失われし記憶の断片
ふらふらと森を歩くその記憶の光景は、次第に木々の間から覗かせる陽の光に導かれるように歩みを進める。森を抜けた後、その先には街へと繋がる道が続いているのが見える。
「おいアンタ、どうしたそんなボロボロの状態でッ・・・!?」
記憶の主の前に現れたのは、街の農夫らしき格好をした男だった。森から出てきた記憶の主の服は、森の木々や草木でボロボロとなっており、肌のそこら中には擦り傷や切り傷が見える。
「手当てをしてあげるから、私について来なさい」
「・・・・・」
歩くのすら不安定な記憶に主に肩を貸す農夫。当の本人は記憶が曖昧としているのか、常に心ここに在らずといった様子で、口を開くこともなかった。
農夫が街に到着すると、数人の街の者達が心配して集まり、農夫から事情を聞くと街の医者のところへとその人物は運ばれた。急患という事で直ぐに医者の前に通されたその人物は、椅子に座らされ様々な検査を受けた。
外傷は多いものの命に関わる重いものは一切なく、薬を塗っておけば数日で良くなるだろうと診断された。だが問題だったのは、その人物の精神だったようだ。
これまで多くの者達がその人物に声を掛けてきたが、口がきけないのかどの質問にも応える事はなかった。名前も何者なのかも、森で何をしていたのかさえ分からぬ状況に、街の者達は山のヌシの慈悲かも知れないと騒ぎ始めた。
どうやら記憶の主が現れたのは、街の側にある山で地元の者達からは回帰の山と呼ばれる神聖で不気味な噂が広まる、謎多き山だったようだ。つまりこの記憶に主が連れて来られたのは、いつかの時代のハインドの街だということになる。
医者の診断によって、記憶の人物が男である事と、その身に纏っていた衣類が現代では見ない珍しい物である事が判明した。そこから彼が何処からやって来た人物か分かるかもしれないと、街のギルドに依頼を出した街医者は、そのまま彼の外傷が回復するまで面倒を診た。
暫く病室で安静にしていた彼は、その内に口もきけるようになるのだが、どうやら記憶が無いようだった。傷が治って暫くは、医者の手伝いをしながら居候をし、身体も調子を取り戻すと彼は街の調査隊に拾われ、自分がやって来たという回帰の山に調査を行うようになった。
「アンタが見つかったら回帰の山ってのはな、行方不明者が後を絶たない謎多き山なんだ。そんなところから自力で戻って来たって事は、アンタは余程運が良いのか、それとも謎に繋がる何かがアンタにあるのかも知れないってんで、ウチの調査隊に隊長が引き取ったんだ。なぁ、本当に何も覚えてねぇのか?
「すいません・・・拾って頂いた恩には報いたいのですが、何分私には助けられた以前の事は何も・・・」
嘘を言っている様子はない。彼は本当に記憶を失っているようだった。ただ今の彼の中にあるのは、そんなボロボロの自分を助けてくれた街の人達に対する恩義と、行く場所のない自分に居場所をくれた調査隊の隊長への感謝だけだった。
何とかして恩を返したいとおもったかれは、回帰に山の謎を解き明かす事で、麓の街に住む恩人達の役に立てるのではないかと、精力的に山の調査に参加した。
「まぁ山からやって来たアンタだ。山に入って調査を進めていれば、その内何か思い出すかもな!」
彼の面倒を見る先輩の調査隊員は、記憶を思い出せぬ彼の背中を叩き元気付けると、再び調査へと戻って行った。そんな先輩隊員の気遣いに明るい表情を取り戻す彼だったが、翌日の調査の途中でその先輩隊員は行方不明になってしまった。
調査隊員が行方不明になる事は決して珍しくない。どんなに備えていても、どんなに大人数で居ようと居なくなる時は居なくなってしまうのだそうだ。故に行動を共にしていた記憶の男が責められる事はなかったが、当の本人は自分を強く責めてしまった。
そして調査隊で禁じられていた決まり事を破り、一人で回帰の山に入って行ってしまう事が多くなる。責任を感じている彼を責める者はいなかったが、決まりが守れないのであれば、調査の中で何が起ころうと調査隊は責任を取れないと彼に告げる。
それでも構わないと、彼は引き続き連日のように回帰の山へ入り浸るようになり、一人山の調査と先輩隊員の捜索を行なっていた。初めは心配されていた彼だったが、次第に孤立し始め新たな行方不明者や街の発展の為の事業で、ハインドの街の人々も彼の事にまで気が回らなくなっていき、彼が今何をしているのかさえ、誰も気にも留めなくなっていった。
そんな頃、天候が荒れて危険とされていた日に回帰の山を訪れた彼は、そこで自身の記憶に繋がるモノを発見する。それは山の動物が咥えていた、とある飾りのような物だった。
「食べ物じゃない・・・?珍しいな、あんな物咥えているなんて・・・!?あれって誰かの落とし物か?もしかしたら行方不明者リストの誰かの手掛かりになるかも知れない!」
急ぎその四足獣を追い掛けた彼は、その追跡に気が付いた獣が落としていった飾りを拾い上げると、突然脳裏にとある光景が流れ込んできたのだ。その光景というのは、白装束に身を包んだ男女が祭壇に何かを捧げている光景だった。
二人が祭壇から離れると、そこには彼が拾った飾りを付けた赤子が居た。
その光景を見た直後に現実へと引き戻された彼は、その飾りが白装束の男女の子供の物であるのと、その光景を目にしていたのが嘗ての自分自身である事を思い出したのだ。
「これ・・・これは一体ッ・・・!?見覚えがあるぞ、あの光景!でもあれはいつの出来事なんだ?それにあの後“俺”は一体どうなった・・・?」
眠っていた記憶の一部が呼び覚まされ、次第にこれまでの彼の人格が、過去の記憶の自分に引っ張られ口調も変わり始めた。そして彼は思い出した記憶の中で、自身の名前についても思い出す。
「俺の名前・・・そうか、俺の名は“ミネ”。あの夫婦と同じ街の出身の・・・」
シンとツクヨが森の湖で触れた記憶の光景。それはミネの見た記憶の光景だったのだ。




