表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

第五章 斯くして嵐は吹き荒れる

ガラス窓がリズミカルに曇り、外の雨を少しでも押し返そうと藻掻く。

大粒の雨が荒くれた風を伴ってアルマをせせら笑うかのようにガラスを打ち付ける。

今にも鼻がガラスにくっつきそうになっているアルマは今日何度目かの溜息をつく。

窓の曇りが一瞬大きくその版図を広げるがすぐに押し戻される。

まるで魔力の暴走みたいだと思う。感情に任せて自分の魔力を放出させる。

過去に一度だけ見た哀しみの咆哮が外を吹き荒れる風の音に重なる。

嫌な事を思い出しそうだ。


「ぷにゅー。」 

 

何かの鳴き声のような溜息を吐いて、パタンと背中からベットに倒れ込む。

そのままゴロゴロして枕に顔を埋めるのは流石にはしたないと思われ、堪えている。

人間界のバイブル『ハイティーン』がぽふっとアルマの頭の近くで跳ねる。

ベットは先程、彩が綺麗にシーツを敷き直しているので皺一つないまっさらな状態で殊更気持ちがいい。

真っ白なシーツは先程アルマが持ってきたものだ。

由乃の手伝いと称して週末に配る予定だったものを一日早く寮の各部屋に配付した洗いたてだ。

彩の部屋に来るための良い方便を思いついたものだ。

我ながら感心してしまう。

昨日の彩と櫻子の予想通り、講義は台風の影響で休講になり自室待機の指示となっている。

今朝の食堂ではアルマは積極的に由 乃の料理の手伝いをして、彩に会いそびれてしまった。

悶々としていたところに真っ白なシーツが目に入ったのだ。

まさに天啓!とアルマは神に感謝した。

由乃を説得し、明日はお休みなのでみんな起きるのが遅く、使い古したシーツの回収に時間がかかる云々。

更には洗うのも台風一過の朝からやった方が大好きなお婆ちゃんにお休みをプレゼント出来るかもしれない云々。

簡単な仕事なのでアルマでもできるのでお婆ちゃんは休んでいて…云々。

ほぼほぼ、一方的に言いまくりなし崩し的に許可を得て現在に至る。

料理の手伝いについてはアルマなりの戦略によるものだ。

昨日、人間界のバイブルである『ハイティーン』で"男子の心は胃袋で掴め"と諭され、今日は食堂の番人にして、胃袋の支配者たる由乃に弟子入りして、こちらの料理をちゃっかり学んでいた。

図らずも『美味しかったよ』とみんなに言われるにつけ、ハイティーンの指し示す胃袋把握の偉大さを噛みしめている。

『お婆ちゃんに料理を習う孫の図』は皆から微笑ましく受け取られいる事なぞ、露とも知らないアルマであったが。

魔導書にも匹敵する斯の本が誰でも読める場所で公開されているなど、霊魔界では信じられない。

スキルを磨き、攻撃力を上げねば!と心に誓うアルマであった。

恐るべし人間界。

…と誤解して少し空恐ろしさを感じ始めている。


…それにしても、である。

雨の日がこんなに気分を塞がせるものだとは思わなかった。

朝ご飯の片付けも手伝って、シーツの配付交換を終えたのが十時。

彩の部屋の特等席と思われるベットを専有しつつ外の景色を眺めている。

雨の日に霊魔界にある大公家のお城から見る景色は一面の靄ばかりで、城が小高い位置にある分、城下を隠してしまう。

ある意味で雲海に浮かぶ孤島を意識させ、美しくもある。

しかし、こちらの雲は圧し潰すかのように低く垂れ込め、気分を陰鬱とさせる。


「やっぱり退屈だよね〜♫」


櫻子の気遣うような声がかかる。でも、声が何故か上ずっている。

『各自寮で待機の上、自習』と言う先生の指示の通り、コツコツと机に向かう制服姿の櫻子とは対象的にベットサイドを背に床にペタリと座り込んでいる彩は首だけを曲げてアルマをちらりと見る。服も寝間着に近いスウェット姿である。


「台風だからね。気分が沈むのかな?

景色としては非日常的だから、神様か魔法使いの気分にはなれるかもしれないけどね。」


彩はすぐに本に目を戻してしまう。

ここは彩の部屋である。

本来なら誘うつもりのなかった櫻子がいるのは理由がある。

遡ること三十分ほど前…。

 

「おはようございます、櫻子お姉ちゃん。一日早いですかとベットシーツの交換に来ました!」


そう言われた櫻子は一瞬綺麗に折りたたまれたシーツとアルマを交互に見た。


「ありがとね…ちょっと待っててね。すぐに古いシーツを持ってくるから。良かったら入って。」

 

櫻子はドアを大きく開けてアルマを中へ入れる。

シーツを回収するワゴンは多少廊下に置き去りになっていても迷惑にはならないだろう。

アルマは回収用のワゴンをそのままに、興味津々で櫻子の部屋に入った。今まで回ってきた学生はそそくさとシーツを引き剥がして部屋の外で待つアルマに渡してきたのだ。同年代の人間の部屋に入るのだ。

多少ドキドキする。

…仮住まいなのだが、女子だけに荷物は多いのだろうが、櫻子の部屋は非常に簡素な感じがした。荷物はよく整頓されていて乱雑な感じはしない。

殆どのものは備え付けの収納に全て収めているのだろう。

少し化粧でもするのか、机の上の鏡だけが女子力を主張している。

櫻子はテキパキとシーツを取り替え、ベッドメイクを終わらせる。

 

「アルマちゃん、あのさ…えーっと。今日は自室で自習なんだけどね。

その、昨日言った事はするのかな?」

「(・ัω・ั)」

 

受け取ったシーツを畳みながら、アルマは首傾げる。

途中から思い当たったが、しばらくしらを切ることにした。

 

「なんだっけ?(ㆀ˘・з・˘)」

「いや、あの…うん、まぁいいや。ごめんごめん、あははは。」


このまま出て言っても良かったが、櫻子も強い魔力マナを持つ人間だ。

よく研究しておいた方が良い。

アルマは溜息を隠して助け舟を出す。

 

「もしかして、彩お兄ちゃんのお部屋に行く話?…このお仕事が終わったら行くつもりだけどね。」

「そ~なんだ、ふ〜ん。」

「櫻子お姉ちゃんも来るでしょ?後で呼びに来るね。お部屋に男女が一組だけって言うのも問題ですし。」

「そ、そうだよね。うん、お姉さんもついて行くわ。」

 

何気なくコッソリと拳を握る櫻子に気づかぬ振りをしてニコニコと手を振って部屋を出たアルマである。

そうこうして、緊張した面持ちの櫻子と手土産の自作クッキー(胃袋作戦第一弾)を持ったアルマの組み合わせは彩の部屋の前に立つに至ったのだ。


更に激しさを増す台風が部屋の硝子を大粒の雨でバシバシ叩いて行く。

妖精族のセイレーンが引き起こす海の嵐もかくやと言わんばかりである。

彩の机は何故か櫻子が占領し、アルマが早々にベッドを占領したため、撤退を余儀なくされた彩は床に腰を下ろすに至った訳である。

 

彩の部屋も簡素な印象を受けるが、こちらは物がないと言った方が正解である。唯一異色なのは机の上においてある地球儀に棒が突き刺さった形の飴くらいだろうか。

早速、その一つはアルマの口の中に消えているのだが。


「そう言えば、櫻子お姉ちゃんが昨日話していた湖の話って、結構昔からあるの?」


人間界の攻略聖書にして魔導書たる『ハイティーン』のページを捲りながらアルマは櫻子に目を向ける。

白いブラウスにグレーのスカートという一見地味な色合いの服だが、胸のところの大きな白いリボンが全体を華やかにみせている。  

流石に寝転んでいるのもお行儀が悪いのでベッドの上で足を崩して座っていて、スカートの裾から柔らかそうな足首がニョッキリと出ている。


「悲恋の泉…ここから小一時間くらい山を登っていくとある湖はそう呼ばれているの。」

 

何故か、怪談でも語るような口ぶりになる櫻子だったが、少し楽しそうなのはこの手のミステリーが好きなのだろう。 

悲恋の泉…地元では普通に何とか池とか言われているというオチに違いない。恐らくは古くはこの辺りの水瓶だったのだろう。

一年生用のハイキングコースに組み込まれてすらいる。

 

「言い伝えによると、その昔好き合っているカップルが家の都合で離れ離れにならなくちゃいけなくて、その当時は『緋漣の泉』と呼ばれていた泉に行って、泉の主である蛇神様に『来世では結ばれますように』って二人でお願いに行ったらしいの。

そうしたら蛇神様が泉から出て来て、『お互いの最も大切なものを差し出せば、願いを叶えてやろう』って。」


彩はいつの間にか櫻子の話に聞き入っていた。アルマも興味深そうに櫻子を見つめている。

自分なら何を差し出すだろう。

一緒にいく相手はいないが自分自身の『最も大切なもの』に思いを馳せる。

なんだろう。

いや、何を差し出せるんだろう?


「そしたら、二人共『それだけは差し出す事は出来ない』って、断ってしまうの。

それはね、二人が一番大切だったのは『相手』だったからなの。」

「わぁ、二人は本当に愛し合っていたのね?相思相愛なんていいわねぇ〜。」


アルマも話にのってきているようだ。

女の子はこういう話が好きだからかな〜。

クラスの女子の会話を思い出しながら、彩は未だに出ない結論に上の空になりながらぼんやりと思う。

 

「きっと、蛇神様はわざと意地悪な質問をして二人を試したのね。

二人の答えに満足した蛇神様は自分に帰依させた二人を自らの国に迎えたの。二人は今生でも幸せに暮らしたのでした。」

「へぇ〜、わ〜。凄いねぇー。(≧∇≦)b」

「…と、ここまでなら単なる昔話で終わっちゃう。」

 

何故だが口調をオドロオドロしく変えながら、櫻子はアルマに詰め寄る。

少しだけ身を引きながらそれでもアルマは櫻子から視線を外さない。

 

「たまーに、今でもカップルがあの湖で入水自殺をしているらしいの。」

「らしい?」


言葉尻が気になって彩は思わず、突っ込んでしまう。

アルマは固まったまま目線だけチラリと彩を追う。

 

「消息不明で、遺品のようなものがお供えしてあるのだけれど遺体なんかは見つからないままなの。

遺書なんかは家族宛に残していたから、大騒ぎになったんだけどね。

結局、見つからず終いで噂だけが残っているの。」

「噂だけって事はないの?(・・;)」


少しだけ引きながら、アルマは表情を固める。恋愛ものはオッケーだが、ミステリー系はダメな口か?

 

「実はね…。」

 

櫻子は更に声を潜めて身を乗り出す。

アルマは聞きたいような、聞きたくないような表情で、仕方なく身を乗り出している。


「この学院の生徒にも犠牲者がいるの。」

「…それ、どこ情報?」

 

急に胡散臭くなり、彩は思わず聞いてしまう。


「三年前にあった事件の事を『陰陽術&ミステリー研究会』で取り上げているわ。

一応、学校関係の記録も漁ってみたけど本当みたい。夏期講習中の事件だったから結構騒ぎになったみたい。私達の入学前だから、辛うじて今の三年生が知ってるかなってとこね。」

 

裏取りまでしているとはさすが副生徒会長。学校関係の記録というは生徒会だけのものではあるまい。

恐らく父親である学院長資料も確認しているに違いない。

 

「ぢゃ〜、本当にその蛇神様はいるんだね?きっと。」

「でも、去年行ったけど平凡な感じだったけどな〜。」


毎年行く一年生限定のハイキングイベントを思い出しながら、彩は呟く。


「確かにね…去年はそういう目で見てなかったって言うのもあるけどね。」

「暑かった覚えしかないんだけど。(´-﹏-`;)」

「そうだったね。(´-﹏-`;)」


二人同時に渋い顔をみせる。

確かに去年は酷暑であった。途中で何度かリタイアしようかと思ったくらいだ。


「でも、代償を差し出すだけでお互いが幸せになれるなら…本当に幸せになれるなら何でも差し出しちゃうな。私なら…櫻子お姉ちゃんなら、何を上げるの?」

 

アルマが髪の毛を後ろにかき上げながら、櫻子を少し詰め寄る。

表情が大人びて見えるのは発言のせいか、仕草のせいか?

図書室から借りてきた数冊の『ハイティーン』は綺麗に積み重ねて脇に置かれている。

すでに体勢はお話モードにスイッチしている。


「えーっと、なんだろうね。そもそも彼氏とかいないからね。そういう状況にならないかも。あはははは。」

「彩お兄ちゃんは?」

「ん〜、そういう状況にならないようにするかな。」

「あ、ズルい。鈴宮くんは、その…彼女とかいないの?」 


何故だか、声が上ずりながら櫻子がズレた質問をしてくる。


「今、彩お兄ちゃんにとって一番大切なものってなに?」

 

意味深な質問は彩が考えていたことなので、思わず絶句する。

相変わらず外の台風はお構いなしにガラス窓をノックする。

催促をするようにザワザワと。


「…想い出かな。」

 

しばらく外を見て、ポツリと彩は答えた。

彩には6歳より前の記憶はない。今ある最初の記憶は嚴志郎が顔を覗き込んでいる映像だ。

 

『坊主、しょうにでも合ったか?』  


意味はまだ分からないが、そう言われて手荒く、でも優しく嚴志郎から頭を撫でられたのを覚えている。

それより以前の事は思い出そうとすると、何故だかそうしてはいけないように一歩引いてしまう自分がいた。

一度だけ、無理矢理に思い出そうとしたが、結局全てはぼんやりと何も像を結ばなかった。


「僕はね、6歳よりも前の記憶がないんだ。ある日突然、鈴宮家の前に現れたって…捨てられたのか、孤児なのか、結局良くはわからないけどね。

自分がどこの誰が分からない。

だから、大切なのは今あるこの想い出かな。これ以上失うのは嫌だからね。」

「…鈴宮くん。」


そんな彩の身の上話を初めて聞いた櫻子は口に手を当てショックを隠しきれず固まる。

 

「でも、そういう風に話せるっていうのは今が幸せだからだよね。…もう今は、幸せってことでしょ?

本当に辛いことは口に出せないもの。」

「まぁ、小さい頃は色々悩んだけど、悩んでもホントの事がわかる訳じゃないからね。

だからもう、…一人で思い悩む事は止めたんだ。」

 

アルマは悲しそうに微笑むと手を伸ばして彩の頭をくしゃっと撫でた。

幼子にするような仕草が余計に悲しげである。

彩は二人に心配をかけないように屈託のない笑顔で応える。


「でも、今の自分には十年間の想い出があって、それはそれまでの思い出せない思い出より長くなってるんだよね?だったら、過去はともあれ、やっぱり今の自分が本当の自分なんじゃないかな?」

 

アルマはまだ儚げに見える彩の頭を撫でながら、幼女の演技を忘れてアルマディータ公女の顔で応える。

言い終えた後で、急に撫でているのが恥ずかしくなって、手を引っこめる。

 

「ありがとう。でも、アルマの言うとおりだし、気にしてないから大丈夫だよ。」

「私、鈴宮くんの話…初めて聞いた。何だかごめんね。変な話させちゃって。」


櫻子は手を合わせて詫びる。

 

「ん、もう良いよ。自分から話した訳だし…それより。

流石にこのまま過ごすと飽きるね。外にご飯を食べに行くと言う訳にも行かないしね。」

 

三人の恨めしげな視線は吹き付ける雨風を射貫く。

その後、アルマがお昼ご飯の準備の手伝いに行く事となり、二人きりで一つの部屋にいる事になると、ハタッと気づいた櫻子が何故かテンパり、アルマに引きづられて出て行くと静謐な空間が戻った。

ただただ、少しだけ弱くなった風が硝子をノックしている音が先程までの残響のように彩の心に影を落とす。

 

『坊主、しょうにでも合ったか?』

 

今でもハッキリと嚴志郎の声は耳に残っている。

何度か『衝』とは何かを聞いたが、答えはなかった。詳しい事が分からない以上、話せないというのだ。

『今、自分がここに立っている事。そっちの方が大切だ…彩、今を大切に、懸命になるんだ。今を諦めてはダメだ、良いな?』

幼かった自分は頷くしかなかったが、もう少し詳しく聞いておけば良かったとも思う。全ては後の祭りである。

『今を大切に。』

まさにあの時、聞いておくべきであったかもしれない。


時は移り、昼食の後片付けも一段落した食堂。

夏期講習にきている学生が集まっている。先生の姿もちらほら見える。

由乃さんの、いやアルマのと言った方が良いかもしれないが3時に向けてお菓子作りのレクリェーションが催されていた。

台風で閉じこもり気味の生徒の気分転換、明日のハイキングのお供に。

気になる男子への差し入れに!

色々な理由が重なり合い、学院公認の家庭科の講習会になっていた。

勿論、講師は食堂の番人たる由乃さんである。

そして、更に張り切っているのはどちらかというとアルマであった。


「今更だけど…何で僕は家庭科の実技指導を受けているんだろう。」

 

何度目かの呟きを口の中で消化して、ホットケーキの生地の粉末を卵とかき混ぜる。

 

「エプロン姿も様になってるよ、彩お兄ちゃん(≧∇≦)b」

 

ピンクのエプロンに兎のアップリケがキュートである。

彩は自分の姿を見下ろして、つきそうになる溜息をぐっと飲み込む。


「鈴宮、剣道とは勝手が違うかぁー?」


後にいた風城先輩が自分もボウルでかき混ぜながら声をかけてくる。


「啓太くんも変わんないでしょ〜、あー、ほらまたこぼしてるしぃ〜。」

「いや、楓が入れ過ぎなんだって。」


彼女がこの間、風城先輩と一緒にいた人か。見たことがないので、一年生なのではないかと推測する。

彩は風城に頭一つ低い位置からあれこれと文句を言っている女性を見る。

あの風城先輩が苦笑いで逃げている。剣道部主将もかくや!という体たらくである。

白いシュシュでまとめ上げたポニーテールが楽しそうに揺れる。  

何やら突っ込む前に彼らは二人の世界へと戻っていく。

彩はニコニコと見上げてくるアルマににかき混ぜ終わった生地を渡して、今度は生クリームの製造に移る。

相変わらずシャカシャカと言う音が響く。

隣では何故か意気投合している櫻子とアルマがホットケーキの生地をフライパンの上に広げている。

程よい色加減までにクリーム間に合わせなければ。彩は回転数を上げた。

 

仕上げの生クリームのデコで大きなハートマークを書き上げたアルマは満足気に頷いた。

程よく焦げ目の付いたホットケーキの上に、♡型の生クリーム。三色チョコチップのオマケ付きである。


「どうぞ、召し上がれー!」

 

満面笑みのアルマがナイフとフォークを手渡ししてくれる。

そこかしこで、出来上がったチームから食べ始めている。

彩も恐る恐る切り分けて口に運ぶ。

程よい甘みが爽やかなオレンジの香りと共に広がる。

アルマが生クリームを混ぜる前に入れていたのはオレンジエッセンスだったのか!と今更ながらに気づく。

なかなか、美味しい。

アルマがこちらを見ながら何か、物欲しげに見上げて上げる。

 

「どぉ?…むぐぐ。」

 

小さく切り分けたピースを喋りかけたアルマの口に放り込む。


「ほっと、はにふるのよ〜。(ちょっと、なにするのよ〜。)」

「美味しいね。上手く出来て良かったよ。失敗したら、居残りさせられそうだからね…美味しいよ、ありがとう。」

 

アルマと櫻子の顔を交互に見ながら褒めておく。

二人の顔が何故だがうつむく。

言い方がまずかっただろうか?

しかし、自習の時間は良いのだろうか? 

まぁ、たまには息抜きも必要だからね。食べ終わったら、自分も宿題の分くらいはやらないとそろそろまずいかな?と時間計算を始める。


「ねぇねぇ、ご褒美にさっき話していた湖にピクニックに連れてってよ。」

 

更に計算高い!?アルマは『ハイティーン』の教えに従い、『飴と鞭』ならぬ『甘いもので甘える』作戦を敢行。自らを胃袋の番人の高みへ上げる。

本来の目的とは別に確認しておきたい事もあるのだ。

どうせなら一緒に行った方が色々助かりそうだ。

下僕候補は酷使しなくては。

アルマは下心を天使の笑顔で隠し切して彩の頷きを引き出すと『ハイティーン』へ感謝の祈りを捧げて、心の中でギュッと拳を握る。


「あ、なら…私も行こうかな。」

 

櫻子のその言葉にアルマは天使の笑顔を返せたか、いまいち自信はなかったが先ずは行く事が大事なので不満げな表情は何とか抑えたはずだ…たぶん。

 

「でも、明日は部活があるからできれば日曜日が良いかなぁー…とか、思ったり。」

「そう言えば、明日は弓道の練習を見に行きたいんだっけ?」


アルマは二人が自分の事を見ているので、昨日の図書室で交わした迂闊に交わした会話を思い出した。

何だか、弓道という耳慣れぬ言葉に反応して、見に行くような話になっていた記憶がある。

 

(。ŏ﹏ŏ)

 

我ながらそれほど意識していなかったので、自業自得というものだ。

そこは彩が思い出さなければうっかりスルーという構図も可能であったが、今となっては難しかろう。

彩は彩で、弓道を見に行くのはアルマだけだと思っているので自分はまったり週末を満喫するつもりでいる事は女子二人には知る由もない事であった。

 

「部活は何時からなのかしら?」

「9時に弓道場へ集合なのだけれど、最初は準備運動とか道具出しとかがあるから十時くらいなら見学できると思うな。食堂のお手伝いとか、アルマちゃんはお時間大丈夫かな?」

「朝ご飯のお片付けもそこまでには落ち着いていると思うから、行けると思うな。」 

「それで、いいかな?」

「それで、いいよね?」

 

妙なとこだけリエゾンして、二人の顔がこちらを向く。

何故だあ…と彩は心の中で叫ぶ。 

自分は話の外にいたはずである。

…と、(勝手に)思っていた。

休日の朝の"のんびり"を満喫しようとしていたのだが…。

午前中のベットで怠惰に読みふけるための本も用意はしてあったのだが…。

すべて語尾はもやっと消えてしまう。

口の中の爽やかなオレンジの香りだけが消えずに漂っている。

彩ができたのは少し引き攣った笑顔で頷く事だけであった。

 

暴風雨も治まり、すごい早さで流れ去る雲の隙間からは星空も覗き始めていた。

アルマは硝子を吐息で曇らせながら飽きるかとなく垣間見える星空を眺めていた。おやつを食べた後は『さすがに少し勉強する』と彩は部屋に帰ってしまい。櫻子も肩をすくめて、『また、明日ね』と言ってこれまた部屋に戻ってしまった。おやつ大作戦でまずまずの手応えを感じたアルマであったが、後片付けが終わる間もなく、晩御飯のお手伝い(修行)に駆り出され今に至る。

つまり、星空を眺めているというより疲れ果てていると言った方が近い状態であった。

それでも頭の中では昼間の櫻子の話を思い出し、自分ならどうしても一緒にいたい人の為に、何を差し出すのか?をぼんやり考えていた。

好きになった人と添い遂げる。

そんな夢みたいな事…だからそれを「夢みる」のだろう。

一番大事なものを差し出せば、願いが叶う。そんな陳腐な台詞に真剣考えてしまう。

 

自分が好きな人を傷つけず、相手を愛することのできる加護を。

 

相手が傷つかずに、ありのままで自分を愛してくれる力をその人に。

 

追い詰められれば、今は陳腐と思える言葉も福音のように聞こえるのかもしれない。

自分がこんな風に考えている事がそれを示している。

それにしてもそんな神がこの地にいるのだろうか?

霊魔界の旧敵であることも考えられる。

ここにいて魔力を感じることがないのであればそれほど強い相手ではないだろう。

今の状態では魔力の拡散が大きくて、スタミナにはあまり自信はないが、全魔力を使えば倒せない相手ではないはずだ。

所謂長期戦は不利だが、文字通りの瞬殺ならクール公女の敵は早々いない。

しかし、使い魔の一つも手先にしておく方がいざという時、便利かもしれない。

アルマはふと、思いつく。

こちらの動物を使霊に下すくらいなら今の状態でも出来るはずだ。最適な魔術式を思い出しながら、何を使役するか考える。

兎は可愛いが臆病だ。

犬はすぐ興味本位に走るので、却下。

鳥類で思慮深いのは梟だが、昼間の行動が制限される。

吸血鬼と良くペアにされる蝙蝠も同じ理由で却下。

鼠は不潔そうなので、端から候補から外している。

やっぱり、猫かな。真っ黒で綺麗なのが良い。いなければ三毛猫でも、我慢するけど…。  


『お前の一番大事なものを差し出せば、願いを聞き届けてやろう』


そう言われた時、自分は躊躇なく敵として対峙できるだろうか?

心の弱い部分の隙間を狙う狡猾な手だ。

自分の大切なもの…。

 

アルマは頬を伝う涙の感覚に我に返った。いつの間にか、考え事をしながら窓際で寝てしまったようだ。

今は涙を心配してくれる人は傍にいない。

急に寂しさが込み上げ、慌ててベットに潜り込む。雨のせいか、下がった夜気が首筋に纏わりつく。

涙の訳は聞かず、ただただアルマの事を心配してくれた人の笑顔を思い出し、温かな気持ちに包まれたアルマはすぐに寝息をたて始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ