箱庭の世界で
リナムルへ帰る間、アズールは険しい表情のまま誰とも口を利くことなく足を早めていた。時折シンやツクヨの声に、焦りから後ろに続く者達を置いていっている事に気が付き、歩く速度を落とす光景が繰り返された。
「アズール・・・大丈夫かな?」
「気が気ではないだろう。最も身近な仲間の安否が分からないんだ・・・。きっとすぐにでも現場に向かって確かめたいだろう」
実際アズールはよく耐えていた。それは彼の中に現れたミルネの存在による影響が大きいだろう。何故あの時、都合よく彼女の姿が瞼に浮かんだのか。そして何故、研究員達を救助するという未来へ歩ませたのか。
それは彼女の姿を想像したアズール自身にも分からない事だった。
暫く森の中を歩み、間も無くリナムル付近へとやってこようかというところで、数名の気配がシン達の元へと近づく。獣の気配を身につけているシンとツクヨは、すぐにその接近する者達の気配に気がついたが、アズールは別のことで頭が一杯だったようで声を掛けられるまでその気配までも感じとれていなかった。
「見ろ、獣人族と人間の冒険者だ」
「迎えに来てくれたのかな?」
ツクヨが呑気な反応をしていると、やって来た者達の顔は先程のアズールのように強張っていた。合流した後、アズールがやって来た獣人族にどうしたのかと尋ねると、先にリナムルへ到着したエルフ族から、ガレウスやケツァルらが残った研究所への隠しポータルの場所で起きた出来事を聞き、動ける者で実力のある者達を集め様子を見に行く所なのだと語った。
「アズール!」
「分かってる!コイツらはお前達に任せる。俺も共に行こう」
聞かずとも行きたそうにしているアズールの様子を察したシンが声を掛けると、アズールも初めからそのつもりだったと言わんばかりに、研究員達のことをシンとツクヨに任せ、偵察隊に加わる。
「しかしアズール!アンタは今の今まで戦っていたのだろう?その・・・大丈夫なのか?」
「弱音など吐いていられん。すぐに向かうぞ。敵残党が残っていたら残らず始末する」
「始末って・・・!あんなのそう簡単にはッ・・・」
アズールの身体はWoFのユーザーであるシンやツクヨの身体とは違い、エンプサーとの戦闘で受けた傷やダメージが抜けていない。自然治癒能力も獣人族として元から備わっている常識の範囲を出ない。
アイテムを用いた回復や治療を施す他に、彼のダメージを回復する術はない。だがアズールはそんな事を心配する暇があるなら、一分一秒でも早くエルフ達の見つけた現場へ向かうぞと鋭い視線を向けた。
「我々の仲間に回復魔法を使える者がいる。貴方さえ良ければ移動しながら回復をしよう」
「それは助かる。この恩は武勲にて返そう。では行くぞ!」
既に位置を把握しているアズールは、颯爽と先陣を切り偵察隊を連れて来た道を戻って行った。
「彼らはどこへ?」
その様子を見ていた研究員の一人が、シン達に事情を伺う。一行は移動しながら研究所へ辿り着いた道のりと方法を研究員に話すと、彼は驚いたような反応をしていた。
「そうか。だから我々はあそこから抜け出せなかったのか・・・」
「抜け出す?」
シン達の話を聞き、研究所の周りに隠された移動ポータルがあることを初めて知った様子の研究員の男。どうやら研究所内では、何人か外へ逃げ出そうとしていた者達がいたようだった。
その大半は帰ってくる事もなく、消えた代わりに別の研究員が補充されていったと彼は語った。外へと向かった者達の中に、重要な役割を任されていた研究員の一人がいた。
彼だけは何事もなく研究所へ戻ってくると、まるで別人のようになって戻ってきたそうだ。暫くして、ダマスクのように生物の意思や記憶に関する研究で生まれた能力により、外での記憶を取り戻すことがあったのだと語った。
その男によれば、研究所の周りの森はどの方角へどれほど外へ向かおうと、必ず研究所へと戻って来てしまうのだと語ったのだという。
つまり研究所で働かされていた彼らも、あの空間に閉じ込められていたということだ。用がある場合は、外から一方的に上層部の人間が荷物や新たな実験材料と資料を持ってやって来るのだという。
だが、外から来る者達の顔も名前も、研究員達は誰一人覚えていなかったそうだ。それは記憶を取り戻したという研究員も例外ではなく、上層部の者がやって来たのと同時に思い出した筈の外の仕掛けすらも忘れてしまっていたそうだ。
研究員達は研究所という限られた箱庭という空間で、ただ言われるがまま研究をしていたに過ぎない。しかしその研究所自体も、何処かにある別の空間なのか、誰かによって作られたものなのか。定められた空間の箱庭に過ぎなかったのだ。
「じゃぁなんだ?俺達は作られた空間の中で、あの研究所を破壊したと?」
「恐らくは・・・」
「つまりどういう事・・・?」
「あの規模の空間が作られたものだとしたら、他にも似たようなものが幾つもあるのかも知れない・・・」
「その内のどれかに、オスカーが言っていた生物燃料にされた子供達の本体がいる!?」
アークシティという場所、組織がどれ程の技術力を持っているのかはシン達にも分からないが、その勢力の中には大規模な空間を作り出し、それを維持し続けるだけの能力を有している事になる。
それが技術力による組織的な力なのか、或いは何者かによる個人の能力なのか・・・。




