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第一章 その1 のんびりミュージアム

 今日最初のお客さんが来たのは、開館から2時間ほど過ぎた昼前のことだった。


 それまで私はずっと受付に座り、カウンターに隠したスマホをポチポチと弄っていた。途端、堅く閉ざされていた自動ドアがゆっくりと開き、2月の冷たい外気が館内に吹き込む。


 入ってきた男性はピチピチのサイクリングウェアを着込み、見るからに長距離サイクリングの真っ最中。目的も展示品を見に来たわけではないらしく、トイレの場所を訊くと慌てて駆け込んだ。用を済ませた後は申し訳なさそうに自販機でジュースを買い、そそくさと外に出ていった。


 滅多に雪の降らない瀬戸内海沿岸とはいえ、寒いものは寒い。こんな季節によくまあ元気な人だなぁ。


 ここは船出ふなで市立郷土博物館。町の歴史民俗資料を展示する、よくある地方の一博物館だ。


 これといって大したことのない地方都市の、それも市街地から離れた山がちな場所に建てられているのだからお客さんも少なくて当然だ。


 というわけで本当の意味でのお客さんは、今日はまだ来ていない。こんな日は珍しくはないどころか、平日は大体こんな感じ。校外学習で近隣の小中学生が来る時以外、館内がにぎわっているのを見たことが無い。


 サイクリングの人が帰ってしばらくしてから、再び自動ドアが開く。


「あずさちゃん、今日も眠そうだねぇ」


 ジーンズ姿のおばちゃんだ。カールのかかった白髪にちょっと濃いめの化粧、それでもしゃんと背筋を伸ばし歩く姿は老いてなお活力をみなぎらせている。


「そりゃそうですよ、今日まだ一枚もチケット売ってないんですから」


 私――辰巳あずさ――はカウンターに突っ伏しながら答えた。このおばちゃんはここの掃除を委託されている清掃会社の職員で、私たち博物館の職員とは所属が異なる。だからこそ気楽で、フランクな会話も可能なのだ。


「おかげで全然汚れないから私にゃあ楽なんだけどね。あ、ちょっと通るわよ」


 そう言うとおばちゃんは受付裏の事務室に潜り込んでいった。この奥にロッカールームがあり、そこで作業着に着替えるのだ。


 高校卒業からもうすぐ1年。ブラック企業だの就職難だのと社会問題になるこのご時世、非正規とはいえこんなのんびりした職場に勤めていられる私はラッキーな方だろう。


 平日は一日こうやってぼうっと立っていればいいだけ、休日は多少お客さんの相手はするもののてんてこまいの忙しさになったことは一度として無い。お給料はちょっと物足りないが、実家から通って無駄遣いを減らせば貯金も面白いほど増える増える。人生イージーモードとはまさにこのこと。


 あとは良い男性と親しくなって、寿退社を狙えば私の将来は安泰だ。まあ最大の問題は現在、そうなってくれるだけの相手が見つからないことなんですけどね。


 掃除のおばちゃんと入れ替わりで、事務室からひとりの男性が顔を出す。先輩職員の池田さんだ。


「そろそろお昼ご飯だろ、受付交替するよ」


「ありがとうございます」


 小柄な池田さんが隣に立ち、私もちょうど椅子を立とうとしたその時だった。自動ドアが開き、一人の客が入ってきたのだ。


 細身の若い男性だった。身長は平均よりもやや高い程度だが、やせ型のせいで異様に長身に思える。きりっとした知的な顔つきだが、どこか粘着質な雰囲気も醸し出していた。


 その男性は受付前を素通りすると同時に、「資料室だけ使います」と告げる。私は「はーい」と気の抜けた返事をしながら、よっこいしょと重い腰を上げた。


 普通のお客さんならこんなやる気のない態度、見せるわけが無い。だがあの人は別だ。


「あの人、いっつも来るよなぁ」


 博物館の奥へと歩き去る男性の後ろ姿を見ながら、池田さんがぼそっと漏らす。


「学生って雰囲気でもないですよね、仕事してるのでしょうか?」


 あの男性がここに来るのは初めてではない、ここ1か月は毎日のように博物館に現れている。それも展示を見るためでなく、無料の資料室を使う目的で。


 今週に入ってからも月曜の休館日を除き、彼は火水木と既に3日連続で博物館に来ていた。毎日通い詰めるほどの価値ある物なんて、資料室に置いてあったっけ? 誰も開いたことの無さそうな市史くらいしか思い浮かばない。


「こんな平日の昼間から暇そうにしてるなんて羨ましいなぁ」


 35歳になって体力も落ち始めているのか、小太り体型の池田さんがちょっとしんどそうに椅子に座りながら呟くと、私はすかさず「私たちも十分暇ですよ」と口をはさんだ。


「そう言えばそうだったな」


 聞くなり苦笑する池田さん。これで市の正職員なのだから、この市の職員採用基準は不安で仕方がない。


 まあ、この博物館は市の職員にとっても「癒しの空間」と呼ばれているくらいにのんびりできる部署として扱われているそうなので、長くいるとこういう風になってしまうのだろう。


 さあ受付は池田さんに任せて、私はご飯だご飯だ。今日はコンビニで好物のカルボナーラが50円引きで売っていたので、迷わずに買ってしまったんだ。


 休憩室の電子レンジで温めるため、机に置いたバッグからコンビニの袋を取り出したまさにその時だった。机上の電話に着信が入り、プルルプルルと呼び出し音を鳴らす。


 なんでこんなタイミングに。私はしぶしぶ手を伸ばし、受話器を耳に当てた。


「はい、船出市立郷土博物館です」


「市役所の企画課ですけども、館長います?」


 相手は男性だった。市の職員だろう。


「館長は本日、小学生のフィールドワークに同伴しています」


「そうでしたか。まあ業務のことじゃないんで気楽に聞いてくれればいいんですけども、今日の市議会でついに市長が例の議案を提出したんですよ」


「例の議題、ですか?」


 私は頭に大きなクエスチョンマークを浮かべた。


「聞いてませんか?」


「はい、申し訳ありません」


 議題って何のことだ? 博物館とどう関係があるのだろう?


 興味本位で、私は耳を傾けた。


「いえですね、前々から噂はあったんですけど、郷土博物館、このままだと閉鎖するかもしれないですよ」

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