異世界からやって来た存在
ヘラルト・アーガー・オッド。
彼は聖都ユスティーチを旅立ったシン達一行の馬車に拾われた、大量の画材と古文書を集める作家のクラスに“少年”だった。
だが、今シンの目の前でその名を語るのは、嘗ての彼からは想像もつかない程の歳を重ねた姿の老人だった。確かにWoFで出会ったヘラルトという少年と同じように、彼のラボには様々な歴史的本や書物、そして見たこともないような図解や計算式、更には異世界の生き物と思われるかなりリアルな絵が幾つも置かれている。
情報の整理が追いつかないシンは、彼の前で目を見開いたまま、出てくる事もない言葉を待つ口を開けて動かなくなってしまった。あまりの衝撃的な発言に機能を停止してしまったシンを見て、ヘラルトは無理もないと言った様子でシンを近くの椅子に座らせた。
「最後に会った時の事を覚えていますか?グラン・ヴァーグで行われた海上レースで、リヴァイアサンという神獣に襲われた時の事です。あの時私は、そのリヴァイアサンの身体に現れた黒い影のようなものに飲み込まれました・・・」
彼はグラン・ヴァーグの街でシン達と別れた後、別の船に乗り海上レースに参加していた。そしてレースの後半、大海と大空を優雅に泳ぐ超巨大な生物、リヴァイアサンとのレイド戦に突入した。
そこでシンと再会を果たし、巨獣の身体に刻まれた謎の文字の解読と調査を共にした。結果として、その文字が何なのか何を意味していたのかは分からず、突如現れた黒い影に足を掬われてしまったヘラルトは、シンを逃すのと引き換えに犠牲になってしまった。
犠牲になったものだと思っていた。しかしシンの前に現れた彼は、その時シンとヘラルト、そして彼らをサポートしていたミアの精霊であるウンディーネしか知り得ない記憶を保有している。
「ほん・・・もの、なのか・・・?」
シンの口からぼそっと溢れた言葉。ヘラルトは話の途中だったが僅かに意識を取り戻したシンの手を取り、触覚としての情報で自身がここに実在しているのを伝える。
「確かめてみますか?ほら・・・私にはシンさんの体温が手から伝わってきます。正直、私にとっても“こちらの世界”にシンさんがいるだなんて信じられませんでした。ですが貴方と同じ事例をこの世界で何人も見てきたからこそ、もしかしたら本当に貴方と再会できるのではないかと夢を見てました」
「同じ事例・・・?」
ヘラルトの言葉を全て理解していた訳ではなかったが、彼の言う“同じ事例”と言う部分を聞き逃さなかったシンは、彼が今のシンの状態を知っている事、そしてこの世界に起きている異変についても知っているという事を思い出した。
目の焦点が合い始めたシンに、いよいよ本題に入るべきだと察したヘラルトがどこまで知っているのかを語り始める。
「この世界において、今のシンさんの姿が普通ではないことは分かっています。私にとってはこちらの姿の方が懐かしく思いますが、今の貴方を一般の方々が見たら“コスプレ”と言うそうです。つまりその姿は一般的ではない」
ヘラルトはシンの服装の話をしているのではない。それはシンも直感的に理解した。ヘラルトはシンがその身に投影している、WoFのキャラクターとしての姿について話しているのだと。
「こちらで言う、ワールドオブファンタジアなるゲームの世界に生きる、キャラクターの姿をその身に投影されているのですよね?」
「何でそれをッ・・・!?」
「言ったでしょ?何度も同じ事例を目にして来たと。私がこちらの世界に来てから、シンさんと同じようにそのWoFのゲームユーザーと、何度も接触して来ました。全員がそうではなかったですが、その殆どが貴方と同じく向こう側の世界・・・私が元いた世界へ転移出来る能力を持っていました」
彼の話を聞いていて、シンは一つ疑問に思う事があった。それは彼が“こちらの世界に来てから”という発言だった。ヘラルトが一体何歳の時にこちらの世界にやって来たのかは分からない。
だが、シンにとってはこの世界に起きた異変は、つい”最近“のものだったのだ。街で見たWoFのモンスターに襲われる人。そしてシンを追いかけて来たモンスター達、そして彼を助けたミア。
その全てがここ最近の出来事。一年にも満たない内に起きた出来事なのだ。
「まッ待ってくれ!こっちに来てから今までって・・・。ヘラルトは一体いつこっちに来たんだ!?」
シンの質問に言葉を噤んだヘラルトは、これまでの出来事を振り返るかのように思い出す。そして懐かしむかのように、あの時WoFの世界でリヴァイアサンの身体の影に飲まれた後の出来事をシンに話し始める。
「あちらの世界で影に飲まれた時の私は、十代前半のまだ子供でした。その後私は、真っ暗な空間彷徨った後、一筋の光を見つけそこを目指して進むと、次の瞬間には見たこともない文明の世界へとやって来ていました。それが今のこの世界です」
どうやらリヴァイアサンの身体に現れた黒い影は、こちらの世界へ繋がるトンネルのようなものだったらしい。いや、正確にはヘラルトにもその時の影が転移の原因であるのかまでは分からないらしい。
ただ、ヘラルトの体感ではほんの数分間くらいの間だったように思えたその空間の出来事は、こちらの世界へやって来たヘラルトの身体を何十年も経過した姿で転移させていたのだという。
「こちらにやって来た時には、既に大人の身体になっていました。最初はそれが自分の姿なんて思いもしませんでした。誰かの意識の中に入ってしまって、自分の身体なのだと錯覚しているんじゃないかって・・・。でも暫くこの身体で動きている内に理解しました。これは紛れもなく私の身体なのだと」
当時、向こうの世界で持っていた所持品は何も無くなっていたらしい。ただ服だけを身に纏っていた彼は、こちらの世界を彷徨い歩いていると、街行く一般人には見えないモンスターに襲われ、必死に逃げたのだそうだ。
最初の時のシンと同じだった。そこで彼を救ったのが、シンとは別の既に異変について理解していたWoFのユーザーだったのだ。彼からこの世界の事や、今起きている事、他にもヘラルトのように異世界からこちらの世界へやって来た者や、自分のようにWoFを通じて異世界へ転移出来る者達の存在について知らされる事になる。
「当時の彼らも、同じ境遇を共にする仲間達と徒党を組み、異変に立ち向かっていました。ですが、そんな彼らも次第に数を減らしていきました。あちらの世界で命を落とす者、こちらの世界で命を落とす者・・・。私を助けてくれたその人も、こちらの世界で襲って来るイーラ・ノマド達との抗争の中で命を落としました」
「抗争・・・今のフィアーズなる組織との関係は?」
「詳細については分かりません。私は戦うことも出来ない、ただの臆病者だったから・・・」
無理もない話だ。元々いた世界でも、戦う為のクラスではない作家というクラスだったヘラルト。その特異な能力で創作物を生み出し戦闘に参加してはいたが、こちらの世界へ来た時には勝手も分からず戦う術も持たなかったのだ。
「ですが、当時は今のフィアーズ程大きな影響力を持つ巨大な組織はなかった筈です。その後から次第に情勢が変わり始め、異変に関係する者達を集め吸収し、力をつけ始めていったのが今のフィアーズです」
そう言って徐に近くの装置の元まで移動したヘラルトは、タッチパネルになっているモニターにキーを入力すると、今の姿から嘗ての少年の姿へと変身して見せた。
「これはッ・・・!?」
「この世界で生きていく為にも、元の世界に戻る為にも、私はこの世界の異変について知る必要があると思いました。そしてWoFのユーザーの方々と同じように、身体の構造やテクスチャーを操作して、謂わゆるアバターを身に纏うことが出来るということを理解しました」
肉体に自身の想像する姿を投影する技術は、シンが神奈川セントラルシティで戦ったイーラ・ノマドである“イル”が行っていた技術と酷似していた。彼の場合は他人の身体に自身を投影し乗っ取っていたが、ヘラルトは装置により過去の自分の姿を肉体ごと書き換えて投影している。
「まだ何にでも返信できる技術力はありませんが、私の保有するデータの中にある自身の姿になら、肉体という入れ物さえ書き換え変身する事が出来ます」
「保有するデータ?」
「要するに記憶ですね。そして異世界から来た私のような存在は、“データとして“その身体を作り出し存在している事が分かりました。つまり・・・」
ヘラルトは少年の姿から、現在の老人の姿へと戻すとシンの前に戻り、少し悲しげな表情を浮かべて口を開く。
「今の私には、”生身の肉体“は無いのです・・・」
シンは衝撃を受けた。
今目の前にいる彼は、さっき触れていた時は確かにその体温を感じた。だが彼は肉体は無いのだと言う。ならば彼らのような異世界からやって来たイーラ・ノマドは既に死んでいるとでも言うのだろうか。




