万全の体制、終わらぬ驚異
シンがツクヨを助け出し、海賊船へと向かっている時より僅かに時間は遡る。
ロロネーの敵船へ単身乗り込み、次々に撃沈しては、主人に迫る敵軍の数を減らして行っていたハオラン。濃霧で視界の悪い中、彼の働きによりチン・シー軍への迎撃は、限りなく少数に留められていた。
しかしそれはロロネーの手の内。圧倒的な大軍勢を抑え、戦況を整える為にチン・シー軍を後退させるには、誰かが殿を努めなければならなかった。部隊を集め、殿軍を編成しても良かったのだが、それを封じるように海賊の亡霊による奇襲をかけられてしまう。
士気の低下や船員の負傷といったパニックを引き起こした状態で部隊を組んでも、すぐに壊滅させられてしまうのが関の山だ。自軍の置かれている状況を判断したハオランが、自ら名乗り出て単独の殿を引き受けたのだ。
そして、その恐ろしいまでの身体能力で敵船を潰して周るハオランは、敵軍の総大将であるロロネーの姿を探していた。後方にいる仲間達が何に襲われているかも知らず、彼は漸く探し求めていた人物を見つけ出した。
ロロネー海賊団の船の中では、人気は損傷が少なく装飾の凝った船が一隻、濃霧の奥の方に見え始めた。それに気付いたハオランは、一つまた一つと船を飛んでいき、瞬く間に海賊船の群れを撃沈しながら、その船に奴が乗っていることを信じて突き進む。
その船までの道のりにあった最後の船を潰し、目標の船まで跳躍している間際、上空からその船の甲板を見渡すと、船首のあたりに明かにそれらしき人物を捉える。恐らく奴は、ハオランがその船に跳躍して来るのに気付いていただろう。
だが、動じることなくその場で腕を組み、彼の着地する音にも振り返ることなく、その顔に如何にも悪党が浮かべるであろう笑みをし、声が掛けられるのを待っている。
ハオランは正々堂々と戦う男だ。不意打ちなどする筈がないことは、ロロネーの執拗な下調べにより既に破れている。ハオランもそんな卑怯な手段に出るつもりは毛頭無いといった様子で、足音を消す事もなく、船首で待ち構えるその者の元へと向かっていく。
「漸く見つけたぞ、フランソワ・ロロネー。我が主人を冒涜し命を付け狙った罪は、その命で償ってもらうぞッ・・・」
そう言うとハオランは、武闘家のような構えを取り、ロロネーの動向を伺う。予想通りの決まり文句で来たかと、嬉しそうに振り返るとグラン・ヴァーグで顔を合わせて以来、漸く再会することとなる。
「冒涜・・・?はッ!違う違う。何も殺そうとしてる訳じゃぁねぇのさ。アイツの力には、とてつもねぇ可能性がある。俺ぁそいつが欲しいだけだ。おまけにあれだけの美貌の持ち主だ、俺の女として側に置いておこうと思っただけさ!」
演劇かと言わんばかりに大きな身振り手振りをしながら、自身の目的について話すロロネー。この男は彼女への冒涜ではないと言っていたが、ハオランにはまるで自分や家族を馬鹿にされ、コケにされているかのような屈辱が胸の奥から込み上げて来る。
「貴様があの方の事を口にしただけで虫唾が走る・・・!その汚らわしい命であの方に近づくことさえ許されん。せめてこの静かな海の藻屑に変えてやることを、ありがたく思うことだ」
常に冷静沈着な彼にしては、珍しく感情的な口調でロロネーを罵り挑発する。それだけ彼の中で、チン・シーという存在が特別なのだろう。彼女に全てを委ね、その剣となることを何よりの喜びとしている。
チン・シーも、ハオランのことは特別扱いしているようで、それは戦闘における彼の活躍や、彼女の力“リンク”との相性の良さだけではない。
敵に本陣まで攻め込まれているにも関わらず、やけに落ち着いた様子のロロネーに、彼は少し違和感を覚えた。ただ暴力や欲望によって名を馳せるだけの男なら、彼が手を下さずとも、この大海であれば直ぐに命を落としている事だろう。
ロロネーには、ロッシュと同じく思考を巡らせた戦略家としての一面もある。それに彼は用心深く、自らの秘密は部下にも悟らせない程だと言われている。チン・シー海賊団屈指の戦闘力を誇るハオランと一騎討ちになって、これ程余裕を見せられるということは、何かあるに違いない。
「随分な言われようだなぁ、おい・・・。だがお前がノコノコと俺の前に姿を現したのは失敗だったな。いいのかぃ?今頃お前が命を投げ出して逃した奴らは、この霧の中でどんな目に合っているのやら・・・」
「舐めるな。あの程度の船団が向かったところで、我が軍は揺らぐことはない。必ず討ち滅ぼしてくれるだろう。貴様は自分の心配でもしたらどうだ?俺は斬ったり突いたりする、“すぐに死ぬ”やり方ではない。この拳は骨を砕き、肉を打つ激痛の中で息絶える苦しみを与える」
様々な武器を使いこなせるハオランだが、彼が最も得意とする攻撃方法は、シンプルに己の肉体を使った打撃だ。切断や刺突といった武器による痛みとは、また違った苦痛を相手に与える。彼の身体能力から放たれる武術の数々は、バリエーションに富んでおりその威力は想像を絶するだろう。
だが、彼はまだ知らない。彼が自身の死よりも重要視する者の身に、危険が迫っていることを。
「お前らの戦力なんざ、戦う前からリサーチ済みだ!この霧はなぁ、俺らのいるここよりも、より外の方が濃くなっているんだぜぁ?そりゃぁもう、すぐ近くの船すら認識出来ねぇ程にな。それに・・・」
眉を潜めるハオランの顔を見て、満足げな笑みと声を漏らし、濃霧に潜む影達の存在を匂わせる。そして、まるで空から降りしきる雪をその掌で拾うかのように動かす。
「こいつぁ俺達にとって有利に働く。条件は同じじゃぁねぇのさ。この霧も船上も海も・・・全てにおいて俺達を勝利へと導くってぇもんだ。アイツらはお前らじゃどうにも出来ねぇだろうよ・・・」
ロロネーの言う“アイツら”こそ、今濃霧の中で彼らやミア達を襲っている複数存在する謎の少年と、触手の女のことだった。
ミアの電撃により身動きが取れなくなっていた少年は、乗り込んでいたチン・シーの海賊船を撃沈させ、海に溶け込むようにして新たな獲物の元へと移動を開始していた。
同じく、ツクヨによって両断され、海に落とされた触手の女も海中で意識を取り戻し、切断された半身を拾い上げ切断面を合わせるとグチャグチャと違いを引き合わせるように吸い付き、元の身体の形へと戻っていくと、不敵な笑みを浮かべながらシン達の向かった海賊船へ帰って行った。




