感情の演奏者ジル
丁度その頃、シンもジルヴィア・バルツァーの話と彼女を取り巻く環境の様子を伺い、人集りの会話の内容が変わり始めたので、別のところへと移動しようとしていたところだった。
すると、その人集りの中からとある人物がシンの居る料理の並べられたテーブルへと歩み寄ってきた。視界の端に映ったその気配に、シンは気づかれないように瞳だけを動かし様子を見ると、なんとその人物は先程の人集りの中で話の話題に上がっていたジルヴィアことジルだったのだ。
「はぁ〜・・・こんなのばっかり。ホント疲れちゃう・・・あら?」
何かに気づいた様子のジルが、シンの方に頭を傾ける。咄嗟にシンは自身の正体がバレぬように視線を逸らし、僅かに身体を彼女とは反対の方へと向けようとした。それを引き止めるよにジルはシンに声を掛ける。
「あの、こちら落としましたよ」
ふと彼女の方を見ると、ジルは床に落ちた物を拾い上げシンへと差し出していた。彼女が手に持っていたのはハンカチだった。グーゲル教会での式典の前、ツバキとトイレに行った際に使ったハンカチが、ポケットからはみ出しテーブルの容器に当たりずり落ちてしまったようだ。
「すみません、ありがとうございます」
接触するつもりはなかったので、シンは顔を見られて覚えられてしまうのではと危惧する。思わぬ失態に自分でも信じられないといった様子で、そそくさとハンカチを受け取り立ち去ろうとしたが、ジルは続けてシンに話しかけてきた。
「見かけぬ顔ですね、旅のお方ですか?」
「えっ・・・えぇまぁ、そうです」
「失礼ですが、どなたからの紹介で?」
何故彼女がそんな事を聞いてくるのか、その意図は分からなかったが変に隠すとかえって怪しまれるのではないかと思ったシンは、致し方がなくこの街の人間ではないことを利用し、慣れぬ様子でルーカスのを伏せた。
「司祭・・・様です。音楽に興味があると話したら、丁度式典が行われるからと・・・」
「司祭様?・・・ということは、マティアス様かルーカス様ですね?教会の方なのかしら?」
「いえ、そういう訳では・・・」
「丁度良いですわ。もう一つだけお伺いしたい事があります。先程式典とおっしゃっていましたわよね?それなら合唱や演奏を聞いたのでは?」
「えぇ、それは勿論」
シンは少し嫌な予感がした。式典での演奏の件を聞かれても、音楽に詳しくないシンには答えられないことの方が多い。ジルが何か怪しんでいるとしたら、その質問に答えられないシンを疑う可能性が出てきてしまった。
何とかうまく切り抜けられないかと考えていると、ついに彼女からシンに対し質問が投げかけられた。
「その合唱や演奏の場に私がいたのはご存知ですか?」
「はい」
「そうですか・・・。深く考えず、率直にお答え下さい」
彼女の表情が曇る。固唾を飲んでジルの質問に身構えるシンは、自身が肩で息しているのに気がつき呼吸を整える。外見上に浮かび上がる異変で疑いの目を向けられてしまっては元も子もない。
「私の演奏・・・どうでしたか?」
「・・・え?」
想像していた質問とは大きく違った質問が彼女の口から飛び出した。てっきり怪しまれているものだと思っていたシンは、拍子抜けして思わず気の抜けた返事をしてしまった。
ジルは音楽に疎いシンに、忖度のない率直な感想を求めたのだ。それは嘘や偽りで塗り固められた取り巻きの生徒達からは出てこない感想で、彼女が真に求める感想だった。
彼女が合唱の際に歌っていた事、演奏者の中に混じり楽器を演奏していたことは知っている。現に他の音楽学校の生徒に比べ、シン達のような素人の目にも留まる不思議な魅力があったのは確かだ。
その上でどんな演奏だったかというジルの質問。上手かった、感情がこもっていたなど、様々な言葉が頭の中に選択肢の内の一つとして浮かんでいた。よく分からなかったや、音楽自体を聞いていたので演奏者に興味はなかったなど、如何にも音楽に関して疎い者である返答も、この場にいる者として相応しくはないが、彼女の求める率直な感想にはなる。
悩んだ挙句、シンが彼女に対して返した返答は彼女の想定していた返しとはだいぶ違っていたようで、その曇った表情を驚きのものへと変え、年相応の可愛らしい微笑みを引き出した。
「申し訳ありません。ただ音楽に夢中になっていて、演奏者にまでは気が回っていませんでした・・・」
シンの感想を聞いて、ジルは目を丸くしてキョトンとした反応を見せた。間違った選択をしてしまったかと焦るシンは、何とかして誤魔化そうと言い訳の言葉を連ねようとする。
「いえっ!あの・・・すみません、音楽に詳しくなくてっ・・・!」
すると彼女は突然笑い出し、逆にシンを驚かせたのだ。




