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第十章 斯くして契約は成立す!?

「さぁ、アルマ。心置きなくこのヌメヌメ蛇をやっつけよう!」


彩は左手の虎杖丸いたどりまるを腰の後ろまで引き絞る。八閃流の基本中の基本である初太刀の構え。

生き物相手に構えるのは初めてだ。相手が邪な者であっても生命を奪う行為に彩はどうしても躊躇いを覚えてしまう。自分に本当に切れるのか?自信はない。

蛇神は肩を震わせて、攻撃を受ける構えを見せた。口元には余裕の笑みすら浮かんでいる。

挑発するかのように尻尾の先端を持ち上げてユラユラと左右に振っている。

獲物を前にして品定めをするかのようだ。

魔術かなにかの助力を期待しつつ、アルマを見る。


「ん〜、ちょっと無理かな〜。可憐な少女にはちょっと(。ŏ﹏ŏ)」


あはは、と短く笑って可愛く舌を出して誤魔化す。


「はっ!?アルマ?便利な魔術とかは無いんですか?」

「契約して下僕になったら手伝って上げる…っていうのはどう?」


アルマは少し上目遣いでこちらを見上げる。小学生にしか見えない華奢な身体が可憐に揺れる。

言っていることは無茶苦茶だけど……。


「誰がヌメヌメ蛇ぢゃーーーー!」


耳がキーンとするほどの怒声が辺りに響く。蛇神が怒りでフルフルと肩を揺らしている。

いつの間にか蛇神の腕全体が伸び、指先からは鋭く尖った爪が身体の揺れで地面を削っている。

彩は間合いを見て、半歩後ろに下がる。


「良いところなんだから、もうちょっと待ってて!」


我関せずのアルマが勝手に話をもぎ取る。


「妾はこの湖の緋漣碧禅守である!誰がヌメヌメかぁー!」


心なしか顔色が怒りで赤くなっている。ヌメヌメ改め、碧禅守様がこちらを睨む。


「ってか、何が『もうちょっと』なの?!」


ここ、話の流れ的に一応否定して置くとこだよね!?と彩は緊張感のかける理由で自分を納得させて、ちらっとアルマを見て片眉をあげる。


「彩、ここは男として『緊急事態だから仕方がない』って契約を決意するとこだと思うの。」


アルマはこちらに向き直り、のほほんと返してくる。


「貴様らー。」


碧禅守がプレモーションなく、アルマに爪を伸ばして襲いかかる 。獲物を狙う蛇の跳躍にも似た素早い動きは完全に彩の意表をついた。

彩は抜刀術の踏み込みの要領で、アルマに近づいて腰を抱いて体を入れ替え、転がるように脇へ飛ぶ。

背中に軽い痛みが走る。

あの蛇、結構リーチが長いな。それとも移動速度が見た目より早いか!?

咄嗟に考えつつ、身体を起こして振り返る。

少し背中が痛む。擦り傷のような浅いが複数の傷ができているようだ。


「あ、いたた。彩、もっと優しく。わたくしを押し倒すなんて、百年早いわよ。大体、こんな……と、こで。」


アルマは上半身を起こしながら、彩の背中を見上げた。

大きな三つの爪痕が彩のシャツを引き裂いて、背中から真っ赤な鮮血が吹き出している、破れた白いシャツが徐々に赤に染まっていく。

傷が深くないのに血が止まらないのは爪先から毒でも出ているのか?

彩は注意深く碧禅守に向かい、腰を落とす抜刀の構えを取った。

こうなったら自分で守るしかない。


「かわしたか……人の子よ。」


シャラン。

聞き覚えのある音が鳴る。

彩に向き直った碧禅守は爪先をうっとりとした表情で眺めている。

うっすらと彩の血が付いている。

蛇のような細長い舌がチロチロ覗き、長く伸びたかと思うとその鮮血を掬い取る。

一瞬、碧禅守の身体が膨らんだように見えた。

実際には身体に纏う魔気が脈打つように膨らんだのだが、彩にはよく分からない。

人間の血を糧にしているかのようだ。

予備動作なく碧禅守は彩に距離を詰めると袈裟懸けに鋭利な爪を振り下ろした。

彩は太刀を半ば引き抜いて受けようと身構えた。


「ぐっ。」


しかし、爪は何故か左にズレて鞘の腹で受けてしまう。

鞘を流れるに任せて、左に力を受け流し刀身を抜き放つ。胴を薙ぐはずの刃は空を切り、彩は勢い余ってたたらを踏む。

確かに間合いに入ったはずなのに、何故!?彩は混乱する頭で既視感を覚える。

バランスを崩され、少しだけ身体が浮く。

体勢が崩れた瞬間を狙って碧禅守の尻尾が身体を弾く。

受け身がとれないほどの速さで叩きつけられる寸前、白く痩せすぎな腕が彩の身体を受け止める。

気まぐれなのか、アルマが彩を攻撃から救っていた。

しかし、体重差は如何ともし難く、抱えたものの勢いが殺せず、諸共に白木の大群の中に突っ込む。

灌木が朽ちているが強かに打ちつけられる。


「う。」


アルマが低く呻く。


「大丈夫か、アルマ。」


頭を振り、彩はわんわんなる耳鳴りを鎮めようと試みる。

立ち上がりアルマに手を貸す。

が、いっこうに握り返してこない。

白いワンピースにみるみる赤い染みが広がっていく。


「ア、アルマ。」


慌てて顔を覗き込むと青ざめた表情で片目を開ける。


「ミスったわ。貴方を支えられると思ったど、こっちぢゃ…いつもの魔力マナが出せないんだった。」

後ろを覗き込むと鋭く尖った白木が深々とアルマの脇腹を刺し貫いている。

「だ、大丈夫か?」


『吸血鬼は不死身だー』とか言っていたが、今の表情を見ると本当かどうかは怪しい。


「ちょっと辛いかもね。あっちを早く終わらせて、助けて…ね。あー、もー情けないなぁ。私ってば。」


苦しそうに歯を食いしばり無理矢理笑おうとしているのが分かる。


「死んだら、化けて出てやるんだから。」


苦しいはずなのにまだ笑顔を浮かべようとする。すっとアルマの意識が飛ぶ。

コトンと首がうなだれる。


「お、おい。」


首筋に手を当てるとまだ微かに脈は触れている。気を失っただけだ。

不死身の吸血鬼はなかなか死なないはずだ。今はそう信じることにする。

少しホッとしつつ、状況に変わりがないことを思い出す。

背後から碧禅守の足音ならぬ這音がする。


「ちょっと待ってて。」


アルマの頭にポンと手を置いて、囁く。微かに頷いたように見えたのは気のせいか。

身体が少し熱い。芯にポッと焔が灯ったかのようだ。ともすれば豪火になりそうなそれを感じながら振り返る。

碧禅守はほんの数歩の距離にいた。


「すまない。事情が変わった。

妖魔とはいえ、命あるものを奪うのは正直、気が引けてたのでコレを抜く勇気が持てなかったけど……次で最後にする...もう、護れないのは嫌なんだ。」

「何をいう、人の子よ。」


碧禅守はニンマリと次の一手で喉を掻き切る様を頭に思い浮かべ、悦楽の笑みを浮かべる。

人間には自分の身体は少しズレて映る。尻尾の先の鈴の音が視覚を歪めるのだ。碧禅守はこの技で何百年かの間、人間に一度として敗れることなく生き延びてきた。

自らを頼る者には安らかな死という眠りを与え、『悲恋の結び手』という本人の意図しない栄誉を得ていたが、逆らうものは何百年も前から肉を切り裂き肝を食らって自らの糧としてきた。

人間を血潮を浴びて全身を深紅に染めての食事は格別だった。

それでも人里に降りて行っての殺戮を押しとどめたのは地霊神としての理性だ。

彩はアルマを目の端で確認して、虎杖丸の柄を軽く握る。

視覚には頼らない。軽く目を閉じる。

恐らく見えている光景は蛇神が作り出した幻影か、少し歪められていると彩は考えていた。風城の攻撃が当たらなかったことを体感し、かつ自身も受けた攻撃に違和感で確信をする。

一度収めた鞘の中の刀身が我慢できぬとばかりに今か今かと飛び出してきそうだ。

そう感じる自分に少し驚きながら、彩は八閃流の皆伝の名の一つを口にした。


一閃ひとせん 風刃萊渦ふうじんさいか


風の刃はその間合いを刃が届くより、更に先へと伸ばす。

彩が唯一体得出来ている皆伝の技だ。

碧禅守はどこまで見えていただろう。

目の前にいた人間が風とともに掻き消えたかと思えば、背中でチンっという金属音が響く。

彩が刀を鞘に収めた音だ。

振り返ろうとすると身体が斜めに、意図しない方向に揺れる。

斜めに視界がずれていく、奇妙な感覚を感じていると地面に激突して強かに頬を打つ。

受け身のために腕を伸ばしたつもりが遅かったようだ。

感覚が麻痺している。

人間にも奇妙な術を使うものがいるということか?こちらの世界に伝播されたという新世界の魔術かも知れない。

ボウーっとした頭で自分が何を見上げているのかを初めて認識した。

見覚えのある白い身体は右の肩口から腰にかけて斜めに切り裂かれていた。傷口は細胞が切られたことも忘れたかのように断面をきらきらさせて見せている。

碧禅守は初めて自分が一刀のもとに斬られた事を悟った。

旧世界の住人たる自分は人間如きの弱々しい生き物とは異なる次元の存在のはずだ。古き世界の住人としてそれなりの魔力マナもあるはずである。

自分の下半身の向こう側にいる人の子が纏う魔気が蒼く見える。


「人間にしては……やりますね。」


自分の声がやけにカサついて聞こえる。見上げている自分の下半身が輪郭を失い、細かな光の粒が上空へ吸い込まれるかのように上昇を始めた。

人の子が自分の手の中で命を落とした時も同じ光を見た。天上界へ帰るのだ。


「あぁ、やっと帰れるのですね……。」


碧禅守は自分が涙を流していることに驚きながら視界が光に包まれるに任せて目を閉じた。


彩は光り始めた碧禅守を確認して自分が奪った命に瞑目して謝ると、アルマのもとへ駆け寄った。

脇腹を貫いた白木から広がる深紅の血はアルマの純白なワンピースの下半身をほぼ染め抜いていた。


「アルマ。終わったよ。」


そっと頬を撫でる。

先ほどより体温が落ちている気がする。

ぞわり。

指先から嫌な冷たさが彩を包む。

吸血鬼でも不死ではない……はずだ。白木の杭で心臓を貫かれたら映画の吸血鬼は退治されていた。

この白木も同じような効果で吸血鬼であるアルマを苦しめているにだろうか?

彩はアルマの身体をそっと抱き起こして、傷口がそれ以上広がらないように気をつけながらアルマを白木の枝から解放してやる。

どっと血が彩の右手にアルマの体温を伝える。


「アルマ……吸血鬼姫アルマディータ!」


血は止まったように見えるがアルマはピクリとも動かない。

弱々しい脈動はアルマの心臓がまだ生きている事を伝えている。

何かあるはずだ。

吸血鬼が力を得る方法が。

空回りする頭で彩は必死に考える。

人間界の吸血鬼の伝説は間違いだとアルマは言っていた。

でも、今思いつくのはコレしかない。

彩は自由になる左手の親指で虎杖丸いたどりまるの口火を切ると、親指を押し付ける。

斬れ味の鋭い刀身はぷっつりと親指を傷つけ、珠のような鮮血を表面に浮かべる。

彩は親指をアルマの口元へ近付けて口に入れようとして、手を止める。

意識を失った状態でアルマはこの血を嚥下できるのだろうか?

彩は親指を自分の口に入れて血を吸いだした。

瞬く間に鉄の味が口の中に広がる。

そのままアルマに口移しをする。

アルマのかさかさに乾いた唇を自分ので覆い、血を流し込む。

少し顎を上げて血が喉に行きやすいようにする。

ゴクリ。

アルマの喉が大きく動いた。

その瞬間、水蒸気かと見間違える白い霧二人を包み込む。

思わず驚いてアルマを強く抱きしめてしまう。

腕の中のアルマが身じろぎをする。少し重くなっている感じがする。

霧が薄くなると彩は自分の腕の中で自分を見上げるアルマと目があった。

少女のようなほっそりした、どちらかというと痩せすぎなアルマはもういなかった。

潤んだターコイズブルーの瞳、桜色の唇、十分に魅力的な胸、くびれた腰にすらっとした足まで別人のように成長したレディが腕の中で彩を見上げている。

膝丈のワンピースがミニスカートと化している。


「ありがと!彩…これで貴方は私の下僕よ!」


大人びたアルマはニンマリ笑うとぴょんと立ち上がった。

脇腹の傷口は塞がっているようで、血も乾き始めている。


「え!?は!?」


なんだなんだー、これが吸血鬼本来の回復力なのだろうか?

もしかして仮病とかだったのかー?

彩の頭の中には!と?が飛び交い混乱する。

なんとか立ち上がりまじまじとアルマ嬢を眺める。

小年生から大人の女性への成長を一瞬で遂げたかのような変貌ぶりに騙され感が少し湧き上がる。


「アルマ、その身体って………。」


どこを指差したものかと逡巡し、くるっと円を書いて身体全体を指す。


「これが本来の私。魔力を抑えるためには…ああやって幼い姿で魔力の消費を抑えるしかなかったのよ。

…って、あんまりジロジロ見ない!」


見るなと言う割には『どう?』と言わんばかりに腰に手を当てるが、ミニスカートの裾はキチンと抑えている。小学生と間違えていた自分が恥ずかしい。


「でも、本当に危なかったわよ。白木は吸血鬼の弱点ですからね。魔力マナが尽きたらさすがに無事では済まなかったわ。

でも、彩が血の契約を結んでくれたからあなたの魔力マナも使えるようになって、こっちの世界でも結構動けるようになったわ。ホント!ありがと!彩!」

「えーっと、ご無事で何よりですけど。契約ってことは助けた代わりに下僕契約を結んでしまったということ?…かな?」

「ピンポーン。よし、下僕よ!私を負ぶって寮まで戻る事を許可するわよ。」


はぁー。

彩は深いため息をついてしまう。なにか、人生最大のとんでもないミスをしでかしたのは間違いなさそうだ。


「まだやる事あるからそこで待ってて…って言うか歩けるよね?」

「えー、ケチー。」


アルマは唇を尖らせてブーブー言いながらも地面に放りぱなしの櫻子のところに駆け寄る。怪我はなさそうだ。単に気を失っているだけなので時間が経てば目が覚めるだろう。

旧神は彩が倒したが、操られた影響が残っていないかが気がかりだったのだ。

アルマは記憶を操作する魔術を発動させると櫻子の記憶から蛇神の一件を消去した。覚えていてもトラウマになるだけだ。社の中を捜索中にうっかり寝てしまった事にする。


彩は様変わりした社の中に踏み込んだ。先程とはうって変わって社の中は大きな洞窟になっていた。夢で見た通りの光景だ。

奥に薄っら灯りが見える。近づくにつれて地面がなだらかになっていく事が感じられた。

誰か…言うまでもなく、蛇神がいつも使っている道なのだろう。

翠に輝く鉱石が道を照らしているので洞窟の中でも不自由なく歩く事ができた。奥まった場所には一際天井の高い大きな部屋があり、蛇神の寝床と思われる場所に畳が敷かれていた。

その部屋の最奥には3メートルはあろうかという大きな鏡が置かれていた。不思議と光を反射せず、なにも映してはいない。何かの魔術の道具なのだろうか?まるで何かの扉のようにも見える。

何故か、反射的に虎杖丸を握りしめてしまう。

何に緊張しているのか分からず、辺りを見回すが物音一つとして聞こえては来なかった。

その鏡の下に目的の影を見つけた彩は軽く息を抜いて、力を緩めた。

二人行儀良く並んで横たわっている風城兄妹は血色も良く、彩が念のため顔に手をかざしたがしっかりと息はある。寝ているだけのようだ。

蛇神の催眠だけなら良いのだが。


「すぐに目を覚ますわよ。」


突然、後ろからアルマに声をかけられた彩は悲鳴を上げなかった自分を褒めてあげたかった。

振り返るとアルマは少し険しい表情で何も映し出さない鏡を凝視していた。

やはり何かの魔術の道具なのかもしれない。


「ちょっと手伝って。」


アルマは風城兄妹と鏡の間に入ると彩を手招きした。

彩に向かって手を伸ばしてくる。

思わず、なんだろうとアルマの手を見つめてしまう。


「手…握って。」


何故か耳まで真っ赤にして怒るアルマは少し強引に彩の手を引いた。

アルマの温もりが彩を包む。

空いている右手でアルマは空中に何かを描き始めた。アルマの指先から蒼い絵の具が出ているかのように次々と丸い円と何かの文字が同心円に重ねられていく。


「新しき世より来たりし、アルマディータ=ド=ラ=クールの蒼き血において命ずる。

旧き者は旧き世に、人の理を乱さず、闇にせ…。」


蒼い光が三重になった時、蒼い円は九十度傾き地面と水平となった。

そのまま鏡を中心に包み込む。一際、光が強くなると見る間に鏡がずぶずぶと蒼い円の中に沈み始めた。

鏡の先端が完全に沈むまでアルマは指先を動かさなかった。


「これでよしっと。道は塞いだからもう心配は無いと思うわ。しかし、魔法神具分解がこんなに短時間でできるなんて…私の魔力マナも捨てたもんじゃないわね。」


何やらブツブツ呟いていたアルマは彩と繋ぎっぱなしの手を慌てて離すとプイっとそっぽを向いて風城兄妹にしゃがみ込んでしまう。


ふぅー。


アルマがそっと二人に息を吹きかけるとすぐに二人は身じろぎをしだす。


「あれ?ここは…鈴宮、何してるんだ?」


風城は身体を起こすとキョロキョロと辺りを見回して彩に焦点を合わせる。

すぐに隣に寝ている妹の楓を見つけ、揺り動かす。


「楓…しっかりしろ、楓。」

「啓太…お兄ちゃん。」


楓の方も兄を見つけ身体を起こす。

悪い夢でも見ていたかのように、頭を振る。

パン!

アルマが手を打ち鳴らす。

二人がアルマを見た瞬間、表情が消えてなくなる。


「あなた達は、近道をして帰ろうと旧道を降りたのだけれど、道に迷ってここまで戻って、今からハイキングコースを使って寮まで戻るの。楓さんは足を少し挫いているから気をつけてあげてね。

足は明日の朝には何ともなくなっているわ。」


アルマの指先がクルリと丸を描く。

きっとこれが魔術なのだ。

何となく彩はそう理解した。

風城兄妹はゆるゆると立ち上がると楓を支えるようにして外に出て行く。


「便利だけど、怖いな…その催眠術みたいなの。」

「いちいち説明するのも面倒でしょ?それとも二人を助けたヒーローになりたかった?」


いたずらっぽく笑うとアルマも立ち上がり、彩を促して外へ向かう。

先程よりも洞窟の中が薄暗くなった気もするが、目が慣れてきたという事かもしれない。


「さぁ、早く出ないと次元の狭間に取り残されるわよ。もう、接点は切ったから目的の無くなったココは自然消滅するから、グズグズしないでね。」


恐ろしい事をサラリと言ったアルマは足早に彩を置いて行こうとする。


「ま、待っててば。」


慌てて追いかけて無事に湖の辺りに戻る。風城兄妹はトボトボとハイキングコースの方へ向かっている。

一先ずは一件落着なはずである。

アルマが社の扉を閉めると社を包む紫色の光が消え、辺りの空気が変わったように感じた。

もう一度開けて確かめなくても、中はもうあの狭い部屋似戻っている事が想像できた。

彩とアルマはまだ横たわったままの櫻子の元に戻る。


「さて、ここから歩いて帰るのも、問題だわね。」

「え?なんで?まだ、歩けるよ!」

「私達の格好を見たら大騒ぎされると思うわ…。」


彩は自分の姿を見下ろす。シャツは破れ、血まみれだ。思い出すと背中がズキズキ痛む。

一方、アルマも脇腹から下が血に染まっている。しかも、中途半端にピチピチのワンピースの一部が破れて泥だらけとはアルマの証言次第では彩は犯罪者にすら、なり得る。

アルマの要らぬ悪戯心を刺激しなくても良いだろう。


「それに櫻子に説明するのも大変よ。彼女は案外魔力マナが強いから暗示も効きにくいしね。

まずは彩の部屋に戻りましようか?」

「話が見えないんたけど、どうやって?」

「取り敢えず、櫻子を抱き上げて。」


言われるがままに横たわっている櫻子を落とさないように気をつけながらお姫様抱っこする。左手の虎杖丸が当たっていないかが心配だったが何とか上手く出来ているようだ。

本人の意識がないので確認しようもないが。


「あんまりくっつかないの…どこ見てるのよ。変なとこ、触っちゃだめだからね。」


何故だがご機嫌が急降下しているアルマにどぎまぎしながら、彩は言うとおりにする。

アルマの指先が彩の肩に触れた瞬間、軽い目眩がした。


「ゆっくり歩いてね。」


耳元で囁かれたかのようにアルマの声だけが頭の中に入ってくる。

彩はアルマに言われた通りに一歩一歩ゆっくりと慎重に進んだ。


「あれ?なんで?どーやって?」


景色が流れるように後ろに飛び去る。

気づけば自分の部屋の前に立っている。


「不可視と加速を組み合わせた術式でね、周りからは見られず高速で移動できるようにしたの。

これでも高等魔術なんだぞ!」


良くわからない説明に只々頷くだけの彩であった。

吸血鬼の契約にクーリングオフは効くんだろうか?

こんな非日常が日常になっていく危険性を目の当たりにして彩は真剣に悩み始める。


「取り敢えず、櫻子をベッドの上に寝かせて、着替えたら?私も着替えてくるわ…帰って来るまで変な事しちゃダメだからね。」


彩の部屋の扉を開けながら、アルマは悪戯っぽくニヤリとするとそそくさと自分の部屋に戻って行った。

あの姿ではアルマをアルマとは認識できないのではないか?と心配してしまう。


一先ず、櫻子を自分のベッドに寝かせる。髪からふわりと花の薫りのコロンがした。少し、別の意味でくらくらする。ソコは一応、健全な男子である。

ピリピリする背中の痛みで我に返り、慌てて離れる。

シャツを脱いでまじまじと背中の部分を見る。背中は大きく裂け、血塗れであった。

良く無事だったなと改めて思う。


「こほん…自分の筋肉美に見惚れている所、悪いんだけど。」


気づくとアルマが元の小学生姿に戻って、まっさらな白いワンピースを着て立っている。

少し息が荒いのは慌てて走って来たのだろうか?


「今はこの姿でいる為に魔力を抑える方が辛いかな。ま、そんな話は後に取っておいて…耳貸して。」


クイクイっとアルマは彩を指先で呼ぶ。何事かと彩が顔を寄せる。


「彩、助けてくれて本当にありがと…そして本当にごめんね。貴方が悪いんじゃないってことは私がよ〜く分かってるからね。(^o^)」


一瞬、アルマの唇が彩の頬に触れた。

その後…部屋に大きな音が響き渡る。

パッシ〜ン!

目から星が飛ぶという話を実体験しな がら彩は現実を理解できなかった。


「え?なに?」


その音で櫻子が起き上がる。


「あ、櫻子お姉ちゃん!起きたのね…彩の裸を見て気絶しちゃうから、私が代わりにお仕置きしておいたわ。」


アルマの指先が櫻子の目の前でくるりと丸を書いた。


「開けたらいきなり裸でいるんだもの、驚くわよね?お姉ちゃん!

まあ、ベッドまで運んでくれたのも彩だし、私がお仕置きして置いたから許してあげてね。」

「え、あ、うん。でも、私達が勝手に部屋に入ったんだから…その、一方的に鈴宮君が悪いって言うわけじゃ…。」


どうやら記憶操作ではなく、すり替えをしているようだ。

自分の部屋に入ってからの状態を別ルートで再現しているようだ。

だがしかし、理不尽だ。

じんじんする頬とズキズキする背中に板挟みになりながら彩は話の行く先を傍観していた。


「全ては寝坊してた彩が悪いって事で。櫻子お姉ちゃんは悪くないからw」

「えーっと、講義…聞きに行く?行くなら、ちょっと服着たいんだけど。」


彩は引き攣る笑顔を崩さないようにドアを指し示す。


「さっさと着替えてね。行こ!櫻子お姉ちゃん!」

「う、うん。鈴宮くん、じゃあ教室でね。」


ちっちゃいアルマは小悪魔の笑みで櫻子の背中を押しながら部屋を出ていく。


「吸血鬼界にクーリングオフ制度ってあるかなあ。」


彩の呟きはすぐに自分の溜息にかき消された。

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