虫の気配
容器の中はこれまで見てきた物と違って空っぽだった。中には何も入っておらず、幾つかの機材を繋ぐコードのようなものがぶら下がっている。
「生態データっていうのは、こんな大掛かりなもので読み取るものなのか?」
いくら十六夜の頼みとはいえ、恐れもなく装置に繋がれるという気持ちにはなれなかったのだろう。僅かに後退りするツクヨに、彼女は心配させまいと装置が安全であることを証明する為、実在するかも分からぬ例を挙げて説得を試みる。
「初めて目にするのだから、不安になるのも分かるわ。でも大丈夫よ。私もここへ転移した時、この装置で色々調べられたの。装置に繋がれていた時の記憶もあるわ。痛みはないし、どこか心地よさすらあったの。眠ってる内に検査が終わって装置を外されたけど、身体に異変は無かったし気分も悪くなかったのを今でも覚えてるわ」
「君もこの中に・・・」
「そう、だから私を信じて?それに、研究員としてこの世界のことを調べる内に、私も何度もこの装置で様々なモノを調べたわ。使い方は熟知してる。何も心配はない」
もう一度家族全員揃って、あの日々を取り戻す。ツクヨの脳裏に過ったのは、現実世界で蜜月が生まれた時を涙を流して喜びあった過去の記憶だった。愛娘の為、ここで躊躇っている場合ではないと彼の心は十六夜に引っ張られるようにして動き出す。
「分かった。君を・・・信じるよ。蜜月を一緒に探そう!」
「えぇ、勿論。必ずあの子を見つけて見せるわ」
装置の外装に手を掛け、容器の中へと入り込むツクヨ。そして彼が装置の中に完全に入ったことを確認すると、十六夜は最後の確認を取り、容器の入り口をガラスのような透明な扉で閉じる。
ツクヨは十六夜の指示に従い、容器の中にぶら下がるコードを手に取ると、コードの先に取り付けられた手錠のようなものを、手首や足首などに装着し、最後に彼女の操作で容器の中に現れた、身体を寄り掛からせる装置に身を委ねると、突然自分では抗えぬ眠気に襲われその瞼を閉じた。
彼が容器の中で眠ったのを、機材のモニターで確認した十六夜は装置を起動させ、容器の中に何やら気体を送り込み、ガスのようなもので充した。モニターにはツクヨの身体に繋がれた装置から送られてくる反応を反映している様子が映し出され、それを見て彼女は手を止めることなく機材の調整を行いながら、僅かに笑みを浮かべていた。
一方、部屋一面の床ごと地下へ移動していたアズール達は、シンに部屋へ到着してからの出来事を簡潔に話し、リフトが地下に到着するのを待っていた。置いてきたツクヨの事が心配だったシンだが、今は彼らと共に地下のその先を探ることに注力しようと心掛ける。
「なぁ、アズールよ。さっき床を動かすレバーの隠し場所を見つける時に目にしたという虫は見たか?」
エイリルはリフトが下へ移動していく間、アズールが見たという虫が何処へ行ったのかを確認する。
「さぁな・・・。床が丸ごと動いたんだ。どっかの隙間から逃げたんじゃねぇか?」
「・・・・・」
「どうした?何か気になんのか?」
アズールの解答に眉を潜ませるエイリル。彼は暫く考え込むような様子を見せると、アズールが見つけた床のレバーの所へ移動し、身を屈めて何かを探っていた。
「おい、エイリル!」
「あぁ、すまない・・・。少し気になったんだ。俺達エルフ族は、周囲にいる生き物の気配をある程度感知できる。それはどんなに小さな動物や虫であってもだ・・・」
「さっきの虫の存在が感知出来なかった・・・と?」
アズールはエイリルの様子から話を察して、先に何を言い出そうとしていたのかを口にする。彼の推察通り、エイリルにはアズールの目にしたという虫の存在を感知することが出来なかったのだという。
「ここには多くの人間もいる。その反応による影響ではないのか?」
「確かに周りに大きな反応があれば、小さな反応を見逃すこともあるかもしれない。しかし・・・」
エイリルは自分だけが見逃したのかと、一緒について来ている妖精のエルフ達の表情を伺う。彼の話を聞いていたエルフ達は、同じく感知することが出来たかというエイリルの視線を向けられるも、揃って首を横に振っていた。
「じゃぁ何か?あれはお前らでも感知出来ない存在だったとでも?」
「可能性として無くはないと思っただけだ。それとも既に何かされてたりしてな・・・」
感知能力が散漫になっているのが自分だけではないと分かったエイリルは、既に侵入者がいることに気がついているであろう施設側の何者かによって、探りを入れられているのではないかと警戒する。
すると、どこからともなくエイリルの考察を賛美する謎の男の声が一行の元へ届けられる。
「ほう、これは見事な推察。流石にここを見つけるだけの事はあると言ったところかな?」
「ッ!?」
声と同時にエイリルとエルフ達は、彼ら以外に部屋に感じる何者かの気配を感知する。それは人や獣のものなどではなく、先程も彼らが話していたどこにでもいるような虫ほどの小さな気配だった。
「気配がする!先程まで感じなかったものの気配だ!」
「何処だ!?」
「アズール!アンタの後ろにッ・・・!」
エイリルの声に振り返るアズール。しかし、どこを見渡してもそれらしき姿は見当たらない。催促するようにエイリルに尋ねるアズールだったが、その声の主人は彼の身体に張り付いていたのだ。




