動画撮影
「ぎんちゃん、じっとしてろよ」男は真剣な顔でアイバッドのビデオ画面を捜査している。狭い庭の花壇に、鯵の干からびた腸が置いてあって、5、6匹の銀バエがたかっている。その銀バエを、そろそろと体を移動させながら、動画を撮っているのだ。
「あなた、何やってるのよ?」 背後で女房の甲高い声がした。
ぶうん、と5、6匹の銀バエが飛んで行った。男は振り向いて「みろ、お前が騒ぐから逃げたじゃないか」 女房は、縁側で、上野公園の西郷さんみたいに、ターザン(犬)連れて仁王立ちになっている。そして、男を上から見下して
「毎日そんなことばっかりして。銀バエ撮ってなにするのよ」
小柄な男は、女房の顔を振り仰ぎながら
「動画で当たったら大儲けだぞ」
「銀バエなんか見るわけないだろ。どう私を撮ってよ」
「お前の顔なんか一銭にもならないよ」 それから「何かいいネタはないかな」と、つぶやいた。危うく死にそうになったところを、助かった。と、いうストーリーがいいんだが。男はふっと思いついたようにターザンの方を振り向いて「こいつに何か芸をやらすか」
女房は慌ててターザンを傍に引き寄せて
「やめてよ。この前猫のカンタロウ殺しちゃったじゃないの」
「あいつは運動神経鈍かったんだよ」
「いくら猫だって、10メートルも上から落とされたら、死んでしまうよ」と言って、ぶすっとターザンと一緒に縁側に座り込んで「キー(犬)ちゃんだって殺しちゃただろ」
「あれは、車に跳ねるられたんだ」
「あんたがちゃんと見てないから、表に出てしまったんだろ」
「ぬいぐるみじゃないんだぞ。動くやついつも見てられるか」 そして、男は、思いついたように「あ、そうだお前やってみろ」
「何を?」
「殺されそうになったけど、寸でのところで助かったっていう芝居だ」
「何さ、今一銭にもならないって言ったくせに。ふん、こんなところにいたら殺されてしまうわ」
男は50歳で会社をリストラされてから、6年にもなるが、仕事を探そうともしない。親から相続した家に住んでいて家賃もいらない。子供もいないので、女房がパートで稼いでくる金と、少しばかりの貯えで生活できた。
「俺はパソコン使えなかったから、リストラされたんだ」と言って、週2回パソコン教室に通い始めたので、仕事に復帰するのかと思っていたら、パソコンにのめり込んだだけだ。一日中パソコンの前に座り込んで、分からないところはパソコン教室のお兄ちゃんに電話している。それで動画で当てたら儲かるという話を聞いたのだろう。家にいるのなら掃除でもしろよ。まったく、もう。
それから一か月後。
男は座敷の片隅にぼんやりと座り込んで動かなかった。動画を作る気も失せてしまった。周りにはスーパーのレジ袋や菓子が散らかっている。台所の流しには、汚れた茶碗やカップラーメンのカップがそのまま放置されている。カビが生えかかった流しの周りを銀バエが我が物顔で飛んでいる。これぞ、ビデオチャンスなのだが、男はどうしたのか宙に目を浮かしたまま、放心したように座り込んでいるのだ。
ターザンがいつの間にかいなくなってしまったことも、女房の服が消えていることも、不審に思わなかった。
チャイムが鳴った。
男はのろのろと立ち上がった。
「妻美也子殺人容疑で逮捕する」
二人の刑事が逮捕状を持って、玄関口に立っていた。
来るべき時が来たと思った。それでも抵抗した。後ずさりしながら
「俺、女房殺ったりしてません」
一人の目の鋭い刑事が
「目撃者がいるんだ。お前が川岸から突き落とすところを動画に撮ったやつがいるんだ」
「動画に?」
「そうだ、今はスマートホンで動画も簡単に取れるからな」
そうか、あの時やっぱり川に落ちて流されたんだ。川下まで探しに行ったのだが、見つからなかった。
あの時…いやがる女房を崖淵に立たせて動画を撮っていると、いきなり画面から消えてしまった。慌ててアイパッドを放り出して、目で女房の姿を追った。視界から消えていて、水しぶきの音が鼓膜を突いた。
男の目から大粒の涙が落ちた。男は手の甲を鼻に充ててすすり泣いた。そして「女房のやつ、死んだらあかんって言ったのに、なんで死んじまいやがったんだ。くそっう…」
しばし泣いてから刑事の方に目を向けると、若い方の刑事がカメラを向けている。男は手を顔にかざして「な、なに、なにするんだ」
若い刑事は平然と
「動画を撮ってるんだよ」
「なに!なぜそんなことするんだ?」
こんどは目の鋭い刑事が
「奥さんに頼まれたんだ」
「なに!女房は生きてるのか?」
「生きてるから頼んだんだろ」そして「奥さんは川には落ちてないんだよ。落ちたのは石だよ。俺たちが頼まれて石を放り込んだんだ」と言って、二人の刑事は顔を見合わせて笑った。
実は女房も動画撮影に嵌ってしまっていたのだ。動画で当たったら大儲けできると何度も聞かされているうちに信じ込んでしまったのだろう。
そうか、それをてっきり俺は女房が落ちたと思って、慌てて川下の方へ走って行ったのだ。そこで男は気が付いた。これは芝居だな。
「お前ら偽物の刑事か」
「そうだよ。偽刑事だ。だがこれから行くところは本物の警察だ」
「ちきしょう。女房のやつ騙しやがったな」
二人の偽刑事は男の両脇を掴んで、無理やり車に押し込んだ。