仕立て屋の男
最後のトリとして期待される筈だったシンだが、ミアの衝撃ですっかり場の雰囲気は変わってしまった。皆を待たせても悪いと思ったシンは、誰に告げるでもなくそっと試着室へと向かった。
中はロビーよりも少しこじんまりとした個室になっており、ツクヨやツバキらに聞いていた通り男女別れた服がいくつも並んでいた。大体がスーツやドレスといったもので埋め尽くされていたが、他にも日常で着るような洋服や和風の着物なんかも混じっていた。
「ルーカス様から話は伺っております。式典へご出席との事なので、こちらの方からお選びください」
ロビーにいた店員と同じ格好をした女性が、整った服がいくつも並べられたハンガーラックを押しながら、シンの元へ歩み寄り式典用の衣装を見せてくれた。
「この中ならどれでも?」
「えぇ、式典で着られるものからオーソドックスなものを集めました。個性を出したいのであれば、少し変わり映えしたものもございますが・・・」
「いえ、この中から選びます」
目立つこと自体が好きでは無かったシンは、別のものを見せてもらうまでもなく断ると、ラックに並んだハンガーを一つ一つずらしながら確認していく。
黒や灰色、紺色など落ち着いた色のスーツやツバキが選んでいたような裾の長い燕尾服が並べられている。他にも、タキシードやベルトを使わずにサスペンダーを使用するモーニングコートと呼ばれるものもあるようだ。
初めは衣装に拘りなどなく、ツクヨと同じようなスーツを選ぶつもりでいたシンだったが、いざ並べられた衣装を目にするとそれぞれが魅力的に感じてしまい、少しの違いであっても自分の好みが反映されるものを選びたいと、己でも知らぬ間に選定の欲が出てきてしまっていた。
思いのほか悩んでしまっていると、店員の方から好みや他の人からどのようにみられたいのかなどいくつか質問をされる。シンはとにかく目立つことだけは避けたいという趣旨を伝えると、いくつかおすすめの衣装が簡単な説明と共に紹介される。
店員が勧めてくるものの中に、別段気に食わないものもなく、シンはその中からツバキと同じ燕尾服を選んだ。何を選んでも良かったのだが、シンは無意識に黒のスーツを避けていた。
これは現実世界での彼の過去が、自然とスーツという衣装を避けさせていたのかもしれない。高校を中退した後、フリーター生活の長かった彼は、何度も就職しようと様々な会社に面接へと向かっていた。
だがシンにはこれといった資格も持っておらず経歴もない。何社も断られるうちに彼の意思は削がれていき、意識は低くなってしまっていた。中卒という学歴もあり、自身の過去が自分の未来への道を妨げる壁として彼の前に立ちはだかった。
次第にスーツを着て出掛ける内に、無意識にスーツに対してマイナスな思考を抱くようになっていたのだ。自信を失わせ意思を削ぐ衣装。それがシンの中でのスーツというものだった。
似たようなものかもしれないが、形から違う燕尾服というものにシンは惹かれた。それはグーゲル教会で見たフェリクスの、指揮者としての凛とした姿に憧れを抱いていたからなのかもしれない。
これと決めてからは早かった。選んだ衣装を持って着替える為のスペースへ向かいカーテンを閉める。実際に着替えるのとは違い、シン達のようなWoFユーザーには視界の中にメニュー画面が表示され、アバターの変更を行うかが尋ねられた。
燕尾服への衣装チェンジを承諾すると、一瞬にしてシンの服装が変わる。着替えを終えてカーテンを開けると、店員がよくお似合いですと声をかける。決まり文句とはいえ、お世辞でも誉められるのは嬉しいものだと、シンはたまにはこういうのも悪くないと、まんざらでもない表情を浮かべる。
試着室を出て、仲間達の待つロビーへ戻る。一体みんなはどんな声を掛けてくれるのだろうとドキドキしながら姿を現す。
「お!終わったねぇ、燕尾服にしたんだ?」
「よっしゃ!んじゃいっちょ式典ってやつに行ってやろうぜ!」
「気が早い、まだ時間はあるだろ?それに衣装の調整だって・・・」
シンの想像していた出迎えとはだいぶ違っていた。もっと色んな意見が飛び出してくるものかと思っていたが、一行にしてみればもう何度目の衣装チェンジだった事だろうか。
彼の番が回ってくる頃には、既に新鮮味が薄れてしまっていた。
「あれ・・・?なんか、もっとこう・・・」
「衣装の最終調整を行いますので、もう一度着替えてロビーでお待ち下さい」
「あ、はい・・・」
店員の言葉は丁寧でやんわりとした言い方だったが、妙に対応がそっけなく感じたシンは淡々と仕事をこなす店員に言われるがまま指示に従い再び元の服へ着替えると、ロビーで衣装の調整が完了するのを待つ。
そこへ、仕立て屋の店主が一行の前に現れる。
「衣装はどうでしたかな?」
「貴方は・・・?」
「私はこの店の店主である、“マルコ・ハーラー“と申します」




