彼らの“自然“
自らの喉にナイフを突き刺し、自害を試みた獣はしてやったりといった表情を浮かべながら倒れ動かなくなる。その目からは光が失われ、生気を感じない。気配を確かめるまでもなく“獣は死んだのだ“、というのがツクヨにもわかった。
「何故・・・。そうまでして連れて行かれたくなかったのか」
「そんなに俺達の事が信用ならなかったってか?」
獣は嘗ての獣人と人間の関係性と同じく、彼らの言葉を全くと言っていいほど信用してなどいなかった。この場で拘束され、交渉が決裂した時点で既に死を覚悟していたのだろう。
それは意思があるからこそできる事であり、それ故に受け入れなければならない自分の命にピリオドを打つという、元来生物に与えられた“生“という枷から解き放つ行為。
奇しくも叡智を身につけた生物は、より優れた“生“を謳歌すると共に“死“へと近づいた。それはとても身近で、この世に生まれ落ちた歳月など関係なく等しくその権利を持つ。
謂わば、誰しもが自らの命をいついかなる時でも断てる様になってしまった。
知恵とは、生物がより充実した時を過ごせるように成るものではなく、死を身近にし生物としての生存本能を失わせる“毒“だったのかもしれない。
「以前の俺らと同じさ・・・。他の種族なんて信用できねぇ。接触すれば何をされるか分かったもんじゃない。だから捕らえて掌握してきた。より力を持つ方が長く生きる事ができる。それが本来の“生き物“ってもんだろ」
ツクヨはそんな獣人の言葉を聞いて、現実世界での出来事のことを思い出していた。真っ暗な自宅へと帰った時、鍵の掛かっていない玄関のドアのぶを捻った彼の心は、一瞬ヒヤリとした。
想像もしていなかった事が突然自分の身に降りかかると、命の重みを思い出せと言わんばかりに身体が反応する。それはツクヨ達のようにより高度な文明へと発展した世界に住む者であればあるほど忘れ去られていき、ふとした瞬間に生物としての本能がそれを思い出させようと反応を起こす。
そして妻と娘が真っ暗な部屋の中、潰れた果実のように飛び散る血の上に横たわっている姿を目に捉えた瞬間、頭は真っ白になり心臓はその鼓動を早めた。まるで内臓を突き抜け肋をへし折り、外へと出たいとでもいうかのように。
だが、ツクヨ達の世界にも弱肉強食というものはあれど、WoFの世界のそれとは性質が異なる。単純な腕力などではなく、権力や他者との関係性、そして富や有り余る時間など、様々なものが“力“として彼らに牙を剥く。
それを理不尽に感じることもあるだろう。実際、ツクヨやシンやミア達は現実の世界でそういった“力“の前に挫折し、絶望や惨めさを味わってきた。
今、ツクヨが目にした光景はそんな者達が辿る、生から死への道の一つ。後に何も残さないのが、彼らの前に転がる獣のとった最期の抵抗だったのかもしれない。
「これが・・・自然なことなのか?」
不意にツクヨの口から溢れた言葉の意味を、獣人達はおそらく読み取ることは出来なかっただろう。彼らとて、そんな見えない力に怯える日々を過ごしてこなかった訳ではない。時には理不尽に仲間や友を失うことだってあっただろう。
それでも、一人の一つの命の真相など、決して他者が計り知れるものではないのだから。
「弱肉強食って言葉があんだろ?俺たちゃぁそういう世界で生きてきたんだ。自然の中で生きてりゃ、それが“自然“ってもんだろ」
「そうか・・・。自然の中ではそれが“自然“なんだね・・・」
彼らの“自然“が文字通り森の中で暮らす自然と共に生き、死んでいくようにツクヨ達の“自然“とは、街や建物があり、電気が通り水道が通り、ガスがあって人がいて。そんな日常がツクヨ達のいた現実世界という中での“自然“なのだとツクヨは捉えた。
「さぁ、もういいだろ。脅威は去ったんだ。そろそろアイツらの元へ戻らねぇと、痺れを切らせてどっか行っちまうかもしんねぇぞ」
「あぁ、だがコイツはどうするよ?一応他の奴らとは違った特殊な獣だった訳だろ?死体だけでも・・・」
「よせ。アズールらの報告じゃぁ血液からの感染もあるって話じゃねぇか。特殊ってのは必ずしもプラスの意味じゃねぇって」
一行は言葉を話す獣を置き去りにして、森に待たせている部隊の元へ戻ろうとした。そこでツクヨは、歩き始めた彼らを引き止め、獣を埋めてもいいかと問う。
「は?何でそんなことを・・・?」
「せめてものっていうか・・・ううん、ごめん。ただの自己満足なんだけど・・・駄目かな?」
顔を見合わせる獣人の二人。だがこのまま獣の死体を野晒しにしておいても、ここへ連れてきた部隊の者達が作業に集中出来なくなってしまうかもしれないと、二人はツクヨの意見に賛成し、伐採に来た木々から離れた湖の側に獣を埋葬することにした。




