世界の境目
雑居ビルの隙間に開いた狭い通路。夕暮れ時という事も相まって、不気味なほど暗くなっている。所々に散らばるネオンの光が、先へ進む道を照らす道標のようになっているかのようだった。
路地の見える位置から少し離れたところから、暫く様子を伺う出雲。どんな人物が出入りしているのか、不審な挙動をする人間などが居ないかなど、相手の動きや出方を先に把握しようとするもの、日が暮れて街の明かりが煌びやかに周囲を照らす時間帯になっても、出雲の探しているような人物は現れなかった。
これ以上見張っていても無駄かと諦めをつけた頃、出雲のスマホに宛先不明のメッセージが届く。そこには、あたかも出雲の様子を何処からか見ているかのような文面が表示されていた。
自分が何処からか見られていると直ぐに察した出雲は、こちらがそれに気がついた事を気取られないように、慎重に周囲を確認していく。だがやはり周りに怪しい人物などは何処にも見当たらない。
すると、続けて同じ相手からメッセージが届く。
《探しても無駄だ。いくら待っても構わないが、結果は同じだぞ》
今度は出雲からも、メッセージに対して返信を行う。送信自体にエラーが起きないという事は、向こう側からこちらの信号を受信している事が分かる。一方的なデータの送信でないのなら、こちらからもアクションを起こせると判断した出雲は、送信者の現在地や端末情報を習得できるアプリを起動する。
「なッ・・・!?」
そこに表示された送信者の現在地を見た時、出雲は思わず目を見開き声を上げてしまった。直ぐに声を殺して周りの目など気にしている余裕がないといった様子で、周りを確認し始める。
彼が驚いたのも無理もない。送信者の現在地を表示した出雲のスマホの画面には、彼自身居場所と送信者の居場所が重なって表示されていたのだから。
出雲は現在、屋内にはいなかった。そしてそのアプリの機能上、信号の送受信の位置が近過ぎると表示に不具合が生じるなどという事は、今までにも確認された事がない。
つまり表示のバグではないという事だ。相手は確実に出雲の側にいる。それも今にも触れられそうな程近くに居るのだ。
見えない存在というものに覚えのあった出雲は、直ぐに先程店のオーナーから受け取った新型のドローンを放った。銀色のキューブは放たれた勢いのまま空中で変形し、四本のアームを展開しそれぞれが自在に方向を調整できるプロペラでホバリングを開始する。
周囲に特定にデータ反応を可視化させるライトを照射しながら、出雲ごと周囲を照らし謂わゆる“異変”を探す。出雲は以前から異変を可視化させる装置を使っていた。これは彼が、これまで直面して来た異変が絡んだ事件の際に、そこにだけある微量の反応だけを検知する物を作っていた事から可能になった技術だった。
多くのハッカー達を相手にして来た事で、出雲の中にもある程度のハッキングの知識や彼らの技術が身に染み込んでいた。加えて、家族をその異変によって殺されたと思っている出雲は、目的を達成する為に足を洗った元ハッカーや刑期を終えて出て来た囚人達に、報酬を支払う代わりに独自に調べ物や仕事をさせていたのだ。
無論、それらの行為は例え職を追われたとしても法に触れる事はない。しかし危険な橋を渡っているのは確かだった。犯罪の再発防止も兼ねての行いであるが故に目を瞑られているところがあるが、本格的な捜査の手が入れば出雲の異変を調べると言う目的は遠退いてしまう。
出雲のドローンから照射されたライトに照らされ、何度か周囲を見て回った彼の前に突然、街の景観にはとても似つかわしくない真っ黒なローブに身を包んだ人物が現れた。
「ッ!?」
驚きのあまり、声を出すことすら憚られた出雲はその人物と距離を空けるように数歩だけ後退りした。出雲が平然を装った僅かに震えた声で何者かと問うと、ここでは都合が悪いと言ってローブの人物は、当初の目的地であった路地裏へ向かうように彼を促した。
ローブの人物の声は加工されており、男から女かも分からないような電子音になっており、声からでは何も情報を掴むことはできなかった。何故ここでは都合が悪いのか分からぬまま、出雲はその人物に誘われるように、ネオンの光が散りばめられた路地の中へと入って行く。
その道中、店の裏口からゴミを捨てる人物や、その路地を近道として使っている者達と何度か目が合ったが、彼らは路地裏に入ってから先導し始めたローブの人物は見えていないようだった。
人目につくところで特殊な改造を施したドローンは使えない。この場で彼らにもこのローブの人物が見えるかどうか尋ねてみたいという気持ちを抑えつつ向かった先は、何処かの雑居ビルの裏口の扉の前だった。
ローブの人物は扉の前で振り返り、出雲に扉を開けるよう促す。一見何処にでもあるような扉で、形状からも扉を開けたところでビルの中に入るだけではと疑問を抱く。
そして何より、こういった裏口は外から不用意に入れないように鍵やセキュリティが掛けられている場合が殆どだろう。そもそも扉は開けられないのではと、ノブに手を掛けて捻る出雲。
だが意外なことに、扉には鍵などは掛けられていなかった。もう一度ローブの人物の方へ視線を送ると、その人物は構わず開けろと言わんばかりに、頭を一度だけ扉の方へと振る。
近い位置からフードの中を覗いてみたが、周りが暗かったりローブの人物の背後に光源が合あった事も相まって、顔の輪郭すら見る事が叶わなかった。
渋々その人物に促されるまま扉を開ける出雲。ふと彼の脳裏に過ったのは、以前にシンを見つけた時のような、目に見えている建物の構造と異変によって作り出された空間の境目を跨ぐ瞬間の光景だった。
扉の先はまだ現実にある建物のように見えるが、一歩この“境目”を跨げばそこは出雲がこの世界にある筈のない別の世界の何かを目にする事になるのだと、彼は直感的に空気の切り替わりを肌で感じ取った。




