人の世の少女と、怪物の少年
少女の背後にある光景が静かに歪み始め、まるで蜃気楼のようにゆらゆらと揺れる。すると、何処にも見当たらなかった筈の船員達が、空間の歪みから現れたとでもいうのか、突如としてその姿を現した。
メデューズにいいようにやられていたのが嘘のように、その船員達は既に次の術の準備に取り掛かっているのだろうか、様々な体勢で祈祷を捧げていた。
「あらら・・・。もしかして僕・・・誘い込まれたんですかね?」
その声色からは、言動とは裏原に緊張や焦りといった様子は窺えない。それはこの少年の内にある余裕というものを、更に引き立てるだけの嫌味にも受け取れた。これ程容易に、船内の中枢に隠されたこの部屋まで来れたのだ。彼らにとってはそれだけで、普通の敵ではない脅威として受け取れた。
メデューズの接近は、妖術の要でもあるフーファンのみが、一早く察知していた。その為、一人でメデューズの侵入して来た部屋に術をかけ、彼は夢幻の中で惨劇を繰り広げていた。
フーファンが術をかけたおかげで、メデューズの惨劇が現実のものとならなかった為に生きながらえた術者達は、その後少女のサポートに周り、敵に術を悟られないよう強化し、メデューズをこの部屋に閉じ込めたのだ。
襲撃は直ぐに船内に伝えられ、通信や術に頼らないアナログな方法で各所へ報告、救援要請がなされることになる。それを聞きつけた船員の一人が、ミアを迎えたシュユーの元へ行き、船が襲撃されたことを伝える。
メデューズは室内の触手を力一杯振るい、外壁を破壊しようと試みる。だが、彼の触手は水飛沫となり弾け飛ぶ。予想外の術の強度に驚いたのか、メデューズ目お見開き、その後も脱出を試みようとするが全く歯が立たなかった。
「無駄だッ!我々の術は一度発動してしまえば、そう簡単に突破できるものではないッ!」
「・・・そう・・・ですか」
触手を振るい、暴れ回っていた彼は、術者の言葉に脱出を諦めたかのように大人しくなる。しかし、そんな簡単に諦める筈もなく、メデューズを静かに集中し始め、鋭い眼光をフーファン達に向ける。
彼の秘められた力の片鱗を見たかのように、後退りする何人かの術者達だったが、未だ彼らが優勢であることに変わりはない。捕らえているのはこちら。そして既にメデューズは彼らの術中にある。
堪えた足を前に踏み出し、再度術に集中する。その間、メデューズは船の外からチン・シー海賊団の本隊への攻撃を試みていた。深海から人の手の形をした触手が幾つも、彼らの乗る船の船底を毟り取ろうとするが、シールドのようなものに阻まれ、内部へ攻撃が出来ずにいた。
「外から攻撃しようとしても無駄ですッ!甘くみないで欲しいですね。貴方は既に外からも内からも、隔離されているですよッ!」
フーファンの貼った結界は、メデューズを部屋に閉じ込めるだけでなく、外からの援軍や攻撃を遮る二重結界の構造になっていた。故に、彼の呼んだ本体の複製体達の触手が船に届くことはない。
「・・・はぁ。静かに潜入して本部を潰し、総大将を暗殺するくらい簡単だと思ったんですがね・・・。こうなってしまったのなら仕方ないですね。・・・ここからは、僕の得意分野でやらせてもらいますよ」
メデューズは、そう言って嫌な笑みを浮かべると、室内の触手の数を更に増やしていく。その数は、術を貼っていたフーファンや術者達の絶対的な安心感を、根本から揺るがす程の衝撃と不安を与える。
これだけの力を、果たして抑え込めるのだろうか。その場にいた誰もがそう思っただろう。結界に閉じ込めた段階で感じていたメデューズの力からは、想像も出来ないオーラやエネルギーと呼ばれるものが、視覚的に見える程の力を放っている。
そして、いくぞと言わんばかりにフーファン達を睨みつけたメデューズは、一気に触手を暴れさせ、室内に貼った結界を破ろうと、激しく打ち付ける。衝撃はまだ外の船内に漏れてはいないが、それも時間の問題。
結界の維持を支えていた術者達の表情が苦悶に歪み、息苦しさの中で大量の汗をかき、顔面は蒼白となり限界を迎えた者から膝をつき、力尽きたように突っ伏していく。
結界の力を弱めていく彼らに比例し、メデューズの力は徐々に檻の中から解放され、その衝撃は船内へと及び、大きな揺れや船内の破損という形となって現れ始める。
「そんなッ・・・!まさか、これ程の力を隠し持っていたなんてッ・・・。皆さんッ!もう少し・・・もう少しだけ頑張るですよッ!!通達は広まってる筈・・・、直ぐに援軍がッ・・・」
術の中心であったフーファンが、メデューズの圧倒的に力に押され後退りする中、周囲にいた筈の仲間達は次々に倒れ、吹き飛ばされていく。
「援軍?結構なことです。・・・それまで貴方達が、持ち堪えられたらいいですね」
メデューズが結界を打ち破ろうと、更に触手の勢いを加速させる。そして彼らが辛うじて留めていたメデューズの力は、結界を打ち破り、船全体へと及び出してしまった。
床に手をつき、遂に膝の折れたフーファンの元へ歩み寄る少年。彼は何も言わずに少しの間少女を見下ろすと、一度だけ長い瞬きをし、周囲を荒らし回った触手でフーファンを自らの視線の高さにまで持ち上げる。
「小さな身体でよく頑張ったものです。周りの大人が不甲斐ないと、こんな子供にまで苦労を強いるとは・・・」
「・・・自分で・・・望んだこと・・・です。みんな・・・私の家族ですよッ・・・!」
締め上げられながらも、必死に争うフーファン。決して少年の言うように、命令されて生きているのではない。自らの意志でここにいるのだと、メデューズの言葉を否定する。
「哀れな・・・。人は常に大きな力に洗脳され、知らず知らずの内に利用されるものですよ。自らの望みを持ち、本能のままに生きることこそ生き物の本懐。絶望を知る前に、ここで終わらせてあげましょう・・・」
一本の触手をフーファンの首に巻き付け始める。それまで以上に苦しむ彼女は、哀れみの表情を向ける怪物の少年に、笑みを浮かべて答える。
「・・・死にたくなるような絶望なら・・・とうに見てきた・・・ですよ・・・」




