していた。
身体も口も、脳でさえも動かなくなる二人の代わりに、先ほど聞こえた何者かの声が彼らに語りかけてきた。
「どこへ行くんだ?」
まるで、こうなる事を分かっていたかのように、余裕のある声が聞こえてくる。自身のスキルが、予期せぬ誤作動を起こしたのかのように衝撃を受けて動けぬシンの代わりに、デイヴィスがその声のする方を振り向く。
そこにはフードを被り、全身を覆う黒々としたコートに身を包んだ何者かが、机の上に腰掛け足をゆらゆらと揺らしてこちらを見ていた。否、見ていたかどうかは定かではない。ただその何者かの身体は、デイヴィスとシンが見えるような位置でこちらを向いていた。




