新たな旅の香り
陽の光に照らされる草原に、清々しいほど気持ちの良い心地良い風が吹き抜ける。森の中の自然の香りとは違った、何にも染まらない無色透明といった言葉が似合う空気が広がっていた。
「すごい!見渡す限り草原!世界ってこんなに広かったのですね!?」
「大袈裟だろ・・・。でもまぁ、俺も広大な大地ってのは初めてだ。浮かれんのも分からなくはないぜ」
楽しそうに馬車の窓から外を眺めるツバキとアカリ。二人とも閉ざされた世界で育ったのだろうか、何もない草原が絶景かのように彼らの目には映っていたようだ。
「確かに空気も変わったよね。森なんて私も小さい頃にキャンプでしか行ったことがなかったけど、こんなに広大な草原っていうのもテレビとかネットでしか見たことがないよ」
ツクヨは自身の体験を元に、二人の様子を見て同じような感情を抱いているようだった。彼らの暮らしてきた現実世界では、特に日本という小さな島国ではそのような大自然といった光景は見られなくなってしまった。
ツバキのよく知る大海原こそあれど、広大な大地はない。自然というものも今の技術力で過去のものを再現した、人の手が加えられた人工的なものでしかない。故に、五感で体験できるものもリナムルの森とはまるで別物だった。
「アタシの記憶にあるのは人工的なものの中で、そういうものなんだなって学校の行事で体験したくらいだ。シンは?」
「俺もミアと同じ。誰かとどっか行くなんて、学校とかの行事でもない限りなかったし・・・」
「小さい頃に家族で行ったとかも?」
「親は共働きだったし、あんまり休みが合うこともなかったんだ。だから家族全員が揃うなんてことも殆どなかったよ」
シンの家庭は一般的に言うところの、ごく普通の家庭だった。裕福と言うわけでもなく特別貧しいといった訳でもない。共働きで余裕が無いと言うところからすると、どちらかと言えば貧しい方だろうか。
それに技術力の進歩は良くも悪くも、実際にその場へ足を運ばなくてもVRで体験したり景色を堪能することもできるようになっていた。誰かが何かを模して作った自然。匂いや風は人工的に作り出された再現されたもの。
果たしてこの世に誰の手も加えられていない、自然そのものの光景などあるのだろうかと思わざるを得ない生活が、彼らの“普通“になっていたのだ。
「そっか・・・。でも、それなら今こうやってみんなで来れてよかったじゃない!大人になってから初めての経験をするのも良いものだよ?その時その時の心の状態で感じるものは違うんだから。今でないと感じない感情ってのも風情でいいと私は思うけどね」
「そう・・・だな。うん、みんなと来れて良かった」
自分の過去を語る時のシンは、決まって暗い表情をしていた。彼の話す現実世界の話は、他人が聞いてとてもではないが楽しそうとは思えないものばかり。それだけ彼にとって、他人に話したい程の記憶や思い出が無いのだろう。
そんな彼が今を語る時、少しだけ表情が明るくなる。ツクヨもミアもそんなシンの表情を見て、安心したかのように口角を上げていた。
「遠くに山が見えてきましたわ。それに人がいそうな建物なんかも」
アカリの声に視線を馬車の窓へと向ける一行。そこにはアカリが言っていた通り、遠くに大きな山々が広がり、その麓に見えるのは人々の活気のある気配のする街のようなものだった。
「あれが例のアルバって街?」
「残念。アルバはもっと先さ。でもあそこまで行けばもう安全だ。警備隊やギルドの人達が整備した道もある。冒険者の方々も大半は解散になるだろうねぇ」
馬車の主人が麓の町のことについて教えてくれた。どうやらシン達の次の目的地である“音が溢れる街“というアルバはまだ先らしい。
その街からは、他の国や街に向かう商人達も多いらしく、多くの人々が行き交うようだ。彼らは前にもそんな街を訪れたことがある。多くの人が行き交うと言うことで、近隣諸国の情報や世界情勢など、こじんまりとした街や村では知り得ない情報が手に入る。
リナムルでの一件がどのように広まっているか。アルバの街がどんなところであるか。アークシティの動向についてなど、調べておきたいことは山ほどある。もしかしたら黒いコートの人物について何か知ってる人物もいるかもしれない。
「それだけ人が集まるんだったら、一旦そこで情報収集だな」
「護衛ももう十分だろうしね」
「えぇ〜!またその“情報収集“って奴かよ!?」
早く次の街へと行きたいのだろうか、ツバキはこのままだとまた街に滞在し時間を潰すのではないかと思い嫌そうな顔をしている。
「あら?いいじゃないですか。私、いろんな人の話を聞くの好きですよ?」
「それに情報っていうのは、私達の力にもなる。知り得る情報は知っておくべきだよ」
「ツクヨのくせにそれらしい事言うじゃねぇの。まぁ美味いもんでも食えればそれでいいか」
「食いモンがありゃいいのかよ・・・」
他愛のない会話を繰り広げながら、一行を乗せた商人の馬車は多くの人々が行き交うという山の麓の街へと向かう。




