信仰と盲目による蛮行
後日、夫妻の赤子は不思議な事にその晩を境に全く泣かなくなった。瞳の色は美しいエメラルド色へと変わり、幼子とは思えない落ち着きを手にしていた。
当然夫妻は我が子の異変にいち早く気が付き、この現象が間違いなく山の神に選ばれてしまった証拠である事を悟る。もしこの事が村の者達にバレてしまったら、今後の為にと生贄にされてしまうのは必然だった。
何としてもそれを避けたかった夫妻は、ミネにこの事を口外しないよう口止めすると、まるで悟ったように落ち着いた様子の赤子をいい事に、家に閉じ込めておくようになった。
家には必ず誰かが居るようにし、来客が来た際は家には入れないようにしながら赤子の存在を隠した。大体いつも夫妻の内どちらかは家にいるようにしたが、周りへの配慮でどうしても家を空けなくてはならない時は、ミネを何処かへ出掛けている事にして、静かに赤子を見張りながら留守番させる事もあった。
しかし、そんな隠し事も長くは続かなかった。
未だ山のヌシである大鹿が生きていると思っていた村人達だったがとある日の事、捧げ物を届けに行った夫妻の夫と村人の数名は、その帰り道で大鹿の物と思われる折れた角を発見してしまう。
まだハッキリとそれがヌシの物かどうか判断出来なかった一行は、それを村へと持ち帰る事にした。だが、夫だけは薄々それが山のヌシの角であり、何らかの原因で山のヌシが死んでしまったのではないかと勘付いていた。
それ故の我が子の変化。もしこの事が村の者達にバレたら、新たな山のヌシが誰になったのかという話になるだろう。そんな所に夫妻の子供が現れれば、間違いなく新たな山のヌシとして山に捧げられてしまう。
村に到着した一行は直ぐに村長の元へと、その角を持っていく事になったが、夫は静かにその場を離れ家に帰ると、妻とミネにその子供を連れて遠くの街へ連れて行くように伝える。
夫から事情を聞いた妻とミネは直ぐに家を飛び出し、逃げるように村を後にした。しかし隠し事というものは、いつまでも隠し通せるものではない。後ろめたい気持ちや罪悪感といった負の感情が、まるで許されぬ行為を見ているかのように暴き出してしまう。
何としても我が子を救おうと、なるべく人気のない道を駆け抜ける二人。だが細心の注意を払っていた二人の前に、丁度遠征していた村の者と出会してしまう。
「おや?こんな時間に何処へお出掛けで?」
「あっ・・・えと・・・これはッ・・・」
焦りや困惑といった疑われる表情や行動は厳禁である事は分かっている。だが想定外の出来事や突発的なトラブルに直面した時、平常心を保てる者はそう多くはない。
この時のミネと母親も例外ではなく、見慣れた村の者に対し酷く動揺した様子を不審に思われてしまい、隠すように抱えていた子供を見られてしまう。そしてその目とただならぬ雰囲気を目の当たりにした村人は、直ぐに村へと戻るようにと促す。
彼らに声をかけられた時点で大人しく村へ向かっていれば、もう少し別に道もあったのかも知れない。だがこの時の二人に他のことや先のことを考えられる余裕など無かったのだ。
どの選択が正しく何をするべきだったのかは、結局のところ後から分かるものであり全てを正解の道の道だけ選んで歩める者などいない。
怪しまれたと思った母親は、ミネの手を引きその場を逃げるように立ち去ってしまう。どうか追わないでとだけ言い残し、獣道へと消えて行った一行をその時の村人達は強引に連れ帰る事はなかったが、後に全ての事を知った村人達による必死の捜索と、人質となった父親の命をチラつかせた汚いやり方に心を折られてしまい、村へと連れ帰らされてしまう。
拘束された一家とミネは、儀式のその時まで各々独房に閉じ込められてしまう。生贄となる両親と山のヌシとなったその子供は、神に捧げる大事な身である為、酷い扱いは受けなかったが、関係のないミネは他に生贄の一家が隠している事はないか、何か村に秘密にしている事があるのではと、必要以上の拷問を受けていた。
それはとてもまだ少年である者にするような仕打ちではなく、何度もミネは死を覚悟する程に気を失った。彼の声は誰にも届かず、恩人である夫妻にも会う事は叶わなかった。
次第に衰弱していったミネは、洗いざらい知っている事を言わされた挙句、見るに耐えない傷を全身に負い、遂に生きる希望を無くした彼は息を引き取ってしまう。
動かなくなり呼吸も確認できなくなったミネを、彼らは村を破滅に追い込み山の神に反抗した罪人として、既に肉の器となってしまった遺体を山へと捧げるという名目で捨てたのだ。
ミネの肉体は山の神の贄になる事などなく、森に巣くう魔物や動物、虫達にとって貪られこの世から跡形もなく消えてしまったのだが、その魂だけは何故か現世に残されていたのだ。
それを可能とし実行に移したのは、他でもないミネを引き取り我が子同然に育ててくれた、恩人である夫妻の子にして山のヌシとなった子供だった。それが意識的なものであったのか、無意識なものであったのかは誰にも分からないが、ミネの魂はなんとその子供の中に入れられたのだった。




