更に恐ろしく悍ましく
周囲の獣達が一斉に移動を開始したことにより、彼らを覆っていた緊張感が一気に取り除かれる。獣達によって野生動物達は逃げるように避難し、騒動を起こした党の本人達が去った事により静けさの戻った森を、一目散に駆け抜けていく。
道中で獣の力を自力で克服し始めていたシンは、身体の自由を奪っていた怠さや疲労感に打ち勝ち、すっかり一人で移動出来る程に回復していた。だがそれでも、本調子のような動きは取れず、自慢のアサシンのスキルも使えない。
そして、拷問によりボロボロだった筈のダラーヒムは、自身の錬金術のクラスにより使役している精霊の力を使い、徐々に身体の傷を内側から治していた。彼の指示により外傷をわざと残す事により周りを欺いていた。
その甲斐もあり、誰にも気づかれることなくほぼ全快の状態にまで回復していた。獣との戦闘でもシンの暗殺道具を使っていた為、戦力として一番余力を残しているのは彼であった。
シンとダラーヒムという獣人の仇である人間達を連れ、ケツァルは肉体強化の反動に耐えながらもアズールの向かった同胞達の元へと急ぐ。万全の状態ではないにしろ、彼らと共に獣を始末していた時の強化は身体の一部を強化するものであり、今まさに魔獣と戦っているアズールのように全身を強化するものではなかった。
その為、肉体強化による反動も少なくすぐにバテてしまうような事はなく、必要最低限の力に抑えてきたのは、彼の策士としての裁量と経験が可能にしたものであった。
一方、魔獣と対峙していたアズールには彼らの接近を気にしている程の余裕などなく、戦力差の広がる魔獣の攻撃を凌ぐので精一杯だった。アズールの力が魔獣の動きについて来れなくなっていた。
肉体強化を施し、ひと回り大きくなったアズールよりも、同じく強化の入った魔獣の方が体格的にも大きく、その攻撃の一つ一つを避けるにしても、体力の消費や回避、接近に必要な移動距離がアズールの方が多く、戦闘が長引けば長引くほど不利になるのは彼の方だった。
幸いなのは、倒れている獣人族の同胞を魔獣が狙ってこない事だ。もしも悪知恵の働く相手ならば、周囲の環境や物、相手の弱点を利用して戦況を有利に運ばれていた事だろう。
単純な一対一の状況は、アズールにとっても願ってもないことだ。一族の受けた屈辱や残酷な仕打ちを胸に秘め、それをぶち撒ける場を待ち望んでいた彼にとって、相手がその憎き人間でないのは残念だったが、溜まっていたものを吐き出す相手にとって不足はない。
久しぶりの血湧き肉躍る戦いに、苦戦しつつも嬉しそうな表情を浮かべるアズール。
そこへ、漸く向かって来ていたケツァル達が合流する。彼らが目にしたのは、それまで見てきた獣とは姿形そのものがまるで別物のように変化した、悍ましい姿の大きな魔獣だった。
「アズールッ!無事でよかった・・・今加勢する!」
「よせ!お前は他の者達の手当てをしてやれ」
突然引き止められるケツァルだが、明らかに優先すべきは目の前に差し迫る脅威ではないかとアズールに問う。気配でしか感じ取れていなかったが、いざアズールの対峙していた魔獣を目の前にすると、その異常さが肌身で感じ取れるほどだった。
「なッ・・・何だよ、この化け物は!?」
「これもあの“獣“なのか?」
彼らが到着した時、アズールと負傷した獣人が戦っていた魔獣の姿とは大きく変わっていた。肉体強化により四足獣の獣となった魔獣は更に一回り大きくなり、負傷した獣人が決死の思いで再起不可能にした背中に生える獣の腕は、一本どころではなく無数に生え揃い、まるで大きな翼のように一つに固まっていたのだ。
「これは俺の“獲物“だ。貴様らも手を出すな」
まるで魔獣のような睨みでシンとダラーヒムを威嚇するアズール。これでは誰を助けに駆けつけたのか分からない。
「あぁそうか、言われなくてもあんなのと真面に戦おうなんて思わねぇさ・・・」
ダラーヒムはそもそも乗り気ではなかったようだ。それもその筈、彼にとっても獣人は捕えられ拷問を受けた借りがある。その獣人族の長であるアズールは、ガレウスに情報を引き出すよう命じた張本人でもある。
元々調査しに来ただけの彼にとって、獣人族のゴタゴタに巻き込まれるのは誤算だったのだから。それが魔獣と戦い共倒れになってくれれば願ってもない展開。瀕死にでもなってくれれば魔獣を横取りし、アズールから獣人族が持っている情報を引き出すのも悪くない。そう考えていた。
今はアズールに従うのは癪だが、ケツァルや人間に対して理解のある獣人族の為にも、怪我を負って倒れる他の獣人の手当てにあたる事にした。




