自身で奏る音
逃げようとするベルンハルトに、狙いを定めたシンが足に取り付けたガジェットで踏み込みを強化し、まるで武闘家のような距離の詰め方を披露すると、大きく身体を捻り勢いを乗せた拳をベルンハルトの腹部へ放った。
腕のガジェットから蒸気のような煙が勢いよく噴き出すと、普段のシンの身体能力では実現不可能な威力の拳が、大きくしたから斜め上へと突き上げられた。
「ッ!?」
「外した!?」
「いや、あの距離だぞ。素人でもあれだけお膳立てされた状況で外す筈は・・・」
ケヴィンとオイゲンがその様子を見て唖然とする。霊体が故に物理攻撃を透過してしまったのか。しかしシンの腕に取り付けられた装備からは、戦闘の素人や感知能力に劣るものでも分かるくらいに、肉眼で見える魔力を帯びていた。
魔力を纏ってさえいれば、攻撃が外れる事はない。それは同じ性質を持つであろう謎の人物達で証明済みだ。ならば何故、シンの拳は何かにぶつかる事なく振り抜かれたのか。
その現象にいち早く気が付いたのは、当の本人であり最も間近でそれを見ていたシン自身だった。拳は間違いなくベルンハルトの身体を捉えていた。シンも拳が彼の腹部に命中する瞬間に、拳を固め衝撃に備えていたのを覚えている。
正確にはシンの拳はベルンハルトに、ちゃんと命中していたのだ。周りがそれを外したように見えていたのは、ベルンハルトの身体が異形のものへと変化していたからだった。
振り抜いたシンの拳には、光を反射してキラキラと光る蜘蛛の糸のようなものがベッタリと付着していたのだ。すぐに視線をベルンハルトに移すと、拳がすり抜けた部位が上下から伸びる糸で修復を始めていたのだ。
「しまった!身体も糸でッ・・・!?」
シンの焦る様子を見て事情を察したオイゲンは、自らが作り出したドーム状の光のバリアを解除した。
「あぁ!?何やってんだあのおっさん!」
「糸って・・・シンさん、まさかッ・・・!?紅葉!?」
状況を把握出来ていないツバキとアカリだったが、シンが溢した糸という単語に何かを察する。何よりも先に動いたのは、アカリを守っていた赤い羽を持つ紅葉だったのだ。
素早く彼女の元を飛び去った紅葉は、バリアが消滅したことで解放されたシンとベルンハルトの元へと飛んでいく。急ぎ拳を引っ込めて、己の手の状況を確認するシン。拳には幾重にも重なった蜘蛛の巣の中に、手を突っ込んだかのように糸が絡まっていた。
動揺する彼の様子を見ながら、ベルンハルトは腕をシンの方に向け何かを仕掛けようとしていた。そこへ駆けつけた紅葉が、ベルンハルトへ向けて大きく翼を羽ばたかせる。
赤い翼からは火の粉が舞い、風に乗った火の粉がベルンハルトへと降り掛かる。まるで群がる虫を払うように嫌がるベルンハルトは、そのまま後退りするようにシンから距離を取り始める。
「紅葉!まさかアカリが・・・?」
シンも紅葉のことを頼りにしていた部分はあったが、ここまでタイミングよく駆けつけられるとは思っていなかったようで、妙に勘の利くアカリが何かを察してこちらへ寄越してくれたのかと思っていた。
紅葉はシンの肩より少し高い位置から風を起こしている。これもシンの腕についた糸を、その火の粉で燃やせと言わんばかりの位置どり。身の危険を感じていたシンは、すぐに腕を紅葉の起こす風の中に突っ込むと、火の粉が糸に引火して燃え上がる。
「あつッ・・・!」
余裕のない状況で悠長なことを言っていられなかったシンは、火の粉から燃え上がるとは思えない勢いで引火した炎を、腕に集めた影を使い腕から床へと移し替えたのだった。
「全く・・・頼りにならねぇ兄ちゃんだぜ」
「そう言ってやるな、バルトロメオ」
「大将ッ!?いつ戻ったんだぁ!?」
「今し方だ。それよりお前に頼みたいことがある・・・」
それまで様子のおかしかったブルースが、以前と同じようにまるで自分の意思を取り戻したかのように話し始める。ブルースはバルトロメオとオイゲンの攻撃を利用したベルンハルトによって、強烈な反撃を受けてしまってからというものの、その存在を不確かなものとしていた。
だが実際は、衝撃が身体に伝わる前に作り物の肉体を脱したブルースは、そのまま宮殿の外へと魂だけで移動をしていたようだ。バルトロメオはブルースの肉体に近づいた時に、魂が入っていないことに気が付き、あたかも彼が無事であったかのようにブルースの身体を操っていたのだった。
用事を済ませて戻ったブルースの指示に従い、バルトロメオは司令室の壁際へと移動する。絶好のチャンスに不可解な動きを見せるバルトロメオを見て、バリアを張ってアシストをしていたオイゲンは、後退りするベルンハルトを逃さぬ為、今度は彼の背後に退路を塞ぐように大きな光の盾を召喚する。
「腰が引けているぞ。炎は嫌いか?」
逃げ道を塞がれたベルンハルトに、紅葉の火の粉が降り注ぐ。
「ォォ・・・オオオ・・・!」
嫌がる素振りを見せながら、必死に火の粉を振り払おうと腕を振るうも、その腕にも紅葉の放つ火の粉が引火する。退路も絶たれ逃げ道も失ったベルンハルトは、片方の腕の袖を引きちぎり自身の腕を肘から手首あたりまで糸へと変える。
それまで見てきたような糸とは違い、それはまるでギターやヴァイオリンの弦にも見えた。数本の太い糸で繋がれた腕の弦を、反対の手の指で弾く。すると彼の腕からは楽器から奏でられるものと同じ音が発せられた。
ベルンハルトの奏る音は、まるで波紋のように空気中を伝わり、紅葉の火の粉や風を押し除けるように広がり始める。身体に引火した炎は彼の身体を離れ鎮火する。そして吹き荒ぶ風も、まるでベルンハルトの周りだけ見えない壁に阻まれるように避けていた。




