包囲網からの逃走
奥の部屋から紙が擦れる音がしてくる。昨日の式典でレオンが演奏した楽譜でも探しているのだろうか。だが、普段のフェリクスなら整理された楽譜を持って来るだけならこれほど時間は掛からなかっただろうが、部屋の荒れた様子からするにアルバでの活動に見切りをつけたのかもしれない。
やはりパーティーで何かあったのではと心配するレオンだったが、そんな彼らの知らぬところで、何やら外の様子が騒がしくなってきたことに気がつくレオン。
何やら大勢の気配と足音がフェリクスの自宅の方へと向かっている。思わず席を立ち、窓から外の様子を確認してみると、アルバの警備隊が数名で玄関口を囲むように立っていた。
間も無くして、フェリクス宅の呼び鈴が鳴らされる。
「何だ?今日はやけに来客が多いな・・・」
部屋の奥からフェリクスの声が聞こえると、手ぶらで現れた彼はレオンに少し待ってくれと伝えると、そのまま玄関の方へと向かっていく。しかし、何か普通ではない様子を窓から見ていたレオンは、彼の背中に向けて気を付けて下さいと声を掛けた。
何を気をつけるのだと不思議そうな表情を浮かべたフェリクスは、レオンが何のことを言っているのか分からないまま適当に返事をして、一階の玄関のドアノブに手を掛ける。
「はーい、どちら様ですかぁ?」
外にいるのが警備隊と知らぬまま扉を開けたフェリクスは、そこに広がる仰々しい光景に思わずドアノブから手を離し、一二歩後退りして家の中へと引っ込んでいく。
「フェリクスさん。自宅にいらっしゃったようで良かったです。緊急でお話があります。お時間、よろしいでしょうか?」
「きっ緊急で?えぇ・・・それは勿論。このような人数で一体どうされたと言うのです?」
「先程、宮殿内でジークベルト大司教の遺体が発見されました」
警備隊の男の口から語られたビッグニュースに、その場にいたフェリクスは勿論、二階から様子を伺っていたレオンも目を見開き思考が止まってしまうほどの衝撃を受けていた。
警備隊はフェリクスのリアクションに、僅かながらの動揺を見せながらも、ジークベルトが死亡した件について他殺の可能性が高く、死因については現在アルバの医者であるカール・フリッツが付き添いの元、鑑識が行われている最中であると説明する。
加えて、現在宮殿への出入りは禁じられており、遺体が発見されてから宮殿内にいる者達はそのまま中で取り調べと近辺調査、そしてアリバイの有無など事件に関与していないか捜査が行われている。
事件現場の調査と宮殿内にいた者達の取り調べが行われる中、アルバの警備隊と各所からやって来た音楽家達の護衛は、協力して内部とやり取りをし、内部と外部でそれぞれ聞き込みや重要参考人になり得る人物達を調査しているようだ。
そしてその捜査はフェリクスの元へもやって来たと言う訳なのだが、取り分け彼の自宅には多くの人員が割かれていた。理由については警備隊がフェリクスに言い渡す言葉からも察せられる。
「大司教の身辺調査を行うに当たり、貴方が今回の事件の重要参考人であることと、容疑がかけられていることが分かりました」
「容疑?ちょっ・・・ちょっと待って下さい!私はパーティーが終わる前に宮殿から帰宅しています。事件には全く関係ないでしょ!?」
「ですが、貴方には大司教を殺害するだけの動機があります。違いますか?」
警備隊の異様な数からも、自分がジークベルトを殺害したのではないかという疑いの目を向けられていることに気がついたフェリクスは、目の前の男が言う殺害の動機という言葉に、思考を巡らせ何か疑われるような事などあったかと思い返す。
そしてそれに気がつくのに時間は要らなかった。すぐに自分が疑いを向けれれている理由について思いつくと、フェリクスはそんなことで殺害に至るなど馬鹿げていると弁明を図り始めた。
「アルバのカントル降板の件で私を疑っているのか?馬鹿馬鹿しい!そんな事で人の道を踏み外すほど、私の倫理観はイカれてなどいない!」
「カントルの降板ともなれば、貴方への世間の目も僅かながら変わるでしょう。何か黒い噂があったのか、やましい事でもしていたのではないかとか。就任してそれほど長くない中での降板・・・。さぞかし音楽家としてのプレイドを傷つけられたのではありませんか?」
「何度も言わせるな!プライドを傷つけられた程度で、人を殺すなど馬鹿げている!それにジークベルト氏は、私に新たなポストを用意していると言っていた!それなのにわざわざそんな人物を殺す理由は何だ!?」
二日酔いなどすっかり冷めてしまったかのようにヒートアップするフェリクスに、うんざりとした様子で淡々と話を進める警備隊の男。フェリクス自身にどんな理由があるにしろ、誰が聞いても明らかな殺害の動機がある彼を取り調べしない理由などなかった。
「話は署の方で伺います。自宅の捜査もさせて頂きます。よろしいですね?」
フェリクスの返事を待たずして、警備隊の者達が次々に彼の家の中へと押し入っていく。必死に入らぬよう止めるフェリクスだったが、すぐに取り押さえられてしまう。
「やめろ、私の家を荒らすな!昨日のことはまた準備が整ってからだ。それまでは身を潜めなさい!」
「何を言っている?容疑者を家から連れ出すんだ!他の者達は彼の家を調べろ!」
フェリクスの言葉を聞いていたレオンは、その言葉が自分に向けられたものだと悟ると、急ぎ二階の奥の部屋からベランダに出ると、意を決して二階から外へと飛び降りる。
「二階から何か物音がしたぞ!」
「お前達が押し入ったせいで、眠っていた家族が起きたんだ」
「何を言っている?アンタはずっと独身だっただろ。家族などいたという報告は一度もないぞ!」
「何だ君は。ペットを家族として扱わない口か?薄情者め!」
急に知能指数の低そうな言い争いを始めるフェリクス。もはや何をしても警備隊が止まらぬと思ったからなのか、無駄な感情論で取り押さえる警備隊達に必死に争っている。
時間稼ぎには全くなっていなかったが、フェリクスの合図にいち早く気がつき身の危険を察したレオンの判断力のおかげで、警備隊に姿を見られる前にフェリクス宅を脱出することに成功したレオン。
自宅の調査が進めば何者かが彼の家にいた事が分かるかもしれないが、現状ではレオンに疑いが向く事はないだろう。
早朝ということもあり、閑散とする路地裏を走り抜ける一人の学生。足音は街に広がる薄らとした霧と、そこらに漂う音のシャボン玉によって上手く誤魔化されていた。
「はぁっ!はぁっ!なっ何なんだ!?一体何がッ・・・。大司教が殺されたって・・・何で先生の家に警備隊が・・・!」
一先ず自宅へと戻り、状況を把握しようと試みるレオンは、いつも以上に街中に配置されている警備隊の目を掻い潜りながら、物陰から物陰へと移動し、その道中宮殿の見える通りへとやって来る。
彼はそこで、昨夜までそれなりに楽しんでいた宮殿が厳戒態勢に入っているのを目の当たりにする。




