蝕毒の道に活路あり
ムカデの毒にはセロトニンやヒスタミン、活性ペプチド等の成分が含まれている。咬みつくことで毒素を流し込み、激痛や腫れ、発赤などの症状を引き起こし、全身の症状として発熱が見られる場合もある。
繰り返し何度も噛まれればアナフィラキシーショックを引き起こす場合もあり、呼吸困難や動悸、悪寒に吐き気、頭痛や眩暈など症状が現れ生命の危機に陥る場合もあると言われている。
咬まれた場合は、患部を綺麗な水で洗い流し、水や氷などで冷やすことで毒の拡散を抑える効果がある。だがあくまで毒素の拡散を防ぐだけであり、除去するには抗ヒスタミン剤やステロイドなどを用いる場合が多い。
嘗ての書物ではムカデの毒は酸性と記されている物もあり、アンモニアを使う事が有効とされていたが、実際のところムカデの毒成分が詳細にはわかっておらず、アンモニアによる皮膚炎を引き起こす懸念もあることから、今では有効性のある対処法とはされていないようだ。
急ぎ溶かされた防具を外して捨てると、液体の付着した衣服の部分も引き裂き、皮膚に触れぬように対処するエイリル。しかし完全には防ぎ切れておらず、身体の複数箇所に撒き散らされたムカデの毒液が僅かに付着していた。
それを触れる事なく、身を守っていた風の魔法を使い、毒液の除去を試みる。風の魔法を毒の排除に回した事により、これまでのような機転の効く動きは取れなくなってしまった。
一度センチとの距離を取り、大穴の外壁の方へと飛び退いていくと、そこで体勢を整える。しかし、エイリルの勢いを挫いたセンチが、そのまま彼が体勢を整えるのを黙って見ている筈がなかった。
「さぁ!回復しながらこの毒の雨が防げるかぁ!?」
退避したエイリルよりも高い位置へ触手を使って登って行ったセンチは、エイリルの上方の壁からムカデを出現させ、彼の防具を溶かしたものと同じ毒素を含む液体を撒き散らさせる。
センチの言うように、エイリルの風は一度に別々の用途で扱うことが難しい。身体の毒を取り除きながら降り頻る毒の雨を吹き飛ばそうとすると、勢いの強い風圧に影響され別の用途で用いていた風が乱されてしまう。
そして何より、大穴という閉ざされた空間である事が、更にその効果に拍車をかけてしまっているのだ。
「チッ・・・やむを得んッ!」
エイリルは自身の身体に付着した毒液の排除を一時中断し、迫る毒の雨を退ける為に風を放出し吹き飛ばす。除き切れていない毒液がエイリルの身体に激痛を与える。
皮膚は赤く変色し、扱う魔法に影響を与え始めた。彼の手から放出される風は、時折途切れたり歪な軌道で風を巻き上げ、毒の雨をあらぬ方向へと吹き飛ばしてしまう。
自身の方へ毒液を飛ばしてしまい、辛うじてそれを避けるエイリルの表情は身体を蝕む毒による激痛と眩暈に歪んでいた。
「クソッ・・・まさかこれしきの事で・・・!」
「たっぷりと味わってくれよぉ?こいつぁ俺が研究に研究を重ねてブレンドした一級品だ。特別な個体にしか与えてねぇ猛毒よぉ」
「そうか・・・“特別“、なのか・・・」
ムカデから飛び散る毒の雨を、退けるように吹き荒んでいたエイリルの風が突如として止まる。上空へ巻き上げられていた毒液が勢いをつけて降り注ぐ。エイリルは風を放つことを止め、指を銃口のようにセンチへと向ける。
「・・・何のつもりだ?」
「“最後の足掻き“・・・と、でも言っておこうか」
エイリルの指先に魔力が集中し、風の塊が渦巻く。高速回転しながら凝縮された風の球は、宛ら銃弾のように彼の指から撃ち放たれた。発射される寸前に魔力の動きを読んでいたセンチは、それが自分に向けられた銃口なのだと察し前もって動く事が出来た。
間一髪のところでエイリルの放つ風の銃弾を躱したセンチ。しかしエイリルは次から次へと指先に魔力を集め、一発また一発と風の銃弾を撃ち放っていく。
壁に触手を突き刺しながら器用に移動していくセンチに、狙いを定めて打ち込んでいくも、素早い身のこなしは風を纏ったエイリルのように飛び回り、彼の風の銃弾が命中することはない。
「ハハハハハッ!どうしたぁ!?最後の足掻きが何も出来てねぇぞぉ?」
「・・・・・」
センチの挑発に動じることなく、エイリルはただ黙々と指先に魔力を集めてはそれを飛び回るセンチに向けて撃ち放つ。だが魔力は無尽蔵ではない。無駄撃ちをすればエイリルの魔力が消耗するばかりで、自らの首を絞めるようなもの。
風の防壁が失われた事により、毒の雨がエイリルの身に降り注ぐ。だが彼はそれを避けることも防ぐ事もせず、全身に猛毒を浴びながら一心に風の銃弾を撃ち続けている。
その真っ直ぐな眼差しは覚悟の表れか、それとも何か策があるが故の勝利への確信か。風の弾は暴れまわり毒液を撒き散らすムカデ達に命中する。狙って撃ったものではないだろうが、攻撃を避ける流れ弾が何匹かのムカデを貫きその動きを鈍らせる。
「ムカデ達を減らしたところで、この雨が止まることはねぇぞ?動かなくなった連中の身体からも毒液は出る!それこそ散らすよりももっと広範囲に効率的になぁ!?」
「猛毒を扱うのであれば、自身に降りかかる危険性もまた考慮しなければならない・・・」
「・・・あぁ?」
猛毒を扱えば、誤って自身にも襲い掛かることを考慮して解毒を所持するというのは当然のこと。元よりその身体が毒に対する抗体を持っているのであれば話は別だが。
「まさか解毒薬を期待してるのかぁ?ブッハハハハハ!!馬鹿か!?俺ぁ元よりそんなモン、持っちゃいねぇよ!必要ねぇからなぁ!この身体は毒に対する抗体を持ってる。毒の研究をするなら当然のことよ」
「そうか・・・。お前が解毒を持っていないと分かれば話は早い。ならば俺の“目的“は果たされた・・・」
「・・・何言ってやがる・・・?」
表情を隠すように俯いたエイリルの口角は吊り上がり、次に不気味な笑みを浮かべたのは毒液に塗れたエイリルの方だった。




