精神崩壊と肉体の解放
ミネ達が足場を離れた後、一人残されたツクヨは自分自身でも未だ分かっていないもう一つのクラス、デストロイヤーの力に意識を乗っ取られていた。
以前にも海上レースの時に同じ事があった。ツクヨではどうしようもない事態に陥った時、そして目の前で女性や子供が襲われた時、彼の中にあるトラウマに直面し過去の光景が脳裏に浮かんだ。
それは彼自身が何かの間違いであるかのように認めない、現実世界での悲惨な出来事の一部始終。そして身に覚えのない幾つかの記憶と、自分ではない何者かの声。
ここで死んでしまったら、今度こそ全てを失う。幸せだった日々だけではなく、それを取り戻すための希望や夢も、新たに手にした力や仲間達との時間も。
失ってなるものかと思った瞬間、彼は自分自身の意思を真っ直ぐ一本の糸のようにし、それ以外の全てを彼を乗っ取ろうとする何かの意思に明け渡した。
ツクヨの変化は意思だけに留まらず、表面上の身体にも影響を及ぼしていた。それは前回にデストロイヤーのクラスを解放した時よりも強力であった為か、目や鼻、耳や口からなど人体の内部と繋がるありとあらゆる隙間から、その身体を巡る血液が漏れ出しては蒸発し、赤黒い蒸気を観に纏っているような状態へと変化していた。
肉体も本来のツクヨよりも筋肉質になり、文字通り別人のような見た目と雰囲気を醸し出す。
意識を失ったツクヨは、自身の過去の記憶であるトラウマの場面を客観的に観ていた。それはまるで映画のワンシーンを観るかのように、既に決まっている結末へと向かってツクヨの意思とは関係なく流れ続ける。
「これは・・・あの時の・・・。俺に忘れさせない為か?こんなもの見せなくても、俺は絶対に忘れやしないさ・・・」
それを観るツクヨの表情も、普段の彼のものとはまるで別物だった。
真っ暗な自宅へと帰って来た彼の前に、血だらけで倒れる最愛の家族。ベランダの戸が壊され、外からの風を受けてカーテンが揺らめいている。その度にリビングに差し込む月の光が、見たくもない現実を照らし出す。
絶望に動けなくなる自分の姿を、まるで睨みつけるように観るツクヨ。彼の記憶はそこから飛んでおり、気が付いた時には警察のお世話になっていたというのが、ツクヨの中にある記憶。
だがその映画には続きがあった。恐らく誰かが通報したのか、或いは知らぬ間に自分で通報したのかは分からないが、自宅にやって来た警察に保護されながら、彼の自宅に現場検証に訪れた者達が入って行く。
虚な目からは絶え間なく無色透明な液体が流れ続ける。放心状態のツクヨは警察に連れられ部屋から出される。刑事ドラマなどで観るような光景が続いた後、突如その場に居たはずの者達が一瞬にして消えて居なくなる。
誰も居なくなったツクヨの家は、いつもと変わらない風景へと戻る。リビングには灯りが付いており、廊下は暗くなっている事から時間帯は夜である事が伺える。
そこにただ一人、PCと繋ぎ何かの機械を操作する女性がいる。それは生前のツクヨの妻、十六夜だった。彼女は以前からツクヨに話していたWoFで、ツクヨのキャラクターを作り、いつか家族で遊べるように準備をしていた。
ツクヨの知らないその光景は、彼が居ない間の十六夜の記憶だった。それまで目の前に映し出される光景を睨みつけるように観ていたツクヨの目が変わる。
細く鋭かった瞼が上がり、上半身が乗り出すように前へと傾く。
「何だか自分のキャラの時よりも楽しいかも。近接職の方が向いてたのかな?私」
「十六夜ッ・・・!」
ツクヨの声が彼女に届く事はない。分かっていても思わず身体と意思が、探し続けていた彼女を取り戻したいと動いたのだ。ツクヨが惚れた優しい笑みを浮かべながら、十六夜は一人静かな自宅でツクヨのデータを使ってWoFのメインストーリーを進めていた。
「ごめん・・・俺がもっと時間を作っていれば・・・。もっと家族との時間を大事にしていれば・・・こんな・・・」
視界がみるみる歪んでいく。目から溢れたものが頬を伝う。声に出す言葉が震え、虚無のまま眺めていたツクヨの心に、後悔と家族に対する罪悪感、そしてこのような事態を招いてしまったことに対する謝罪の気持ちが溢れ出し、ツクヨは子供のように声を出して泣き崩れた。
次の瞬間、そんな自分の姿を見つめるもう一人のツクヨの視界に切り替わる。真っ暗な空間に用意された椅子に座り泣き崩れる自分と、その前にある大きなスクリーンに映し出された十六夜の日常の光景。
そしてスクリーンの映像が切り替わると同時に、椅子に座っていたツクヨは姿を消した。何を見せられているのか分からなかったツクヨは、それまで泣き崩れていたもう一人の自分の元へと向かい、砂嵐が辺りを照らすスクリーンの前へとやってくる。
するとスクリーンに新たな光景が映し出された。それは事件の夜、彼の家で全ての出来事が過ぎ去った後のものだと思われる。警察やツクヨが入ってくる前の自宅。
真っ暗になったリビングに、月明かりが差し込む度に映し出される室内は、目を覆いたくなるような凄惨なものだった。だがツクヨはその光景から目が離せなかった。まだ自分の知らないものがあるのではないかと見つめていると、やはりそこには血溜まりに倒れる十六夜の姿があった。
再びあの夜の光景に引き戻されたツクヨは思わず後退りしてしまう。次の瞬間、スクリーンいっぱいに目を開いたまま死んでいる十六夜の顔が大きく映し出された。
「ッ!?」
光を失った虚な十六夜の瞳が、今のツクヨの方を見つめている。それがツクヨにとって怖かったのか、それとも後悔や罪悪感から目を逸らしたかったからなのか、彼はスクリーンから目を逸らし頭を抱えると、大きな声で叫び出した。
「やめろッ!やめてくれぇぇぇーーーッ!!!」
ツクヨの感情がグチャグチャに崩された時、山の神に喰われていたツクヨの身体を乗っ取るデストロイヤーの力が、その手にした草薙剣が溜め込んだ生命エネルギーと共に、凄まじい一撃となって放たれる。




