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第九章 その4 白球ミュージアム

 8月、夏の盛り。外に出るのもためらわれるような熱気が列島を覆うこの頃だが、夏休みとなれば外にとび出して遠くまで旅行をしたくなるのは不思議なものだ。


「でか……」


 燦燦と照り付ける太陽の下、私たち姉弟は東京駅の八重洲口を出て、目の前にそびえるビル群を見上げていた。


 往来のど真ん中で立ち止まる私たちの脇を、ほんのわずかな時間の間に何十もの人がかわして通り過ぎる。ビジネスマンに買い物客、学生まで年代は様々だ。


「日本てこんなに外国人多かったんだな」


 長らく香川に封じ込められていた弟にとって、特に外国人観光客は珍しく映ったようだ。ぴしっとスーツを着込んだ金髪碧眼の男性に、ヒジャブをかぶった東南アジア系の女性にときょろきょろと目移りさせてお上りさん感丸出しだった。


 だが弟の心配などどうでもいい。私はもうひとり、やや顔色の悪い同行者の少女に「大丈夫?」と声をかけた。


「椅子に座り過ぎて……疲れた」


 ぐったりと青ざめた顔を地面に向けて辛そうに答えるのは悠里乃ちゃんだ。姉弟だけでは寂しいからと彼女もついてきたのだが、さすがに瀬戸大橋を渡って岡山から新幹線の長旅は病弱な身には応えたようだ。


 この夏休み、東京に行こうと決めた私は親から承諾を得るとまずてっちゃんに連絡を入れた。てっちゃん兄妹もいっしょに行かないか、と。てっちゃんは仕事で休みが取れなかったが、悠里乃ちゃんは聞くなり行きたいと即答した。


 てっちゃん家族は驚いたものの、外に出るのを怖がっていた悠里乃ちゃんがここまで積極的になったことに感激してすぐさまOKを出した。特に兄のてっちゃんは我が身のように喜んでいるようで、お土産を買ってくる代わりにとかなりのおこづかいを渡したらしい。


「ホテルはこっちだからね。荷物置いたらすぐ行くよ」


 この足元から茹であがってしまいそうな熱気から一刻も早く逃れようと、私たちは急いでタクシー乗り場に向かう。だが次の瞬間、私たち3人は思いもよらぬ光景にあんぐりと口を開いて立ち止まってしまった。


「うげ、何この行列」


 タクシー乗り場には長蛇の列。地元の駅前ではタクシーなんていつもロータリーで暇そうに時間潰しているイメージしかないのに。


 新幹線から下りてわずか10分、四国の片田舎と日本の中枢の人口の違いを、私たちはまざまざと見せつけられたのだった。




「すげえ、これが安田講堂か」


 そう感慨深げに言いながら、弟は目の前の建物にカメラを向ける。


「あんまり長居はよしてよね」


 そんなものあるはずないとわかっているのだが、周囲の視線を気にした私は肩をすくめて弟を急かす。大学の敷地は一般人の出入りも自由、お爺ちゃんが散歩していても誰かが咎めることは無い。しかしここは日本の最高学府、周りが秀才ばかりだと思うと自分がどうも場違いに思えてくる。


 東京に到着したこの日、私たちは弟の希望に従い、東京大学本郷キャンパスの見学に来ていた。かの有名な赤門をくぐり、歴史ある建造物が林立する広大な敷地を一周する。


 すれ違う学生は皆、かの東大生だ。私みたいな勉強の苦手だった者からすれば雲の上の存在に等しい。弟は憧れの大学に来れたことでテンションが上がっているが、付き添いにとってはなんとも心細い空間だろう。


 特に悠里乃ちゃんはそれ以上の居心地の悪さを感じているようだ。怯える猫のようにびくついて、私の脇から一向に離れようとしない。知り合いはいなくても自分と年代が近い学生だらけのここは、彼女の精神をゴリゴリと削っているのだろう。ああ、こんなことなら大学前の古本屋で立ち読みでもしながら待ってるべきだったかな?


「そういえば悠里乃ちゃん、てっちゃんにおみやげって何頼まれたの?」


 私は悠里乃ちゃんの気を少しでも紛らわそうと、別の話題を投げかける。


「うん、これ」


 悠里乃ちゃんも現実から逃れるように、震える指先でスマートフォンをタップした。


 画面に映し出されたのは読売ジャイアンツのグッズ。ユニフォームやらタオルやら、スタジアムの応援に必須のアイテムがずらりと並んでいる。


「お兄ちゃん、野球好きだから。東京ドームの売店なら買えるはずだって」


 悠里乃ちゃんは苦笑いして言った。そういえば東京ドームはここから近かったな、弟のことが終わったら早速行ってみようか。


「え、東京ドーム行くの?」


 パシャパシャと連写していたのを止め、こちらを向いた弟が目を輝かせる。男子ってどうしてこうも野球が好きなのだろう。


 東京大学を正門から出た私たちは、そのまま東京ドームへと歩いて向かった。東京の都心だというのに意外と坂道が多い。関東平野はだだっ広く平坦だとばかり思っていたのに、意外な発見だ。


 そしてようやく視界に東京ドームが入った時、私たちは目の前に広がる巨大なメロンパンのような屋根に圧倒されてしばし「うわあ」とだけ声を漏らして見上げていた。四国にドーム球場は無い。つまりここまでの大きさの一枚屋根を目にすること自体、私たちにとっては未知の経験なのだ。


 早速グッズを買おうとドーム前の広場に入った時だった。弟が「あれ何だ?」とドームの一部を指差したのだ。


「野球殿堂……博物館?」


 ドームの一部、観客席とは別に外から入れる形で博物館が併設されている。名前からして野球の博物館のようだ。まあここは日本を代表する球団のホームグラウンド、そりゃそういう施設があってもいいわなーと、野球にあまり興味の無い私は、その程度にしか思わなかった。


 だが弟は違った。看板を目にするや否やくるりと進路を変え、まっすぐ博物館の方へと今までの倍速で歩き出したのだ。


「なあ、入ろうぜ!」


 振り返る弟の目がまぶしいくらいに輝いている。私も悠里乃ちゃんも乗り気ではないものの、こんな顔見せつけられたら断ることもできず、渋々頷いたのだった。




「巨人以外の選手もたくさんいるのね」


 野球殿堂博物館の内部は思った以上に広かった。野球の歴史がパネルで紹介され、大昔のプロテクターなど今では製造すらされていない用具が展示されている。しかし一番の目玉は何と言っても歴代名選手のグラブやバット、ユニフォームといった実際に使った品々が現物で展示されていることだ。目にした瞬間の弟のはしゃぎようと言ったら、こっちが恥ずかしくなるくらいだった。


「すっげえ、福本豊のユニフォームだ! ブレーブスだぜブレーブス!」


 阪急ブレーブスとか、私の生まれた頃には無くなっているわ。


「わーお、WBCの日本代表のユニホームだぜ、優勝した時の!」


 展示品のひとつひとつを舐めるように見て回る弟。そこから少し距離を取って、私と悠里乃ちゃんは互いに呆れた顔を向けて後ろをつけていた。


「楽しそうね」


「私にはよくわからないけどね」


 何が楽しいのやらさっぱりわからない。誰かにとって価値のあるものが、自分にとって価値のあるものとは限らない。


 しかし……一方で、あそこまで喜びを露わにする弟を見て嬉しく思っていたのも事実だ。あの様子なら名選手の愛用した用具を見ることができただけでも、弟は東京に来た価値があったと言ってくれるだろう。私にはわからなくとも、弟にはここの展示品の価値がよくわかっている。


 もしかしたらあれこそが、教育長の話していた『本物』を目にした人間の反応なのかもしれない。

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