狂気の演奏
黒い靄を携えたアンブロジウスの演奏は狂気にも似たものへと変貌する。その圧倒的な演奏を前に、自身との演奏力の差を見せつけられるレオン。彼にはなかった感情を乗せた演奏。その冴たるがアンブロジウスの演奏にはあったのだ。
「凄い・・・何だ、あの演奏・・・」
「レオン!どうしたというんだ?今は月光写譜の演奏に集中してくれ」
宮殿の屋上での戦いは、アンブロジウスの音の振動を体内に仕込まれていた気泡と連動して引き起こす衝撃によって、一度窮地へと追いやられていた。しかしミアの使役する四大精霊の内の一人、シルフの力により一行の身体に仕込まれていた気泡が排除された事によって、体内への直接的な攻撃を受けずに戦えるようになっていた。
ミアの元を離れたシルフは、遮蔽物の陰で倒れていた二ノンとレオンの身体から気泡を摘出、その間彼女が作業に集中出来るようにアンブロジウスの意識を引き付けていたミアは、辛うじて敵の猛攻を掻い潜っていたものの、突如アンブロジウスの側に現れた黒い靄から発せられる言葉により変貌したアンブロジウスによって追い詰められていた。
そこへシルフによって身体から異物を取り除かれた二ノンとレオンが手を差し伸べる。奪い取った月光写譜を演奏するレオンの音色により、アンブロジウスの演奏は妨害されその効果と彼の動きを大幅に弱体化させた。
その間に接近した二ノンが、霊体達に有効な属性である聖属性を用いた武術によって攻撃を畳み込む。何発もの拳がアンブロジウスの姿形を捉え、次々に失われた身体を再形成する事による魔力消費を促進させた。
するとアンブロジウスは、突如曲調を変え始めたのだ。それが今までの彼の演奏とは違い、狂気に満ちたように感情を音楽に乗せた今の演奏だった。不規則に身体を揺らし、大きく頭を振るアンブロジウスの動きは、近接戦闘を得意とする二ノンの拳を流れる風のように避けて見せたのだ。
演奏に魅せられたレオンは思わずその手を止めてしまう。自分にはない演奏と技術力を前に、自分の演奏では月光写譜の本来の力を引き出すことが出来ないのではと考え始めていた。
二ノンの声に我を取り戻し、今は目の前のことに集中しようと一心不乱に楽譜を見ながら演奏を再開するのだが、アンブロジウスの動きは変わる事はなかった。月光写譜のデバフ効果を受け付けていない。現地で戦う者達の目にはそれが明らかだった。
「クソッ・・・!何だってんだッ!?急に人が変わったみたいに・・・」
別の場所から二ノンの援護を行っていたミアだったが、隙を突いたはずの彼女の弾丸すら、アンブロジウスには命中しない。それはシルフの力を借りた、弾丸の軌道を変えるスキルを用いても同じ事だった。
「あの靄が現れ始めてからだ・・・。何なんだありゃぁ?」
「・・・誰かの声が聞こえるわ。丁度あの靄の辺り・・・」
「何!?内容は分かるか?」
「そこまでは分からない・・・。空気の振動が人の発する言葉の振動と似ていたからそう思っただけよ」
「誰かのコーチングを受けているのか?それならあの動きも納得がいくが・・・現役の音楽学校の学生が、思わず手を止めるレベルの変貌っぷりとなると、一体どんな音楽家がアドバイスしてんだ?」
レオンがアンブロジウスの演奏をリスペクトしているのはミア達にも分かっていた。それだけ彼の演奏は現役で活躍するアンドレイやブルース並みに凄いと言う事なのだろう。
そんな人物が、更にもう一段階上の次元の演奏をし始めた。素人目にもそれが分かるほどの変貌。ある程度音楽に精通していなければ、到底そのようなアドバイスやコーチングは出来ない筈。
つまり、黒い靄の先から聞こえてくる声は、音楽に詳しい人物である事が分かる。宮殿を襲撃するバッハの霊体らを使役している人物は、宮殿で起きた殺人事件の犯人と繋がっている。
犯人は音楽に詳しい人物に絞られる。だが彼女らにそれを突き止めるだけの情報はない。今はそのアンブロジウスに何かを吹き込んでいる黒い靄を何とかするのが先決だった。
「まぁいい。今はあの黒い靄を何とかしないとな・・・。何かいい方法はある?」
「音声の振動が貫通しているから、彼ら霊体の身体と同じで実体が無いみたいね。風で吹き飛ばしてみる?」
シルフの提案は試してみる価値がありそうだった。見た目的にも、靄を晴らすには突風を用いるのが最も手っ取り早く、簡潔に結果が得られる方法だ。早速ミアは銃に風の力を込めた魔弾を装填し、二ノンと戦うアンブロジウスに狙いを定める。
「彼女を巻き込まないようにね」
「と・・・そうだった。けど二ノンなら大丈夫だろ。今更風程度でどうにかなるとは思えないし・・・」
「風程度?失礼しちゃうわね!」
「それに私の銃弾が風を引き起こすのも何度も目にしてる筈だ。咄嗟の彼女の判断に期待しよう」
「無茶なのは嫌いじゃないわ。ふふ、じゃぁ私も腕を振るっちゃおうかしら」
イタズラな笑みを浮かべたシルフは、ミアの銃に何やら魔力を送り込み始める。何をしているのかと問うと、シルフは何も答えずただ一度だけ目線で合図を送った。
何をしたか分からないが、今のところシルフはミアに協力的だ。彼女がミア達にとってマイナスに働く行いをするとは思えない。ミアはそのままアンブロジウスに狙いを定めると、二ノンと距離を空けたところを見計らって引き金を引いた。
銃声が周囲一体に響き渡る。音に反応し二ノンが一瞬動きを止めて様子を伺う。ミアの放った弾丸はアンブロジウスの頭部目掛けて空気を裂いて突き抜けるが、難なくこれを躱すアンブロジウス。
しかしミアの放った弾丸は、アンブロジウスが避けたと同時にその場で停止し、僅かに周囲の風を飲み込むような反応を見せる。その様子を目にした二ノンは、直ぐにそれがミアの扱う魔弾である事を悟り後方へ飛び退いた。
避難した二ノンの動きに合わせるように、魔弾はその場で破裂して一気に周囲へ突風を巻き起こす。二ノンの判断は的確だった。どうやらシルフは、魔弾にただ強い風を発生させる魔力を送り込んでいただけではなかったようだ。
風を防ぐように顔の前に手を翳す二ノン。その隙間から見えた風の中に、鋭い衝撃波のような空気の歪みを目にする。二ノンの方に飛んでくるその衝撃波を見つけ、彼女は直ぐ様遮蔽物の陰へと飛び込んでいった。
「おっおい!二ノンを巻き込むつもりか!?」
「やるなら手っ取り早く・・・でしょ?風だけじゃ靄を晴らせないかも知れない。それなら衝撃波も交えた攻撃で、二つの結果をまとめて見た方が効率的じゃない」
「けどなぁ、こういうのは事前のやり取りがあってこそであって・・・」
連携の事など考えていないシルフに、事前準備の必要性を説こうとするミア。しかしシルフは全く聞く耳を見せず、ただ魔弾の結果をまじまじと眺め結果を見極めていた。




