黒幕
彼を止めるその手は、大人のものよりも少し小さく綺麗な手をしていた。まるで繊細な物を扱う手のように、よく手入れされている事が伺えた。
その手からは想像も出来ないほどの力で引っ張られていたせいで、オイゲンは身動きが取れなかった。仕方がなく、その場で迫り来るアンナの攻撃に備え盾を構える。
魔力を盾に集中させ、宙を飛び突っ込んで来るアンナを弾き返そうとするが、本人が思うようにスキルが発動しなかった。盾に纏った魔力は上手く纏まらず周囲へと散らばっていき、残されたのは物質としての盾のみ。
「なッ何故発動しないッ!?」
困惑するオイゲンの問いに答えたのは、彼を背後から掴む人物だった。そもそも何故オイゲンはその手を振り払おうとしなかったのか、何故驚きの表情を浮かべたのか。
それは単純に、ここにいる筈がないと思っていたからだ。そしてもう一つ。その人物があまりにも予想外だったからだ。彼を困惑させ手を振り払わなかったのは、彼が無意識に“守る対象”としてその人物を捉えたからに他ならない。
「余興はここまでにしましょう」
「ッ!?」
突如口を開いたその人物におどろき、後ろを振り返るオイゲン。その瞬間、アンナがすぐ側にまでやって来ると、彼の胸に手を添えて顔をオイゲンの耳の側に近付ける。そして囁くような歌声を聴いたオイゲンは、身体の節々が黒く変色し蝕まれるように全身を真っ黒に染め上げていった。
「・・・君が・・・黒幕だったのか・・・?」
「さよなら、オイゲンさん。後はあなた方に託します・・・」
今まさに消えようとしていたオイゲンは、その人物の言葉の意味が全く分からなかった。殺そうとしている者が、殺される者に何を託そうというのか。
いや、今回の場合ケヴィンの言葉を信じるのであれば、この世界で消滅する事により別の世界線で目覚めを迎えるであろうオイゲンに、その人物は何かを託したのだ。
そして託したという事は、それ即ちその人物はオイゲンらが目覚める世界には行けないのかもしれない。物理的に行けないのか、記憶がもちこせないのかは分からない。だが黒幕である今回の事件の犯人は、予め殺害する人物を決めており、それ以外の者達には目的である正史を広める鳩になってもらうと言っていた。
アルバに住む住人達だけではそれは叶わない。外にその正史を広める者、尚且つ世界中に大きな影響力を持つ団体・組織の者に協力を仰がなければ、犯人の目的は達成されない。
オイゲンらは正に、鳩に打って付けの人物だと言える。世界中にいると言われる彼らの教団の信仰者。そして有名な探偵として知られるケヴィン。音楽界隈で世界中で公演をする音楽家。
そしてアルバの外からやって来た、シン達のような冒険者や観光客。その全てが初めから役割を担っていたのだ。
風に絡みとられるかのように、黒い塵となって崩れていくオイゲンの姿に、まだ大人と呼ぶには不十分だったカルロスは、目の前の光景に恐怖と驚きを隠せなかった。
自分を守ってくれる者達が全て消え、絶望の中で演奏を止めて椅子から立ち上がるカルロス。その時に足で押してしまった椅子が、床を滑り音を立てる。それを聞きつけたアンナが、音の鳴る方へ顔を向けるとゆっくりとカルロスへと近づいていく。
「そっそんな・・・オイゲンさんまで・・・。みんな何処へ行っちまったんだょッ・・・!?」
月光写譜の演奏を止めたカルロスに、オイゲンに黒幕と呼ばれた人物が振り返る。その人物を見た時、カルロスはオイゲン以上に驚きを露わにした。その人物はオイゲンだけでなく、カルロスもよく知る人物だったようだ。




