至極の抱擁
ミアは船内に積み込まれたツバキの船から、ハオランやシン達が乗っていたものと同じボードを取り出すと、階段を降り船底の方へとやって来る。そこには船底で作業をする船員達と、見送りに来ていたツクヨの姿があった。
「さっきの連中は知らんが、他の奴らなら話を聞いてくれるだろう。本来なら自分達のケツは自分で拭くもんなんだが・・・、恐らく他でも同じようなことが起きてる筈だ。・・・客人にこんな事させるのは忍びないんだが・・・」
この船を指揮する代表の者が、ミアに他の船の様子を見て来て貰いたいのと、事態が悪化していたのなら手助けをして欲しいと依頼し、自分達が持ち場を離れられないことを謝罪する。
「構わないさ。それより通信機器に頼らない連絡の取り方はないのか?いつまでもこのままとはいかんだろう。恐らくこの霧が晴れるという可能性には、期待できないしな・・・」
濃霧はロロネー海賊団によるものと見て、先ず間違いないだろう。自然現象にしては、あまりに都合が良過ぎる。濃霧が晴れる時、それはロロネーを退けた時ということになる。
「我々の各海賊船には、船長のリンク拾うための受信機能を拡大させる為に、数人の妖術師が乗船している。もし、襲撃で負傷していなければ、お互いの術を通して会話をすることが可能だ。船に到着したら、妖術師の生存を確認してみてくれ」
彼の話では、チン・シーのリンクというスキルは単体だと範囲や人数が狭く少ない仕様のようだ。それを妖術師のスキルで補助し、多くの人間に対象の能力の一部を共有させていた。
その応用で、通話や文章等のやり取りを可能にしたり、物資や人の空間移動を行っていたらしい。だが、それには互いの船に乗る妖術師が、同じ設備を整え同じスキルを使わなければならないようで、一方的に片方が通信を送っても、それが届くことはないのだという。
「分かった、確認してみよう。それじゃぁツクヨ、ツバキを頼む」
「あぁ、任せてくれ!ミア・・・君も無茶するんじゃないぞ?」
彼らとの別れの挨拶を済ませ、ミアは海面へ浮かべたボードへ乗り込みエンジンを掛けると、一度だけ振り向き手を振る。そして彼女は、濃霧が立ち込める海上を波を立てながら駆け抜けていった。
ミアが船を立ち、他の海賊船を探しに向かった頃、また別の船では更なる異変が起きていた。それは友軍とまだ遭遇しておらず、謎の少年による襲撃も受けていない船でのことだった。
まだ火矢を射って来る者の正体を把握していない船は、依然変わりなく火矢と亡霊による襲撃を受けていた。それでもその数は最初の時より減少し、ある程度押し返していると錯覚さえしていた。
この船を指揮する者が甲板で戦闘を行っていると、突然船が大きな音と共に揺れ出した。何事かと声を上げて、周囲の様子を伺う男。すると船内へ続く扉の一つが開き、中から女性の船員が姿を現したのだ。
「船底に大きな損傷がッ・・・!すみません指揮官、一度こちらを確認していただけますか?」
「分かった、直ぐに行くッ!すまないが此処は任せたぞ」
火矢の対処と亡霊との戦闘を現場の部隊に任せ、男は一度女性船員の元へと向かう。男が来るのを待っていたその船員が、扉を開けれ船内へと招き入れると、敵の侵入を阻止するためか扉に施錠をする。
「こちらです」
船の損傷箇所へ案内するため、男の前に出て船内を進んで行く船員。その道中、損傷の度合いやそれによる不具合は無いかなど、事前に知り得る情報を、案内する船員に尋ねる男。
女性船員の話では、損傷こそ大きいものの奇跡的に被害は少なく済み、不具合も今のところ確認は出来ていないのだと言う。その報告を受け、男の中に引っかかるものがあった。
船の底を攻撃され、あれだけ大きく船体を揺らしたというのに、全く船の操縦や運航に支障が出ないものだろうか。それを自らの目で確認するという意味でも、現場への到着を待つ。
「お待たせしました。この先になります」
案内された場所の扉は既に半壊しており、その穴から覗かせる室内の様子も酷く荒れている。周囲の機器や倉庫にも損壊はあるようだが、一見して異常が出ているようには見えない。だが、異変がないとも限らないので、造船・修繕に詳しい船員を新たに連れて来ようかと思った時、男はあるものに気づく。
「これは・・・?船体に空いた穴から水の跡が続いている・・・。何か入って来たのか?」
床に広がる水に触れようとしたところ、男に何かがぶつかってくっついて来るものがあった。一瞬何かと驚き身構える男だったが、衝撃があった方を見て安堵する。それは、何者かの侵入を疑った男の発言に恐怖を感じた、女性船員が彼にしがみ付いたことによるものだった。
「す・・・すみません・・・。何かが・・・入って来たのでしょうか・・・?」
震えた声で怯える船員。彼女のように非戦闘員の者も乗っている為、一人で危機を前にしたことで、何者かに襲われるという死への恐怖を感じたのだろう。驚かせてしまったかと、男は弁明する様に前言を不確かな憶測であると説明する。
「分からない・・・まだ憶測でしかない。安心しろ、その為に来たのだ。何かあれば直ぐに仲間も駆けつける」
緊迫している状況下ではあったが、船員の危機を前にした小動物の様に震えながら自分に頼る姿に、僅かながら男の心臓が鼓動を高鳴らせた。そして、背中にしがみつく様に密着する船員の方を振り返る男。
「私・・・海の生き物とか苦手で・・・。特にヌルヌルとした不規則に動く生き物とか・・・」
突然、自分の苦手なものについて話し出した船員。その顔までは見えなかったが、海には似つかわしくない甘い香りと、男の背中から滑らせる様に身体に巻きつく暖かく柔らかいものの感触が、男の身体を恐怖とは別の意味で緊張させた。
「・・・丁度、こんな感じの・・・」
男の身体の前へ回って来る巻きつくものに手を添えると、それは男が思っていた様なものではないことに気づく。何かおかしいと思い、自分の添えた手に視線を落とすと、男の身体に巻きついていたのは、男の太腿くらいに太いヌルヌルとした触手が、ゆっくりと背中にいるであろう女性船員と男を吸い付ける様に巻き上げていた。
「うッ・・・!これはッ!?」
何とか振り解こうと暴れるも、巻きつく触手はビクともせず、じわりじわりと男の身体に、肉を締め上げ骨を砕く様にしてめり込んで行く。まるで木の枝でも折ったかの様に、男の身体の骨が次々に折れていく音が響き渡る。
「あ“あ”あ“あ”あ“ッ・・・!!」
「貴方が見ていたのは理想の姿・・・。これが本当のワ・タ・シ。貴方の好きな顔・声・身体に抱かれて死ねるなんて幸せね。・・・ねぇ・・・こっち向いて・・・」
女は男の首を触手で後ろへゆっくり回すと、人体の構造上絶対に回らぬところまで首を回してその姿を瞳に映し出す。涙や血で溢れる男の顔は、女の言う幸福なものとはかけ離れた、恐怖と絶望の表情に歪んでいた。
「・・・ぁぁ・・・ぁ・・・」
最早生きているとは言えぬ男の身体をそのまま触手で締め上げ、女の情熱的な抱擁は男の身体を両断した。返り血で真っ赤に染まる全身。舌舐めずりをして男の血を味わうと、恍惚とした表情でその場を後にする触手の女。
濃霧で分断し、孤立した彼らの船を一つまた一つと、新たなる脅威が殺意を忍ばせ静かに浸食していた。




