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第十一章 斯くして下僕は誕生す

「理不尽だ。」


…ポツリ。何度目かの不満を口にする。


「本当にごめんなさい。でも、あれ以外にうまい方法を思いつかなかったのよ。」


背中に大人版アルマ(こっちが本物だけど)の吐息をくすぐったく感じながら彩は頷いて同意する。

櫻子は彩の上半身の裸を見て気を失ってしまいベッドに寝かされていた事になっていた。

蛇神の一件については覚えていないので、事は丸く収まった。彩の叩かれ損という事実は残るが…。

頬を叩く音が催眠の導入になり、事実の誤認識をさせる事ができたのだとアルマからは説明を受けていた。

講義を聞きに戻ると櫻子は何だか余所余所しくなっているわ、アルマに事情を聞こうとしても中々機会が無く話もできない状況に悶々としている間に夜になってアルマがこっそり訪ねて来た。

口実に持ってきた替えのシーツを部屋に入るなり、それを放り出して彩のベッドに倒れ込んだ。

途端に小学生アルマは大人版ほんものに戻って溜息をつく。

すぐに彩の背中の傷が気になるからと自分の代わりにうつ伏せに寝かせられて、何やら診察を受けているという現状である。


「うは〜、力を抑えるのがこんなに大変だとは思わなかったわ。

あー、そうそう。風城兄妹は病院で様子を見てもらっているそうよ。取り敢えずは先生達のお小言は済んだみたいよ。」


風城兄妹も無事にたどり着き、行方不明事件は無事に未遂で終了した。

アルマの指先が彩の傷を撫でる。痛みよりもくすぐったさが先に立つ。


「さ、もう大丈夫。明日の朝には傷も治っているはずよ。」


アルマが遠ざかるのを感じて彩は起き上がる。もう引っ叩かれないように早々に捲り上げていたシャツを下ろす。

アルマは何故か床に正座して三つ指をついて頭を下げていた。


「彩、契約してくれてありがとう。不束者ですが、これから末永く宜しくお願い致します。

…こちらでは契約した男女はこうやって挨拶するのよね?」

「いや、何だか違う気もするけど」

「何がどうなったのか、私も…その、よく覚えていないのだけれど…け、契約ってどうだったの?」


契約と言われて、咄嗟に気を失ったアルマに無理やり!?口づけした事を思い出し、赤面してしまう。

今、その事を告げるとまた引っ叩かれそうで思わず、口籠る。


「え、あ、いや…ほら、僕も必死だったから、何とか僕の血を飲ませて…あんまり覚えてないというか…でも、アルマが無事で良かったよ。」

「あ、そうなんだ…私もその…男の人とするの…だから良く分からなくて。あ、男の人ぢゃなくても初めてなんだけどね。」

「ふ、ふーん。ま、こっちじゃ契約とかないから、僕も良く分かってないんだけどね。」


二人とも、核心に触れられず只々赤面してしまう。


「あのね、彩に話しておかなくちゃいけない事があるの。今まで話せなくて…ううん、隠していて、ごめんなさい。この事で彩が怒ったり、私を軽蔑して嫌いになっても構わないわ。

でも、今の状況はフェアでは無いと思うの…。」


アルマは少し涙ぐみながら、真剣な目を彩に向ける。


「吸血鬼族の血の契約は元々は吸血鬼同士が強くなる為の儀式なの。

一人よりも二人で一緒にいる事で魔力マナも上昇するの。でも、魔力量が均衡していないと…。」


アルマはそこで言葉を飲み込む。大粒の涙が頬を伝う。


「魔力量が低い方の意思が奪われてしまうの。人形契約って、揶揄される事もあるの。

吸血鬼族とそれ以外の種族の場合でも…一緒なの。

契約によって吸血鬼側は高い魔力を、もう一方は比類なき回復力を得ることができるの。

心臓を取り出されたり、首を切り落とされたりしない限り、回復できるのよ…。

でも、私は彩の魔力マナの恩恵に預かっているけど彩は私の力の恩恵を受けていないの…何だか、一方通行な感じなの。」


なるほど、アルマが言えなかった事はこの事だったのか。

彩はようやく契約の制約を理解した。

魔力と引き換えに超人的な回復力を得ることができる。もしかしたら、自由意思をも引き換えにして。


「私は、自分が知らない人なら契約で人形になってしまっても悲しくないって思って知っている人のいないこの人間界に来たの。

そんな身勝手で…最低な女よ。軽蔑してくれて良いのよ。

でも、彩に会えて契約しようと思ったけど…でも、やっぱり怖くなった。

彩が、彩じゃなくなっちゃうのはとっても怖かったの。

もう、優しく撫でてくれたり、笑ったりしてくれなくなるのが、とっても怖かったの。

もし、彩を失ってしまったら私は悲しくて死んでしまうと思うの。

…私の事、嫌いになった?」


(だから、ココでアルマは契約者を探していたのか。)


彩の疑問は氷解した。

アルマは知らない人がどうなっても良いと本気で思えるほど薄情ではないから、悩み…契約を切り出せずにいたのだ。今にも号泣しそうな女の子を前に他に何が言える?

彩は自問してアルマに微笑みかける。


「…アルマが無事で良かったよ。契約の仕組みは正直よく分からないけど、僕はこうして自分の意思で話して、笑っているよ。だから、安心して…アルマ。僕はここにいるよ。」

「私の事、軽蔑した?」

「ううん。アルマもたくさん悩んだんでしょ。」

「私の事、嫌いになった?」

「ううん、アルマもとっても苦しかったんでしょ。僕は今まで通りここにいるよ。」


ぱふっ。

アルマはベッドの上で胡座をかく、彩の胸に飛び込んで来た。


「怖かったよぉ〜…うぇ〜ん。。・゜・(ノ∀`)・゜・。」


腕の中で嗚咽するアルマの頭を撫でながら彩は自分が想像するよりも遥かに重い苦悩をアルマは独りで抱え込んでいたのだと改めて実感する。

細い肩を震わせながら、子供のように只々泣きじゃくる。

自分はこの娘を護りたい。

彩はアルマを抱きしめながら、そう思った。

しばらくしてアルマはようやく落ち着くと腫れた目を擦りながら上目遣いに彩を見上げた。


「それでね、彩。これからの事なんだけど…ね?」

「ん?…大公家に仕えるとか言ってような…?」

「そうそう…一緒に来てくれる?」

「う〜ん、正直…今はまだ混乱してて良く分からないよ。昨日までは人間としての日常だったのに、今日から違うなんて…。」


アルマは一度、大きく目を見開くとしばらく俯いた。


「やっぱり、私との事は…『遊び』だったのね。」

「アルマ、それは何だかすごく誤解した言い方だよ?…第一そういうフレーズって何処で覚えて来るわけ?」

「そう言えば…もう少し涙ぐむと効果的って書いてあった。」

「何を読んで勉強してるのかな?…重大な誤解をしているような気がするよ。」

「うふふ、『すぐに返事をして!』なんて確かに強引よね?…彩、それでも私には貴方が必要です。ううん、一緒にいたいの。だから、ゆっくり考えてみて。」


アルマは身体を離して、彩に頭を下げる。


「いいお返事を期待しているわ。」


アルマはすごすごとベッドを降りて、深呼吸をすると見る間に小学生バージョンに縮まった。


「あんまり遅くなると、迷惑掛けちゃうので今日はこれで失礼するわね。」

「うん、おやすみ。」

「…確か、『既成事実』に男の人は弱いみたいだから、そういう噂を流すっていう方法はあるわね。」

「それ、どこソース?」

「由乃が見てた昼のテレビドラマでやってた。意味はよく分からないけど、男の人が言う事聞いてたからきっと彩にも有効かなっと?」

「余計な知識を増やさず、今日は寝なさい。」


彩はそそくさとドアを開けて、アルマを追い出した。

何故だか、アルマは上機嫌で手を振りながら自室へ降りて行った。

いつものペースを取り戻しつつ、彩も早めに布団に入る。

色々な事があり過ぎた一日だった。

お気に入りの歴史書も開く元気もなく、月明かりの中で暗い天井を見上げて今日に出来事を整理しておこうとしたが瞬きをした瞬間に眠りについてしまった。

気が付くと彩は大きな鏡の前に立っていた。

自分で自覚するのも何だが夢だと分かる。でも、どこかで見た事がある。

緋漣湖の鏡よりも更に大きな鏡を彩は知っている…知っていた。

鏡に影が走る。

彩が身構えた時、そっと誰かが優しく抱擁してくれた。懐かしさと温かさを感じ、頬に涙が伝うのが分かった。

その感覚で彩は目な覚めた。

目覚まし時計はベルを鳴らす5分前を示していた。

外の明かりが今日も良い天気で有ることを告げていた。

彩は久しぶりに武道場に顔を出していた。

初太刀を構えようとした瞬間、声がかかる。


「よぉ、早いな。鈴宮。」

「おはようございます、風城先輩。何事も無く良かったですね。」

「心配かけたな、済まなかった。」

「いえいえ、僕は何もしてませんから。」


律儀に頭を下げるのは他意があっての事ではないのだろうが当事者としてはドキドキしてしまう。


「でも、何事もなくて良かったですね。」

「んー、まぁな。実はな、楓は異母兄妹でな…まぁ、小さい頃からずっと親の事では二人とも共通に悩んできたんだが、いやそのせいで楓は独りでいる事には慣れていなくてな。

俺はアメリカの大学へ進学する予定なのだが、それでかえって悩んでしまってな。」

「え!風城先輩、アメリカ行かれるんですか?凄いですね。」

「楓が独りになるんでな…ちょっと心配なのだが。」

「今、やりたい事があって、叶えられるなら、叶えるための努力ができるなら、今を諦めては駄目です。」

「鈴宮に諭されるとはな〜。もう一度、キチンと楓と話してみるよ。」

「偉そうな事を言ってすいません。」


楓が独りになる事の不安が心の隙間を作り、蛇神に付け込まれたのだろう。

人の心の隙間につけいる…まるで悪魔だと言ったらアルマは魔族を馬鹿にするなとでも言うだろうか?

まだ、こんな悪さをする妖魔のような者がこの世界にいるのだろうか?

自分がアルマの力になっている事はまだ実感すらないが本人はいたくご満悦のようだ。

何か重大な行き違いがありそうなのだが、自分ではそれが何なのか分からない。そのうち、アルマとキチンとその事については話をしよう。

キスの事にはできるだけ触れないで…。

その日の朝練前の練習もそこそこ苛烈だったが、背中の痛みも無く快適だった。自分の太刀筋は変わっていないはずだが、いつもより動けた気がしていた。

持参した虎杖丸が時折カタカタと鳴っていた事には気づかれなかったが。


十日間の講義も残す所、あと二日となって教師たちもラストスパートをかけてきた。

講習の成果を測るという名目で全ての教科での全範囲テストを実施する。

テストライアスロンと銘うった連続テストにはさすがの彩も参加せざるを得ず、真面目にテストを受けていた。

成績に影響するかも…と脅されては参加せざるを得なかったと言うのが正直な所だ。

一教科当たり二時間のテスト時間は集中力を保持するぎりぎりのラインとも言えるが、それが丸二日も続くので生徒たちは若干脳味噌がバテ気味で、通常なら持て余し気味の体力もガッツリ削られる。

例年、気の緩んでくる講習後半にこのテストライアスロンを行う事で問題事件を未然に防いているのだという話も誠しやかに囁かれている。


とはいえ、日課とも言うべき図書室通いを止めるほど彩は軟弱でも無かった。

テストの時間割のせいもあり、いつもより早めに講義が終了したので、彩はノンビリとお気に入りの図書室のリクライニングチェアで中世の教会史を読んでいた。

傍らには小学生アルマが何やら必死に雑誌のページを書き写しているようだ。

やがてパタリと雑誌を閉じると机に突っ伏す。


「彩〜、お散歩でも行こうよ〜。夕食の仕込みまではもう少し時間もあるしさ。」

「疲れたのかい?根を詰めて勉強するからだよ…何を書き写してたの?」

「乙女の秘密兵器よ…覚悟しなさい。て、どっかいこ!」

「何だか不穏な事を聞いた気がするのだが…まあ、気分転換には丁度いいかな。」


彩は身体を起こして、本を仕舞い始める。

櫻子はさすがに疲れたのか、明日の試験勉強なのか、早々に寮に帰っている。昨日の疲れもあるんだろうな…と気遣いながら元凶に微笑みかける。


「で、どこに行くんだい?」

「ひ、み、つ。」

「霊魔界とか、嫌だからね。」

「…そんな、訳ないぢゃない。」

「今、一瞬何か考えたよね?」

「ま、まっさかぁ〜。」

「アルマ、お話する時は目を見なさい。」

「嫌だなぁ、二人っきりになれるところに行こうかなっと思っただけよ。」

「え?!」


咄嗟に昨日の一方的なキスを思い出してしまう。純情真っ盛りの十七歳男子である。


「今、変な事を考えたでしょう〜。」

「いえ、そんな事は。」

「彩、人とお話する時は目を見なさい。」


まんまと逆襲を受けた彩は斯くして、二人で思い出の地である緋漣湖へ来ていた。

午後の風は心地良く吹き抜ける。

湖面を撫でた風は初夏を忘れさせる。

二人は勿論地道に歩いて来た訳ではなく、ちゃっかり加速してものの五分でたどり着いていた。

彩としては何でまた連日ここなのか?と思ったしまうが、寮と学院の周りには見る物や行くところはないので消極的選択肢の一つかと納得する。

隣には大人版ほんものアルマが湖を見下ろす展望台のベンチにお行儀良く座っている。ゆったり目の水色のワンピースはミニスカートになっており、胸も視線に困る状況になっているが彩は出来るだけ視線を湖に集中させるように努力した。

本人曰く、『小さい身体でいると魔力を閉じ込めて置くのにものすごく集中力を使う』らしい。


「私は小さい時から、魔力が強くってね。普通にお話が出来る人と契約出来るなんて諦めてたんだよ。

小さな頃なんか『私は魔王さまと契約するんだ〜』って言ったくらいなんだから。」


アルマは恥ずかしそうに彩を見上げる。


「魔王って、やっぱり強いの?」

「私もお会いした事はないのよ。物心ついた時にはお隠れになってたから。

でも、お父様よりも強い魔力を持ってたと言うから、きっと強かったんだと思う。」

「アルマよりずっと年上なんじゃないのか?きっとオッサンだぞ?」

「しょうがないじゃない、小さかったんですもの。そんな年の差とか考えてなかったのよ。皇子がいらっしゃったのだけれど、行方不明なのよ。亡くなったって話もあるけど、次の魔王が選ばれていない以上、先代魔王様が生きていらっしゃるのか、後継者が何処かにいらっしゃるのよ。」

「世襲なのか?魔王って、称号か何かなのか?」

「神の玉座が魔王を選ぶのよ。先代がお隠れになってから魔剣が玉座を護っているわ。

魔王様以外には決して従わず、こうべを垂れない…魔剣クリシュネトリシカ。」

「ぢゃー、次の魔王がアルマの狙っている奴ってこと?」


アルマは一瞬、目を丸くするとクシャと笑うとはにかんだ。


「私の魔王様は…もう彩だよ。」


今度は彩が目を丸くする番であった。


「なんだよ…そりゃ。」

「えへへ…契約はしたけどさ、彩は彩のままでいていいんだよ。

でも、まぁ気が向いたら霊魔界にも遊びに来てほしいな♪

…というか、契約の儀式の完了をうちに報告する必要があるのよね。

だ、か、ら、一度で良いから一緒に来てね。きっと気に入るよ、『クール領いいとこ、一度はお出で』って言うよ・・・いいお返事待ってまーす。」

「それ、絶対言わないよね?…まぁ、今は旅行って感じぢゃないからなぁ~。」

「…う。」


アルマの笑顔が引きつりながら、カクンと落ちた。

少しだけ傾いた太陽がオレンジに色を変えながら、アルマに影を落とす。

下を向いたアルマの口元がニヤリと笑う。

(負けないモーン)( ̄▽ ̄)

アルマは心の中で呟くと次の作戦を考え始めた。

 

「う〜ん。」


アルマは枕を抱えながら虚空を凝視していた。

既に夜。 

緋漣湖では少しは期待したのだが、あっさり彩に振られてしまった。

自室の布団で枕に向かって溜息を繰り返していた。

隣には涼やかな寝息を由乃が立てている。

こんなはずではなかったのだが。

大公家の暮らしぶりとか、もっと伝えるべきだったのかな?

でも、彩はきっと見た目の豪華さや豊かな暮らしなんかには興味はないと思う。

所有欲よりも知識欲なんかの方が魅力的な感じるのだと思う。図書塔の話をした時の反応が物語っている。

彩と契約できたのは良いが、それを報告しに霊魔界へ戻らなくてはならない。なので、一度だけで良いから、一緒に来てくれれば良いのだけれども。

でも、その後は?

はたと気がつく。

彩は自分の恥ずべき行為を寛大に受け入れてくれた。優しく、赦してくれた。

アルマからは契約の話を持ち出しているのだから、心憎く思っていないことは彩には明白なはずだ。

契約は一種の求愛行動なわけだから。

これから、ずっと一緒にいて欲しいという意思の現れ。

どきっ。

そう言えば、彩の気持ち…聞いてない。

きっと、彩も自分と契約をするくらいなのだから生半可な気持ちではないはずだ。

ちゃんと聞いてみたい。

でも、怖い。他に好きな人がいないとも限らない。

そんな素振りは見せてないけど。

でも、諦めるなんてしない。

折角見つけた私だけの魔王様。

すぐには好きって言ってもらえなくても、そうなるように努力はしたい。

その上で、ダメなら…。

時間が足りない。と、アルマは思い悩む。

今、どうしても自分と霊魔界に来て欲しいと言っても、彩としては『ノー』なのだ。

頼み込んで、どうしてもとお願いすればもしかしかしたら、来てはくれるかもしれない。

でも、その後は彩は人間界に帰ってしまうだろう。

一緒にいられない…私の、やっと見つけた運命の魔王様と。

アルマは自分の布団を綺麗に整えると

由乃の枕元に近づいた。

 

「由乃。今までありがとう。貴女の孫で良かったわ…短い間でしたけど、お世話になりました。」

 

アルマは正座のまま深々と頭を下げた。アルマは由乃の額に触れないように人差し指てで円をかいて、最後に眉間に指を置いた。

そして、もう一度深々と頭を下げた。



神の系譜アカシックレコードには天上界に住まう全ての生ける者たちの名前が彫られている。

漆黒の黒曜石に彫られている名前は魔力マナの強さを表す順に並んでいる。

天上界と霊魔界を結ぶ『神の廻廊』の壁面にズラリと並んでいる。

霊魔界から天上界にかけて低い順から高い順に並んでいるが、片側のみで反対側の壁には一文字も彫られてはいなかった。

神の系譜アカシックレコードは不変ではなく、新しい命が生まれれば名前が増え、儚く潰えた生命があればその名前は消えてしまう。

今もアルマの視界の端でゆっくりと名前の序列が変わって行くのが分かった。

アルマは以前自分の名前の合った場所を見てなくなっている事に安堵した。

ここから右に行けば魔力序列が上がった事になる。

希代の魔力に恵まれた父親の5位には及ばないまでも何とか二百位以内にはランクインしたいものである。

基本上位千人に入っていれば、畏敬の目で見られるが二百位以内ともなれば種族指折りとなる事は間違いない。

あの強い魔力を持ったコティですら、契約後には二百番の一桁代にランクインしているのだ。

因みに五十位以内であれば霊魔界の政務が執り行われている界王宮に自由に出入りを許され、三十位以内では魔王様への謁見の栄誉を得たりする。


「私だって、二百位くらいは…。」

 

呟きながらも元々自分の名前のあった三百番台を下回った辺りから、右に足を進めるごとに足取りが重くなる。すぐに名前を見つけたら、どうしよう。思ったより、序列が上がっていなかったら?

アルマは丁寧に名前を追いかけながら、一歩ずつ右へ、右へとズレていく。


「あれ!?」


指先が親友のコトリアを指した時に、ちょっと躊躇する。

丁寧に見たはずだが、もしかしたら見落としたのかもしれない。

いや、もしかしたらもうちょっとだけ先にあるのかもしれない。

ちょっとだけ心に棘がチクリと刺さりながらも、優越感を感じてしまう。

しかし、その足取りも名前の文字の大きさが大きくなる百位の列に来た時に、ハタと止まる。

完全に見落としてしまった。

アルマは自分の見てきた二百名の名前の列を左に見た。

 

(また、見直すのか…ちょっとげっそりかなぁ。)


後でまた来ようかな?

霊魔界に帰って来てから、すぐにここへ足を運んだのでまだ自分の城へも顔を出していない。

侍女を連れてきて…いやいや、序列が変わってなかったり、まさか落ちていることはないと思うが期待外れの時の覚悟はしておきたい。

心も新たに少し諦め気味に二桁台の名前を目で追う。

皆、霊魔界では各種族長に近い方やその名前をどこかで聞いたことのある人物ばかりが並ぶ。

更に五十位以内の列に来ると名前はまた大きくなった。

完全に見落とした。

肩を落としたいのをぐっと堪える。大公女としてははしたないところを晒す訳にはいかなかった。

アルマは何処で見落としたのか泣きたくなるような惨めさでチラチラ左に視線を送る。

この先、三十位以内で更に大きくなり、十位以内では種族名まで入ったりする。

文字の大きさが更に大きく三十位を越えた時、アルマは足を止めた。

 

「えええええ〜!」


自制心が吹き飛び、アルマの悲鳴が回廊に轟いた。 

 

衣擦れの音だけが部屋の静謐を見出していた。

侍女達は久々の姫のご帰還に満足そうに自慢の腕を奮っていた。

湯浴みをさせて、肌がスベスベになるクリームを塗りたくり、金髪に映える淡い空色のロングドレスを着させる。

これから、大公妃殿下へのご挨拶に行くのだ。

親子の対面とはいえ、落ち度があっては侍女達も納得がいかない。

鏡の中のアルマはきっちりと結い上げられた髪を角度を変えて確認しながら、何気ない様子を装って侍女の一人に告げる。


「先にここへ帰って、まだ回廊の序列を確認してくるのを忘れてしまったわ。手の空いている者で、私の代わりに見てきてもらえないかしら。」

「はい、姫様。序列がどれくらい上がっているのか楽しみですわね。」

「まぁ、まんまり期待しないでね。契約と言っても人間界ではそこそこのというくらいなのだから。」

 

アルマの心臓はこれでもかというくらいドキドキと音が外に漏れそうなくらい高なっている。

今でも自分の見てきた光景が信じられない。誰かに頬を抓って貰いたいくらいだ。

もはや、第三者に確認してもらわなくては自分だって信じられない。

やがてアルマは昼食の席に着いていた。

高い天井から降りたシャンデリアが外の光を反射させて部屋を柔らかな陽の光で照らしていた。


大公妃ドロレスは白地に黒のレースをあしらったドレスで自分の席に着いて、アルマを愛おしそうに見つめている。まだ、三十代前半ともいえる艶姿はドロレスの回復力が飛びぬけて高い吸血鬼族の特有の魔力の高さの現れともいえる。因みに父親のクール大公は界王城につめていてこちらには殆ど帰っていない。

二人っきりの昼食である。

三十人は同時に座れそうな長いテーブルの端で二人で取る夕食は由乃が取り仕切る食堂のような賑やかさはなかった。

後ろには五十名を超える侍女達が身じろぎもせず、静謐を絵に書いたように直立不動の姿勢を取っていた。

 

「良く戻ったわね、心配していたのですよ。人間界に行くと言い出した時には驚きましたが、貴女の気持ちも理解しているつもりです。私達、吸血鬼族の定めですものね。」

「はい、お母様。」

 

アルマがニッコリ笑みを返して少し俯く。

そこへ侍女が小さなメモを持ってきた。先程の結果を持ってきた。

随分と早い。

自分とは逆に一位から見ていったのだろうか?侍女たちの期待を裏切らずに良かった。

メモにはアルマが見てきた序列番号が記載され、お祝いの一言が添えられていた。


「向こうでの生活については追々聞かせてもらうとして、まずは食事にしましょう。  

ところで…契約者の方は何処に?まだ、控えの間という事はないのでしょう?放っておいては可哀想ですよ。呼んで差し上げなさい。私は構いませんよ、貴女の選んだ方なのでしょう?」

「お母様、ありがとうございます。でも、彩は一緒ではないんです。まだ 事情があって、人間界に残っています。」

「どういう…まぁ、いいわ。その辺も食事の後でゆっくりと聞かせてちょうだい。」

 

吸血鬼族の管理地域は主に欧州ということもあり、フランス料理に良く似たフルコース料理に舌つづみをうちながら、アルマはどう彩の事を話そうか考え始めた。 

 

「…で、神の系譜アカシックレコードは見てきたのですか?」

 

うずうず、とはおくびにも出さない表情でドロレスが問う。

ここで話を上手く持っていかなくてはいけない。

 

「ええ、二十九位でした。」

「……。」

「お母様?」


絶句しているドロレスに目を向けると、僅かに紅茶のカップが揺れている。


「二百二十九?…随分、上がったではないですか? 」

「えぇ、お母様…最初はアルマもそれ位は行かないとと思っていたのです。…でも、違うのです。」

「では、百二十九?凄いではないですか?それほどまでとは?」

「いいえ…お母様。」

「…アルマ、何かの見間違いでは?」

「いえ、侍女に確認してもらいました。ね?ナーシャ?」


アルマが後ろを振り返ると、先程紙を手渡してきた侍女が一歩前に出た。

 

「はい、お嬢様は神の系譜アカシックレコードで第二十九位に叙されております。」

 

さも、自分自身の事のように誇らしげに胸を張る。

静謐を美徳とする侍女達に動揺が走る。侍女長が咳払いをするまでドロレスも呆けてしまっていた。


「アルマ、おめでとう。頑張ったのね…こうしてはいられないわ、大公殿下にご連絡をしなくては、心待ちにされているはずです。エルネ、準備を!」

 

ドロレスはナプキンで口元を拭うと席を立ち上がり、長年ドロレスに使える侍女長のエルネと部屋を疾風のように後にしてしまった。

侍女長に付き従い、ドロレス付の侍女達も退席していく。加速魔術を使っているのでばないか?と疑うほどだ。

アルマが呼び止める間もなかった。

 

「あ、お母様…まだ、お話の続きが…。」

 

大公妃が席を外した事で堰を切ったように祝福の声がアルマ付の侍女達から上がる。

曖昧に微笑み返しながら、どうやって話を切り出そうか思い悩み始めるアルマであった。

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