イタチごっこ
哀愁漂う曲調の音楽がクリストフを中心に流れ始めると、シンが見ていた極彩色の景色から次々に色が失われていった。キャンパスに塗られた色がまるで溶けていくようにボトボトと床に落ちていく。
「何だッ!?色がどんどん消えていく・・・?」
色を失った物は輪郭だけを残し、白と黒だけで表現されるモノトーン調へと変貌した。床に落ちた極彩色の液体も、まるでタールのように真っ黒なものへと変色しながら床へ溶け込んでいった。
これによりクリストフとその共感覚を受けたシンの二人が見ている礼拝堂内の景色は、キャンパスに鉛筆で描かれた風景がのように黒の濃淡のみで見えていた。
ここで極彩色な景色に視力をやられていたシンは、自らの体内の影を使い視界を覆うことで、サングラスのようなフィルターを目に張っていたのだが、今度は逆にそれが視界を妨げる障害となった。
「折角対応策を考えてもこれか・・・。これじゃイタチごっこだな。そうだ、奴のシャボン玉は?」
直ぐにスキルを解除し、暗くなっていた視界を元の明暗値へと戻す。だがその時、シンは新たな問題が起きていることに気がつく。それは白と黒以外の色が失われたことで、ただでさえ見づらかったシャボン玉が全くと言っていいほど、目で見る事が出来なくなっていたのだ。
「これはッ・・・!!」
「その能力を解除したところで同じですよ。貴方にはコレを確認する事はできない。しかし俺には音で分かる。今度はどうやってこの障害を乗り越えるのか楽しみです」
そう言いながら両腕を伸ばして動きを止めるクリストフ。明らかに挑発するような無防備を晒しているのだが、これは罠と見て間違いない。ここで彼に向かって飛び込んで行くほど単純ではない。
恐らくそこら中に撒かれたであろう音のシャボン玉。普通に考えればクリストフのいる位置からシャボン玉がやって来ると判断する事だろう。しかし戦闘に長けていないはずのクリストフが、これまで宮殿に集まった各音楽家が連れていた護衛達を出し抜くだけの能力や戦略を用いてきた事からも、その行動すら本当の狙いを隠す為のフェイクである可能性も捨て切れない。
そこでシンが目を付けたのが天井だった。正確には天井付近の空間にはシャボン玉は撒かれていないと考えた。それにシンがアンナとの戦いで見せた空中移動には、ツバキの発明品であるアンカーを打ち出すガジェットを用いる。
つまり、シン本人が飛んで行く前にアンカーがその軌道上が安全であるかを先に確かめてくれる。無論、アンカーとそのワイヤーが確かめられる範囲は限られているが、地上を移動するよりも遥かに安全だろう。
そしてその先には、更にシンの目的もあった。作戦を思いついた時には、既にシンの身体は動き出していた。
柱が近い天井に狙いを定めると、ガジェットを取り付けた腕をその位置に向けて伸ばし、アンカーを打ち出す。予想外の行動だったのか、クリストフも彼の行動に僅かながらの焦りを見せる。
その間にシンは、アンカーが打ち込まれた天井の方へと飛んで行く。そして途中でアンカーを外して、今度は柱の先の方の天井へアンカーを打ち出し、ワイヤーに引っ張られるように空中で弧を描くように横移動をしながら、クリストフから見て柱の陰になる位置へ飛び込んで行く。
柱の裏に回り込む勢いから、例え後ろに隠れたとしても直ぐに反対側から直ぐに姿が現れるはず。それを見越したクリストフは、アンナの召喚する謎の人物達が用いていた、音の振動を弾丸のように撃ち出すスピーカーを取り出して、狙い撃ちにしようとしていた。
しかし、反対側からシンが現れることはなかった。
「何ッ!?まさかあの一瞬で・・・」
シンを直接狙い撃つことを止め、彼が隠れたであろう柱そのものをへし折らんと、そのまま柱の左右にシャボン玉を撃ちだし、それぞれ一つのシャボン玉の破裂を利用して、柱の後ろに他のシャボン玉の弾丸の軌道を変え送り込む。
クリストフの位置からでは見えない場所で、シャボン玉の爆発が起こる。柱の裏を爆発の衝撃で破壊したような破片が辺りに飛び散る。しかしその中にシンの衣類らしきものや血液は混じっていない。
仕留め損ねたことを悟り、舌打ちをしながら柱を回り込みスピーカーを構えるクリストフ。柱の陰やその周囲にシンの姿は見当たらない。どこへ移動したかという足取りを掴めそうなものも残されていないことから、完全にシンの行方を見失うクリストフ。
だがここでも彼は慌てることなく、シンの行方を探る為の次なる行動へと移っていた。目を閉じて神経を研ぎ澄ますクリストフ。音の振動を利用して、アンナが行っていたソナーの能力を用いて、礼拝堂内にあるありとあらゆる物の位置と動きを読み取っていく。
光が反射して物が見えているように、音の振動が物体に伝わる反応や、空気宙を動く僅かな風の流れすらもクリストフには、手に取るように伝わってくる。
しかしながら彼のソナーも万能という訳ではなく、振動が物体に接触し音の変化が現れるまでクリストフにはその動きを知ることは出来ない。要するに素早く動くものには、必ず後手に回ってしまうということだ。
更に彼のミスを誘ったのは、その音楽家としての集中力だった。僅かな変化も見逃さないという意識が、かえって彼のミスを誘う結果となってしまったのだ。
シンは直ぐに動き出すことはせず、クリストフが柱を狙っている間に、影のスキルを使えるようになった環境を最大限に利用して、素早く周囲の柱や椅子の影を移動して、自身の影とリンクさせていたのだ。
これにより本人がその影に入っていなくても、遠隔でそれぞれの影から攻撃を仕掛けることが出来るようになる。こちらもメリットばかりではなく、リンクさせた影の数や大きさによって、攻撃出来る威力が弱まっていったり、行動できる範囲やスキルの種類もどんどん制限されていくというデメリットもあった。
要するに、数を増やせば攻撃は弱くなり、逆に一カ所だけなら本体であるシンが使うスキルに、限りなく再現度の近い攻撃が可能ということだ。
今回シンが礼拝堂内の影にリンクさせた数は、手当たり次第という非常に多い数。これでは大した攻撃など出来る筈もないのだが、元よりシンはコレを攻撃に利用するつもりなどなかった。
つまり、急いで駆け回り繋げた影はクリストフの隙を作る為の揺動だったのだ。過剰に周囲の動きに敏感となったクリストフには、そこら中から何かが動き出す反応がすれば標的を絞れなくなるのは必然。
「どうせ例の能力で姿を隠しているんでしょう?それならもう一度ッ・・・!」
クリストフがもう一度音楽を切り替え、極彩色の景色に戻そうとしたが、それよりも早くシンは動き出していた。作戦通り、クリストフの周りにあるありとあらゆる影から何かが飛び出す反応が伝わる。
感覚を研ぎ澄ましていたが故に、周囲から一辺に音の振動がクリストフを包み込むように伝わり、全身を痺れさせるような振動が彼を襲う。実際に影から飛び出したのは、そこら中に散らばる小さな瓦礫のかけらだった。
それも飛び出すとは言えど、実際には僅かに飛び跳ねる程度で、とても攻撃と言えるものではなかった。




