かけがえのない出会い
周囲一帯の空間が、まるで時間が止まったかのように動かなくなる。その止まった時間の中で唯一動いていたのが、真っ赤に燃え盛る炎とそれに身を包まれた者達だけだった。
ヴォルテルの盾から噴射された炎は、一直線上に人や物を雑草を薙ぎ払うかの如く焼き尽くし、業火に焼かれていた者達も次第に動かなくなるか、弱々しく虫の息になるかのどちらかだ。
それはグレイス軍の将であるルシアンでも例外ではなく、身体に纏わり付いた炎を転げ回ったことで何とか鎮めたものの、その疲労とダメージは深刻だった。中には炎を消すため船から飛び降りた者達もいたが、とても救助に向かえるような状況ではない。
仲間や指揮官のそんな姿と声を聞いて、すっかり縮こまってしまったグレイス軍の船員達。彼らがワナワナとしていると、盾の中央に空いた大きな口が形を変えて閉じる。その音を聞いて、我に帰った者達の視線がヴォルテルへと注がれる。
男はゆっくり盾を持ち上げ横にズラすと、盾という壁一枚を隔てた前方、自らが焼き払った景色を眺め、ご満悦そうな表情を浮かべて笑い出す。彼の悪魔のような所業に、遂にグレイス軍の士気は大暴落。戦場は更に荒れ、武器を手放し海へ身を投げる者や、腰が砕けてその場に崩れ落ちる者が続出した。
炎を消し、何とか意識を保っていたルシアンが床に倒れながら、見るも拒まれる凄惨な戦場から聞こえてくる男の笑い声と、慌ただしく甲板の上を走る足音、そして海に何かが次々に落ちていく音を僅かに拾っていた。
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陽射しが強く気温の高い海岸沿い。潮風の匂いと風に運ばれて来る砂が、岩や建物に吹き付ける港町に、小さくも出来立ての酒場があった。渋めの髭とキリッとした制服を見に纏い、開店の準備をする男がカウンターでグラスを磨いている。
店内はそれ程広くはなかったが、ショーをするためのステージが設けられた構造になっており、酒を嗜みながら日替わりで開かれるショーを肴に楽しめる酒場として、その町では一目置かれる人気店となっている。
舞台袖から一人の少女が姿を表すと、身に着けた真っ赤なドレスと、ステージ上で心地よく響く木材に金属が打ちつけられるような心地の良い音を鳴らし、動きのチェックやシューズの音の鳴り具合を確かめている。
「OKッ!マスター、準備できた。いつでもいけるよ!」
元気よくカウンターにいる男性に声をかけた少女こそ、まだ幼さの残るグレイス・オマリーその人であった。そして彼女にマスターと呼ばれる、この店の店主がルシアン・ラングレーその人である。
二人はまだ、グレイスが一人の男性との恋に落ちる前の、あどけなさの残るダンサーとして店で踊っていた頃からの長い付き合いだった。
水夫として働き、ある程度歳を重ねたルシアンは、念願だった自分の店を建て、余生をゆっくり過ごしていくつもりだったが、この港町に酒場は多く開店当初は全くと言っていいほど人は入らなかった。
勿論、初めから上手くいくなど思ってもいなかったが、想像異常に苦しいスタートにルシアンは悩まされていた。
そんな時現れたのがグレイスだった。彼女が言うには、ありきたりな店ではまず人は入らない。客を入れたいなら目新しく、気持ちよく酒が飲める場所でなくてならないと、自慢げに語りかけて来た。
こんな小娘に何が分かるのかと、適当に話を流していたルシアン。すると彼女は踊りが出来ると言い出し、ここで働かせて貰えるのなら専属のダンサーになってもいいと、上から目線で申し出て来た。
どうせ客など入らないのだ。ルシアンは店を潰さない程度に勝手にしてくれと、彼女の申し出を受け入れた。思い通りに行かぬ生活に、店の酒に手を出すようになっていたルシアンは、一人店の繁盛に尽力するグレイスの姿を肴に、堕落した日々を送っていた。
初めの数日こそ、全く人の出入りのなかった店に、徐々に客が訪れるようになって来た。流石の彼も、客が入った時はしっかり接客をしていた。だが一体どうして客が入り始めたのか。
まさかこのグレイスという少女が、身売りをして客寄せでもしているのではないかと心配になり、ある日の休日にこっそりと少女の跡をつけてみることにした。
グレイスは、その身にしてはやや大きめのショルダーバッグをパンパンに膨らませ、町に繰り出していく。すると彼女は様々な船の泊まる港に繰り出すと、バッグに詰め込んだチラシを片っ端から配りだしたのだ。
海賊などもやって来る荒々しい港ではあったが、少女ということもありあまり乱暴にあしらわれる事はなかった。それにしても、こんな物騒な所に子供が一人で訪れているなど見てはいられなかったルシアンは、やめさせようと少女の元へ向かおうとしたが、満足したのか少女は港を後にし、町の方へと戻っていった。
漸くやめたのかとホッとしたのも束の間、少女は次に町中でのチラシ配りを始めた。全く相手にしない者が殆どで、受け取ってくれたと思ったら少し離れたところで捨てていく光景を何度も見た。ごみ箱に捨てられたチラシが視界に入っているだろうに、少女の心は折れることがなかった。




