第六章 斯くして華は散り乱れる
真っ白な道着に紫紺の袴で背筋を伸ばす櫻子は凛とした雰囲気を醸し出す。
そう、醸し出すという表現がぴったりである。
魔力のオーラが漏れ出ているかのようにアルマを圧倒する。
弓を左手、矢を右手に持ち両拳は腰に、両足を揃えて立っているだけなのに、である。
専門用語で言うならば「執り弓の姿勢」という、今の体勢から「射位」に入り「足踏み」を行う。
「取懸け」、「手の内」、「物見」を行い、「打起し」、「引分け」し「会」に至る。
ここまでは一連の動作で言うなれば
両脚を踏み広げ、矢をつがえて、引き絞り、狙いをつけている状態である。
アルマは渡された『弓道』入門(写真入り)と櫻子の動作を見比べる。
この初級入門書は県の高校弓道連盟の制作なのだが、モデルは県大会年間優勝校の代表者が勤める事になっている。
つまり昨年からモデルは櫻子が勤めていた。
男子ではなく、必ず女子を起用している所にそこはかとなく、他意を感じるが…。
「会」でひと呼吸おいた次の瞬間、「離れ」として矢が放たれる。狩猟であればすぐに獲物の方へ移動する訳だが、弓道では「残心」して礼で終わる。
弓道は『武道』の一つであり、櫻子曰くは昔は魔を払う儀式としても用いられたらしい。
それぞれの動作の名前は覚え難いが、『様式美極まれり』という感じである。一連の動作のすべてが無駄を省かれ、美しい。
放たれた矢は、吸い込まれるように的の中心に突き刺さる。
パチパチパチパチ。
一連の動作が終わった時点で、アルマ賞賛の拍手をする。
櫻子以外の部員たちもアルマの拍手に釣られて笑顔になる。
次々と櫻子の動作に習って矢を放ち始める。
トン、トン、トン。
面白いように同じ的に矢が次々と突き刺さる。通常は己の前の的を狙うが、今だけはアルマのために同じ的を狙うフォーマンスをしてくれているようだ。
「わ〜、スゴーイ!」
「へー、凄いな。」
一際激しいアルマの拍手に気を良くして女子部員の中には小さく手を振る者までいた。
彩も素直に感嘆を漏らす。さすがは県大会優勝校である。
アルマは立ち上がって、見様見真似で矢を放つ真似事をしてみせる。
すると、櫻子が手招きしてアルマを呼び寄せた。
他の部員がアルマの身長でも取り回せる小さめな和弓を奥からゴソゴソと出してきている。
彩は板の間の道場に胡座をかきながらその様子を見ている。
台風一過で気持ちの良い快晴でここからだと午前中のまだ柔らかな陽射しが爽やかな風と共に眠気を運んでくる。
今にもコテっと寝てしまいそうである。
アルマは一通りの説明を受けたようで矢をつがえない状態で、弓を引き絞ったり戻したりを繰り返していた。
なかなか様になっている。
故郷ではやった事があるのだろうか?
ところでアルマはどこの国の人なんだろう。
今までなんの疑問を持たずにきて、そんな話題を出したことすらなかった。
それも奇妙な話だが…。
アルマは何度か櫻子の動作を真似て、実際の矢をつがえた。
半眼になり、真剣な表情になると少し大人びて見える。
彩は一瞬、アルマの指先から蒼い光が伸びて矢を包んだように見えた。
次の瞬間、放たれた矢は音を立てて的に突き刺さる。
的に当たった後も矢羽が微かに振動していて、力強い弓さばきであることを物語っていた。
初めてで的まで届くのも驚きだが、的を射抜いた事に、周りの部員たちが賑やかに囃し立てる。
アルマは照れながら俯いている。
それから数回、矢を放ったが初回のように的に当たる事はなかった。
彩には、初回以外はあの蒼い光は見えなかった。
何かの見間違いだったのだろうか?
アルマはしきりに笑顔で、お礼を言っているようで頭を下げて彩のところにトテトテと戻ってきた。
「凄かったね、素質があるんじゃないの?」
「ありがとう。アーチェリーは習ったことがあるから。」
はにかみながらそう言うと櫻子達の方に顔を向ける。
金髪から覗く耳が赤い事には言及しない方が無難だろう。
「ところでアルマの故郷の国ってどんなところなの?」
ビクン。
アルマの肩が震え、ゆっくりと彩の方へ向き直る。
「どうして、そう思ったの?」
「え?」
アルマは少し怖い表情で彩の目を覗き込んだ。
自分が魔力が弱まっていて、広範囲にかけたとは言え、人間に掛けた魅了が解けた事は吸血鬼族のアルマにとってはそれだけ衝撃であったのだ。
「どこで弓を習ったのかぁ…って、思ったら、どこの国で住んでるとかあんまり話したことがないな、とそんな風に思い至ったのだけれど。」
「…ううん、急にそんな話をするから驚いただけ。」
「ところで、最初に射掛ける時だけ何か光った気がしたんだけれど、やっぱり気のせいかな。」
「…な、なんの事?矢が光る訳ないじゃない。」
アルマは目を丸くしてすぐに彩から視線を外した。
不用意に自分が、いつものように矢に魔力を込めて威力、方向を制御した事も彩に視られていた。この人間は魔力が視えているのだ。気せずして、偶然に視られたのかもしれない。
…いや、きっとそうに違いない。
アルマは昼ご飯の準備があるからと先に逃げるようにその場を後にした。
いずれは色々話すつもりでいる事も、まだ心の準備ができていないのだ。
こちらにもそれ相応の心づもりというものがいる。
相手の一生の問題でもあるのだ。
どうやって切り出そうか?
アルマは少し重い気持ちで、料理修行に励んだ後の昼下がりを迎えた。
台風一過の爽やかな風が頬を吹き抜ける。アルマの金髪がふわふわと風に揺れる。
午後の休み時間はいつになく、気怠い感じで過ぎていく。
人間の目には見えないが、使い魔に下す魔術式は下草の下に書き込まれていた。
後は、獲物を待つだけ。魔術式に中央には食堂の冷蔵庫から失敬してきたマメアジの丸焼きが置いてある。
アルマが七輪なる手動バーナーで焼き上げた一品である。
膝を抱えて座っているアルマの元まで芳ばしい匂いが届くほどの出来映えだ。
程よく抜けていく風と柔らかな陽射しは良い具合に眠気を誘う。
ポカポカ、ヒュるる。
自分の膝に額を埋めながら、使い魔にすべき黒猫を待つ。
…待つ。
ま…つ。
コクリ。
ゴツン。
額をしたたかに自分の膝にぶつけたアルマは寝ぼけ眼で前を向く。
真っ黒で綺麗な毛並みの黒猫がそのサファイア色の瞳をアルマに向けている。
口にはマメアジが咥えられている。
「あ!」
アルマが魔力を魔法陣へ込めるより早く、黒猫は手近な木へお宝を咥えたまま登ってしまった。
「ど、どろぼー!」
アルマは黒猫が登った木の下で指差しながら、非難する。
「よーし、待ってなさいよー。」
アルマは周りに誰も居ないことを確認して、木によじ登り始める。
どちらかといえばお転婆娘な方であったアルマはお城の木に登っては高いところからの景色を楽しんでいた。
(私もまだまだ行けるわね。)
などと、思いながら黒猫を追いかける。広範囲な魔術式を展開しておいたのでまだぎりぎり範囲内である事を確認している。
使い魔に下すためには、黒猫の目を覗き込んで、名を聞き出さなくてはならない。何もニャオニャオと猫語を話す訳ではなく、心話といういわばテレパシーの様なもので直接話しかけのだ。
敵もさるもの、黒猫はアルマの苦労を鼻で笑うかのように一つ高い幹に登ってしまう。
木の半ば程で両手で幹に掴まり、バランスを取ったアルマは立ち上がり、黒猫を睨みつける。瞳に魔力を込めると薄っすらとヘーゼルの瞳が緋色に染まる。
(下れ、下れ…暁と紅に住まう吾に下れ。示せ、汝の真名を!)
魔力を乗せて、黒猫の目に意識を流し込む。
黒猫の意識が揺らぐのが分かる。
もう少し。
(示せ!汝の真名を!)
黒猫が何かを応えるかのようにアルマに意識を向けた時、ふわり…風が通り過ぎた。
黒猫に意識を集中しているはずのアルマの視界の端にスウェット姿の彩が映る。
随分、遠くに居るのに何故か、それは彩だと分かる。
ふと、彩と目が合ったような気がした。手を振ろうと片手を離した瞬間。
吹き抜けた風のイタズラかスカートがフワリとめくれ上がる。
「きゃ!」
アルマは反射的に彩に素足を見られてしまうという羞恥心から両手でスカートを押さえた。
『あ。』
遠くなのに二人はお互いに、お互いの声が聞こえた気がした。
彩は昼食後の運動に虎杖丸を片手に型の練習に出ていた。
昨日は台風で出来ず。
今朝は気分的に惰眠を貪り。
可能ならアルマがドアをノックしに来るまでベットから出ないと誓っていたので日課を放棄したのだ。
結局、朝食の準備が出来たと笑顔で知らせに来たアルマに叩き起こされたのだが。
午前中の弓道部の練習の見学の最後に何故かアルマは難しい顔をして昼ご飯の準備に行ってしまった。
何か悪い事を言っただろうか?
今は八閃流の型を一通りなぞらえ、一汗かき終え、寮への帰り道である。
ふと見るとアルマが木登りをして黒猫に餌付けをしている微笑ましい光景に出くわしたのだ。
スカートを翻して颯爽と猫に迫る勇姿は中々に凛として格好良い。
思わず頬が緩む。
午後の陽射しはまだ柔らかで時折吹き抜ける風はこの季節にしては乾いていて心地よい。
その風がフワリとアルマのスカートを浮かせる。色白の太腿が顕になる。
咄嗟の反応なのだろう。
アルマは両手を木から離して慌ててスカートを押さえた。
その勢いでバランスを崩してしまう。
スローモーションのようにアルマの身体が重力に引き寄せられる。
『護るべき者を救えずして、…たる事能わず!すぐに全ての……を。』
誰の声だろう。
彩の中で誰かが叫ぶ。
意識が霞む。
何かを叫んでいるが、ところどころ言葉も聞き取れない。
でも、確かに聞いた事がある。
何故か、そう確信できた。
彩の頭の中に優しいが力強い声が木霊する。
何故か悔しいという感情が心に満ち溢れる。声だけの記憶は靄が掛かったように曖昧で全てを見渡す事はできない。
食いしばった歯がぎりぎりと音を立てる。
護れる人、護りたい人を失う事だけはできない。
しない…させない。
それほど感情の起伏を表に出さない彩の中で、感情が爆発するかのように爆ぜる。
『護る。』
『落ちるな。』
『身体よ、彼女が地面に落ちる前に届け!』
その感情の一点が意識を支配する。
視野が望遠レンズで見るかのようにズームする。アルマがぐんぐん大きくなる。
視界が蒼く染まる。
気づくと地面に尻もちをついた状態で、腕の中にお姫様抱っこされているアルマがふわふわと浮いているのを眺めている。
(なんだ?!?)
何が起こったのか自分でも理解していない彩は軽くパニックを起こしていた。
矢羽を包み込んだ見覚えのある淡い蒼い光がアルマの身体全体を包み込んでいる。
その光は徐々に淡くなり、やがて消え落ちた。その瞬間にグッとアルマの重みを腕の中に感じる。
本人の名誉ために言えば、思ったより軽くはあった。口に出して言えば揉めることが分かりきっているのでここは黙っておく。
アルマが腕の中で驚いた表情で彩を見上げている。
少し頬が上気して見えるのは落っこちた恐怖によるものだろう。身長よりも遥かに高い場所からの転落なのだ。怖くて当たり前だ。
「怪我はない?」
「…………う、うん。彩、今のどうやったの?いいえ、とうしたか理解してる?」
しばらく自分に話しかけられているとは思っていない様子だったアルマは我に返り、今起こった事を詳細に思い返していた。
木の上で両手を離した自分がバランスを崩して自分の背よりも高い位置から落ちたのだ。
スカートの中は見られてないはず。
なんで由乃の準備するのはあんなに子供っぽいのばかりなのだろう。
いや、問題はそこじゃない。
木から落ち始めた瞬間に温かな魔力が身体を包み、重力に逆らい始める。
次の瞬間、彩が消えた。
気がつくとストンっと彩の腕の中に抱かれていた。
お日様の匂いがするなぁ、などと呑気な感想が心を過るがそれも一瞬。
ゾクリとする程の魔力を感じてアルマは彩を見上げた。
アルマは落ちている間、意識を失わなかった。それでも30mほどの距離を彩は消えて、また現れた。
空間転移。
空間を歪めて、あたかも一瞬で場所を移動する高等魔術。
歪んだ空間を事実として、現実世界に魔力で強制的に上書き認識させる事で瞬間的に二点を繋ぐ。
あるがままの状態を魔力の持続する間、変化させ現実世界を騙し続ける術。ある意味傲慢なまでに自己中心的な魔術である。
自分の周りに限定して重力を反転操作して、空を飛ぶのと比較すれば、世界の事象改変は遥かに高等な魔術に分類される。
それを実現した彩。
霊魔界でも高位の術者として扱われる事は間違いない。
同時に図書室で読み取った彩の魔力は何かの間違いなのではないかと思ってしまう。
あんな薄暗く、蒼黒いのではなく、太陽のように光輝いている魔力でも良いのではないかと。
アルマは彩の魔力をもう一度見るために意識を集中させた。
前と同じように壁があった。
だが、しかし今回はその壁に少しだけ亀裂が走っていて、そこから濃密な魔力が溢れ出ている。
綺麗な蒼い光が少しずつ薄れていく。
壁の亀裂が自然治癒するかのように徐々に塞がっているのだ。
この壁が邪魔でよく分からないが人間界に居て良いような魔力量ではない。
こんな魔力を持っている人間は人と違うという理由だけで肩身の狭い思いをするに違いない。
中世であれば教会に異端視されて、悪魔として火炙りになってしまうかもしれない。
人間達にはこのような魔力を抑えるような壁が全員あるから魔術を使えないのだろうか?
否、食堂で確認したがそんな気配を持った人はいなかった。由乃の手伝いをしながら少しでも気配を感じた人間には触れて魔力を直接覗き込んだりしていたが、彩の様な霊魔界でも見たことがないような魔力の持ち方はしていなかった。
彩は何かが特別なのだ。
「取り敢えず、怪我がなくて良かったよ。」
彩はアルマを立たせようとしたが、逆にアルマは彩の両肩を掴んで伸し掛かるように顔を近づける。
勢い彩は押し倒される形で大地に背中を任せる。
「もう一度、聞くわ。彩、貴方…何をしたの?」
「いやぁ、正直に言えば僕もどうなったのか分からないよ。助けなきゃ、って思ったら身体が動いてた感じかな。走ってる感じはなかったけど、夢中だったからかもね。」
「貴方自身は分かってないのね…………よく聞いて。
彩、私は一人の青年を探す為に来たの。私の国では十六歳になると伴侶…ううん、従者を決めるの。」
突然のことに彩は唖然としながらアルマの話を聞いている。
「貴方の様に魔力を持った者が相応しいの…………驚かないで聞いて。
私は大公国の第一公女…本当の名をアルマディータ=ド=ラ=クールと言います。
彩、貴方…私と契約しなさい。
私の従者という役割を果たしてくれさえすれば、満足の行く暮らしを保証するわ。
それほど仕事はないし、退屈するかもしれないけどね。」
「え?!うーんと、取り敢えず、この体勢はあまり宜しくないかな?外聞とか、噂とかのレベルで。何とか許して貰えないかな?」
アルマはきょとんとして、自分がどこに座っているのかを見下ろす。
高校生男子に馬乗りになる小学生女子の図。今にもキスをせんばかりの距離を意識したアルマは顔から火が出たかと思うほど真っ赤になってそそくさと彩から降りる。
スカートが翻るのを押さえて彩の脇に再び腰を下ろした。
胸の動悸が外まで木霊しているんぢゃないかと心配になってしまう。
彩はゆっくり身体を起こしてアルマの隣で胡座をかいて再びアルマが話し出すのを待った。
顔の赤味が引くまで少しかかり、高原をゆく爽やかな風が二人の間を戯れ合うかのように通り抜ける。
アルマの額に彩の手が載せられる。
しばらく何の意味があるのか考えてしまう。
「熱もないし、お陰様で何処も打ってないわよ!(¯―¯٥)
もう、一度言うわ。彩、私と契約なさい。貴方の魔力は人間のそれぢゃないわ。ここに居てはいけないわ…きっと貴方が不幸になる。
魔術の使い方や身の守り方も学ばないと強い思いがきっかけで他人を傷つけたりするかもしれない。
私が魔力の強い人間と契約して、大公国へ連れて帰りたいのは自分勝手な理由である事は自覚してるわ。
単に私の年齢ではそれが慣例というだけなんだすもの。彩には何の関係もないわ。
でも、貴方を魔力の暴走から護りたいというのも本当よ。」
アルマは一気にそこまで言うと口を噤んで彩の表情を覗き込む。
彩はアルマの瞳が紅く光り、ゾクリとしたがすぐにそんな気配は消えた。
風が冷たいと言う訳ではない。
風邪でも引いたかな?そう思う間にアルマが問う。
「今、何か感じた?」
そして、彩が何か言う前にアルマは先を続けた。
「今のは魅了よ。私達一族の得意魔術の一つで簡単な暗示を掛けることが出来るの。
例えばアルマは由乃の孫であるとか、私の事を詮索したくなくなる、とかね。
でも、貴方には効かないみたいね。さっき、貴方が私の故郷について聞いた時には正直びっくりしたわ。
私の魅了が破られるなんて思ってもなかったんですもの。
今、やってみて分かったわ。私の術が貴方に触れる前に霧のように分解されてしまうみたい。通常、高位の術者にしかできないのだけれどね。貴方は意識しないでやって除けた。
まぁ、今の私は全力ではないから参考にはならないけど、少なくとも貴方は普通ぢゃないわ。」
「えーっと、まだ、少し混乱してるけどアルマは魔法使いで僕もそうだから弟子入りして魔法を学べと言っているの?なんだかファンタジーな話でついて行けてないのだけど…。」
「色々間違いがあるけど、一々指摘してると日が暮れそうだわ。」
アルマは少しだけこめかみを押さえて見せる。
彩はしばらくアルマの顔を見つめて、コクンと頭を下げた。
「ありがとう、アルマディータ大公女殿下。
きっと君の話は嘘ではないと思うし、僕の事を考えてくれている事も感じた。
根拠はないけど、たぶんそう思う。でも、たぶん全部を話してはくれてはいないんだとも思う。
最初から全部は頭で理解しきれないしね…ん?どうしたの?」
「全然、疑わないのね?私の話。子供の御伽話という事もあるのに。
それにしても、何で全部話したんぢゃないって思ったの?」
「まあ、嘘は言って無いなぁって思っただけ…かな?根拠はないけどね。なんとなく、そう思ったんだ。
最初は何処かに頭でも打ったのかと思ったけどね。
…全部じゃないって言うのは、慣習だけなら、『ここ』じゃなくても良いだろうし。僕みたいなのはもしかしたら『他』にもいるのかもしれない。だから、他にも何かの制約条件があるのかもしれない、とは考えたけどね。」
「しかも、微妙に話が全部ぢゃないとか推測してるし…まぁ、そうね。
確かに全てを話して納得して貰わなきゃ、フェアじゃないわね。」
アルマは腕組みをして、ひと呼吸考えた。
「私は…この世界の者ぢゃないの。私は…吸血鬼族なの。あ、でも血とか好き好んで飲んだりしないからね、そこは安心して。私と契約すると言うことは…。」
彩は空を見上げて、太陽が燦々と輝いている事を確認する。
「えーっと、アルマと契約すると僕は吸血鬼になっちゃうのかな?」
「貴方が思っていることの大半はこの世界で作られた嘘だから!太陽の下を歩いても問題ないし、十字架なんか全然怖くないもの。それに契約しても別に彩は吸血鬼にはならないし、成れないわよ。
まあ、私と契約したら吸血鬼族の大公家に仕えることになるから吸血鬼ライフは満喫できるし、三食昼寝付の生活は保証されるわね。どう?いい条件でしよ?
大公家に仕えるなんて栄誉なことだし、誰にでも許されることぢゃないのよ。」
呼び名を元の呼び捨てに戻された事に気づきもせず、アルマは半呼吸だけ躊躇って口を噤んだ。
(あのね、一つだけ言わなくちゃいけない事があるの…。)
心の中でそう切り出した言葉は口に出される事はなかった。
彩が頭を撫でてくれたからだ。
太陽のような笑顔が不安な気持ちを溶かしていく。
「ありがとう、アルマ。心配してくれて。
でも、まだここでやりたい事もあるし大学卒業して職がなかったら改めてお願いしようかな。
魔術で人を傷つける可能性があるなら、逆に助けられる可能性もあるってことだよね?今みたいに。」
「な…………あぁ、まぁ良いわ。今、ここで理解して決めなさいって言っても無理でしょうしね。」
一瞬、何かを言いかけたアルマだが、すぐに言い変えて追求は止めた。
「でも、これだけは覚えておいて。貴方が自覚するかどうかは別にしてその力を悪用しようとする者も出てくるかもしれないわ。
身の回りには気をつけてね。私との契約で治癒能力は向上できるけど、首と胴体を繋ぐ事はできませんからね。死んじゃう前に契約なさいね。」
「脅かさないでよ…………吸血鬼ってホントにいるんだねぇ。あ、安心して、誰にも言わないから。
あのさ、そのぉ、言い難いんだけど。」
「牙ならないわよ、ほら!」
彩が、口元を凝視していたからか、アルマは呆れたように先回りして『イー』として綺麗な歯並びを彩に見せる。
確かに人間の犬歯サイズでしかない。
実際には吸血行為を行う際にはニョッキリ伸びるのだが、そんな事は教えてあげない。
「彩はどうして私が異世界の、人間族ぢゃないって聞いても平気でいられるの?
普通は驚いたり、怖がったり、近寄らなかったりするんぢゃない?」
「なんでだろうね?最初にアルマとして出会ったからじゃないかな?
話していれば普通に可愛い女の子だし、変なとこはなかったし、一緒にいて楽しいしね。」
「か、か、かわ…。」
妙な反応を見せるアルマを余所に彩は言葉を繋ぐ。
「僕は幼い時の記憶がないから、自分が何者か分からないからかな。自分でも自分の事をホントは誰も知らない化物なんじゃないかなーって、悩んだ時期もあったしね。
記憶がないっていうのはホントに怖いんだよ。何をして良いのか、いけないのか?なんていう善悪だって経験で分かっているだけだしね。
例えばここでは頭を撫でるのは、褒めている動作だけど、アフリカの一部では呪いの行為で忌み嫌われてたりするんだ…あ!アルマの所は大丈夫だったのかな?」
「大丈夫よ、そういうのはこっちと変わらないと思うから。」
「良かった。まぁ、そういう訳で『アルマはアルマだ』っていう感じかな。吸血鬼でも、人間でもね。」
「ところで、吸血鬼って不老不死なの?アルマって、もしかしてすっごく大人なの?」
「失礼ね、まだ十七よ!大体、女性の年齢聞くなんて非常識よ。」
「あ、ごめごめ。そういう意味じゃないんだけど(^^ゞ。」
「あ!ちょ!、どこ見てんのよ〜。この幼児体型は人間界の魔力の放出を抑えるためのもので、向こうに戻ったらもっとこう…って、何言わせんのよ!」
彩の微妙な視線を意識してまた顔から火が出そうだ。
アルマは自然と吸血鬼である自分を受け入れてしまう彩の心の闇を見た気がした。
自分が何者か分からない。
どう行動したら社会的に、道徳的に適合しているのか分からない。
その社会の常識や道徳は経験によって、自分の判断基準や価値観といったものになり、積み重ねられる。
6歳で現れた彩は話もできるし、動けもする。
でも、生まれたての赤ん坊の様な状態なのだ。そんな中、幼く独りだった彩はさぞ心細かったに違いない。
でも、しかしそんな不安が、今の優しい彩を作ったのだ。
その太陽のような笑顔も、人を信じる素直さも。
「吸血鬼がいるってことは、他にも御伽話に出てくるような種族がいるって事なのかな?」
アルマが物思いに耽っている間にも、彩はわくわくした目でアルマに問いかける。
「それは!…本来教えられない事もあるの。契約したら、こちら側に来るのだから全部教えてあげるわ。
さぁ、私の下僕になりなさい!」
「微妙に従者から下僕に意味合いが変わっている気がするのは気のせいかな?٩(๑òωó๑)۶」
「彩の好きな本だってうちには大きな図書塔があるわよ。いくらでも読み放題にしてあげる。」
「え!、塔なの?…それは凄いなぁ。見てみたいかも。」
「ね!?ほら、契約なさい!」
「アルマ、段々いかがわしい訪問販売みたいになってるよ。」
「ところで一つ気になっているのだけれど、木の上で風が吹いたときに…何色が見えたの?」
アルマの自然な問いかけに彩は何も考えずに答えてしまう。
「白…あ、じゃない。見てない。見えてないから。」
うっかり答えてから彩は慌てて余所見をしてアルマからの視線を避ける。
「確かこういう時はこういうのよね?『もう、お嫁にいけないわ(。ŏ﹏ŏ)。』
だから、責任取って下僕契約してね。」
「なんか、理不尽を通り越して横暴になってるよ〜。」
彩の泣き声とアルマの笑い声が爽やかな午後の風の中に消えていく。
アルマは少しだけ心の重荷を下ろし、でも少しだけ残る罪悪感も彩の太陽の様な笑顔で一瞬だけ忘れる事が出来た。