神饌の儀式
しかし危険を察知して動いたにも関わらず、その回避が間に合うことはなかった。黒衣の男による目にも止まらぬ凄まじい斬撃は、遠距離にいるアクセルの隠れていた大木のみを真っ二つに切断した。
大木は切断された断面から僅かに浮かび上がり、咄嗟に飛び退いていたアクセルの身体を“斬る”のではなく、勢いよく後方へと吹き飛ばしたのだ。
「なッ・・・!無い!?斬られたんじゃッ・・・!?」
空中で自身の身体に、斬られたと思っていた箇所を探すアクセルだったが、何処にもそんなものはなく、その内に彼は斬られた大木から遠く離れた別の大木にぶつかり漸く止まる。
衝撃で全身が麻痺して動かない身体に鞭を打ち、直ぐに黒衣の男の追撃に備えようとするアクセルだったが、その後黒衣の男からの攻撃が飛んで来ることはなかった。
再び気配を探そうとするも、やはり黒衣の男の気配は感じられない。急激に静かになった森に違和感を覚えたアクセルは、危険と分かっていてもその場を動き出し、元の場所へと戻ろうとした。
するとそんな彼の元に、一人の男が現れる。それはアクセルの相棒でもあるケネトだった。彼は野営を飛び出し、アクセルと黒衣の男の戦闘の音を頼りに方向を変えながら向かって来ていた。
そんな彼の元に、黒衣の男によって吹き飛ばされたアクセルがやって来たのだ。大地を揺るがす程の衝撃に、ただ事では無い事を察したケネトが向かうと、そこで漸く二人は再会することが出来たという訳だ。
「アっアクセル!?大丈夫か!何があった!?」
「お・・・おう、ケネト。何だってお前がここに?」
「馬鹿野郎ッ!お前が心配で戻って来たんだ。何だこの傷は!?一体どういう状況だこりゃぁ?」
周囲を見渡し、直ぐに気配を探るケネト。アクセルは彼の行動に口を挟むことなく見守ると、再び視線を戻したケネトに質問を投げ掛ける。
「何か・・・居たか?」
「いや、誰も居ないようだ・・・。俺はてっきり、ツクヨから聞いていた黒衣の男とやらと戦っているものだとばかり・・・」
「知ってたのか・・・」
ケネトと合流し安心したのか、アクセルの中で張り詰めていた緊張の糸が切れてその場に倒れ込んでしまう。急ぎアクセルの回復を始めるケネト。ただ全快にしている時間は惜しいとして、取り敢えず満足に動けるくらいに頼むとケネトに言ったアクセルは、その間に何があったのかを語った。
「黒い服の男ッ!?」
「まぁ、そういう反応になるよな。だが別人だ。俺達を助けてくれたあの人とは全く違う。あの人自体、どんな人かも分からねぇが、少なくとも奴は違う・・・」
黒衣の男との戦闘を思い出し顔が強張るアクセル。彼はその黒衣の男に何度も殺されかけ、何度も回復させられ、男の言う予行練習の相手をさせられていた。
「予行練習?その男はこれから何かするつもりなのか?」
「さぁな。だがこれから何かあるとすりゃぁ・・・」
「シンとツクヨが聞いたと言う、神饌の儀だな」
これから山で起こる大きな出来事と言えば、ミネの言っていた山の神が山のヌシに集めさせた精気を纏った生命体を食べるという、神饌の儀式と呼ばれるものに他ならない。
黒衣の男はそこで何か大事を起こそうというのだろうか。ただ男の口ぶりからは、神饌自体は行わせたいのだというのが窺える。その為にツクヨを先に行かせたのだから。
「詳しくは語らなかったが、恐らくその神饌の儀式で何かが起こる。シンとツクヨは何かを隠していたように俺は感じたが、お前はどうだった?ケネト」
「あの場にはカガリも居た。恐らくミネはその神饌の儀式で・・・」
「だろうな。ツクヨの奴はどういう訳か、そのミネを助けようとしている。自らの身を危険に晒してでも・・・な」
「彼は何故そこまでする?彼らの目的は山を越える事だろう?」
「さぁ、それは俺も分からねぇが、それだけ回帰の山に関する重大な秘密を知っていたのなら、ミネはきっとこの山の謎を解き明かす貴重な存在となる」
「もう山の犠牲になる人がいなくなる・・・。俺達にとっても、いや俺達だけじゃない。ハインドの街やその周辺諸国にだって貴重な存在だ」
「それに、ミネのだ話が全て本当だとするなら、俺達を助けてくれた黒い衣の人の事も知ってるかも知れねぇしな!」
二人は口角を上げて笑みを浮かべる。そして動けるようになったアクセルとケネトは、直ぐに山頂へ向かったというミネの元へと向かって走り出した。
その頃、山頂に到着した山のヌシと光脈の精気を浴びた生物達の配置が完了し、遂に神饌の準備が整う。すると祈りを捧げていた山のヌシとなったミネが、その身体からありったけの精気を上空へと放ち出した。
山のヌシは、回帰の山の地中に眠る光脈から精気を吸い上げる装置の役割を与えられる。彼を介して光脈から吸い上げられた精気は、蒸気船の煙のように目に見える形で上空へと広がっていき、山の神に神饌の儀式の準備が整った事を知らせる。
広く濃く広がる光脈に精気は、まるで濃霧のように山頂とその周囲一帯の空と山を覆い尽くす。
山頂を目指す者達の周りにも、その精気が瞬く間に広まっていき、直ぐに視界は悪くなって数本先の木の向こう側も見えなくなるくらいに真っ白になってしまう。
遂に神饌の儀式が始まったかと、彼らの胸がざわつく中、山頂で真っ白に覆われたミネや多くの生物達の眼前に、濃霧の中から覗かせる、赫く巨大な眼が一つ上空に浮かび上がる。




