真見通す幻景の剣
逃げ去るシンのボードを追いかけるクトゥルプスだったが、ツクヨを下ろしたことでボードの速度は上がり、海を自在に泳ぎ進める彼女であっても追いつくには多少本気を出さねばならなかった。
何故突然、彼らのボードが速度を上げたのか、それに気づかぬ彼女ではない。追いかけている途中で、何かが海へと身を投げるのを感じたクトゥルプスだったが、先にシンを捕まえ海に引き摺り落とせば、後のもう一人など既に捕まえたも同然。
二兎を追おうとした彼女だったが、犠牲を経て逃げ仰せた獲物は取り逃してしまった。正確には逃したが正しいだろう。彼女はシンを追うよりも、自身を海賊船から吹き飛ばし切断した男へ、お返しをせねばと思っていたからだ。
「まぁいいわ。直ぐにお仲間諸共、海の藻屑にしてあげる。それよりもあの男だわ・・・。海面に立っている・・・。浮遊系の魔法か何かかしら?」
クトゥルプスの視界は、人間のそれとは比較にならないほど遠くまで見渡せ、ボードから降りたツクヨが海面に立っているのを発見した。大分遠くにいる彼は海面でフラついており、覚束ない足取りでこちらに向かって歩き出していた。
「あらあら・・・如何やら慣れていないみたいね。そんな即席の手段で私とやり合おうと言うのかしら?」
ツクヨの姿に、既に勝敗は期しているようなものだとクトゥルプスは嘲笑い一気に加速して、まだ海面を歩くのに不慣れなツクヨの元へと向かって行く。
目を閉じたまま歩き出すツクヨ。彼の瞼の裏にはウユニ塩湖のような空と海がくっ付いて見える景色が広がっていた。その中を歩くように、彼は想像の景色の中に自分を投影する。
すると、彼の創り出したその景色の中で、水面の中を水を切り裂き進んで来る何かを見つける。彼は直ぐにそれが何かに気がつく。それもその筈。この状況で乗り物に乗らず、彼の元へ向かって来る者などただ一つしかない。
そのまま突進でもするかのように、勢いを落とさず向かって来るソレに、ツクヨは横へ飛び込むように回避する。案の定、水中を進んで来ていたソレは勢いそのままに空を切る何らかの攻撃を仕掛けて来ていた。
敵の姿が見えることはないが、彼の景色の中で水面に映し出される水の動きや、水面より上の空の景色に漂う風の動きで何かが自分に迫っている事が分かるのだ。
「目を閉じたまま躱した・・・?薄目で見ているのかしら・・・それとも余裕とでも言いたいの?・・・いいわ、直ぐに海中へ引き摺り込んであげるッ!」
触手を荒ぶらせ、海中から上に立つツクヨを襲撃するクトゥルプスだったが、まるで彼女の次の攻撃が見えているかのように紙一重で躱すツクヨ。そして躱しながら手にしている布都御魂剣で、次々に触手を切断し切れ端は宙を舞った。
「そんなッ・・・!まさか見切ったとでも言うの!?」
信じられないといった様子で、自らの触手が降り注ぐ光景に唖然とするクトゥルプス。動きの止まった彼女目掛けて、ツクヨは布都御魂剣を抜刀術のように構え一気に振り抜き、横薙ぎ一閃の剣技を放つ。
彼の見ている景色には、静かに入水する斬撃と振り抜いた衝撃で靡く風の流れが見て取れる。すると、水中でこれまでとは違う現象が起こり出す。それはクトゥルプスがいるであろう位置で僅かに水がボヤけ始めたのだ。
変化はそれ以上大きくなることはなく、何処かへ行ってしまったかのようにフッと消えてしまった。しかし、ツクヨの瞼の向こう側では、彼の放った斬撃がクトゥルプスを捉え、命中した箇所から出血を起こしていたのだ。
直ぐにその場を離れ、ツクヨとの距離を開けると、彼女は傷口を押さえ修復し乱れた呼吸を整える。そして再びツクヨの様子を伺うと、彼は布都御魂剣を持っている手とは反対の脇の方へ引いて構え、いつでも抜刀出来る体勢のまま、こちらを探すように首を動かしている。
「こちらを見失っている・・・?それともあれは演技なの?」
それならばと、彼女は自らの気配を断ち、静かに海中を下へ下へと潜って行くと、ある程度の深さで止まり彼の真下に再び陣取る。今度は近づかぬよう、触手を素早く振り、水圧カッターのような鋭い衝撃波を幾つか放った。
小さく轟音を響かせながらツクヨに迫る衝撃波。だが、彼はそれをも見破り、下から迫る気配に気がつくと瞬時に上空へ飛び上がり、身体を捻りながら回転すると、そのまま先程のように布都御魂剣を振り抜き斬撃を放つ。
鋭い斬撃は綺麗に水中に入ると、彼女の位置からでは見にくい角度で突き進む。しかし、今度はツクヨとの間に距離がある。確かに気付くのは遅れたが、水中で自在に動ける彼女に避け切れない技ではない。
迫る斬撃を身を翻して避けるクトゥルプス。その時、避けたはずの彼女の周辺に赤黒い靄が立ち込める。
「え・・・?」
靄の中へ視線を向けると、そこには彼女の身体から切り離された触手が数本、水中を漂っていた。何とツクヨは着地するまでの間に剣を数回振るっており、その分だけ斬撃を撃ち放っていたのだ。




