第一章 斯くして魔族は忍び寄る
「歴史は語る。そして、繰り返す。
しかし、それは勝者の言葉であり、勝者から見た史実である。
歴史の裏側には敗者の史実があり、勝者の歴史が必ずしも正しいとは言えない。」
手を引かれてゆっくりと広い本が並ぶ部屋を歩きながら、頭の遥か上の方でぼそりとそう呟かれた一言が耳に残っている。
手を握ってくれていたのは誰だったか?
本棚に綺麗に本が並ぶ中、大きな不気味な鏡がポツリと立っているのを覚えている。
放射状に伸びる本棚の列の中心にその鏡はあった。
モスグリーンのビロードの飾り布で覆われ、鏡を見ることは出来なかった。
金色の鎖がグルグルと巻かれており、中を伺い知ることは出来ない。
が……何故、鏡だと知っているのだろう。
夢は混濁した記憶を綯い交ぜにして、暗闇に落ちていく。
失われた記憶の断片は夢の中の深層意識下では再現している。
代償として失った、あの記憶は決して思い出すことは出来ないけれど。
真夏の熱気もこの高原までは届かず、開け放った窓から爽やかな昼過ぎの風が通り過ぎる。
風は青年の手の中にある本のページをめくろうと薄い1ページをはためかせる。
今、正に棺桶で眠る吸血鬼の心臓に向けて白木の杭が打ち込まれるシーンで本のページは止まっている。
読み手がページを進めないことに本が苛立ち、青年の手の中で身悶えをして急かしているかのようだ。
持っている当の本人は図書室のリクライニングチェアで午後の昼寝を満喫している。
後ろでまとめた肩までの黒髪が、本のページに合わせて風に微かに揺れる。光の当たり具合では蒼みががってさえ見える。
リクライニングシートに繋がるサイドテーブルには読みかけの本が積まれている。
魔女狩りの歴史の中で登場する教会の迫害を受けた吸血鬼と呼ばれた化物は本当にいたのか?
逆に教会への信仰を強めさせる為の作り話として利用されているのではないか?
教会は言わば歴史の勝者。
その彼らが残してきた書物に登場するのだ。勝者の論理で書かれている可能性は十分にある。ひたひたと分からないように民衆の間に浸透させて行ったのかもしれない。
さまざまなオカルト本や教会の歴史書を読み比べて、実際に何がおこなわれてきたのかを読み解こうと図書室中の中世の歴史本をかき集めてきたが、連日の夜更かしが響き、午後の風が余りに気持ち良く、あっさり長い瞬きをしている。
軽い寝息も聞こえるが、本人は激しく否定するだろう。
「鈴宮 彩!授業をサボって何をしているの!」
人気のいない図書室の中に硬いアルトの声が響く。
本人は腰に手を当てて、ビシッと人差し指で青年を指しているのだが、指された本人に意識は戻っていない。
無反応で一人放って置かれる形となった少女。
真っ赤なリボンでゆったり結われている肩までの髪が微かに風に揺れる。
「なんで、授業サボっている人が私よりも良い点数取ってんのよ!」
恥ずかしさで独りごちた最後の方はモゴモゴと口の中に消えて、声にはならなかった。
少しいらだたしげにリクライニングチェアを蹴飛ばす。
ゴン!
思いの外、大きな音がしてしまい心臓がドキッとする。
ちょっとはしたなかったかな?と慌てて周りを見回して誰にも見られていない事に安堵する。
一番は目の前で寝ている青年に気づかれたくなかったのだが。
その振動で鈴宮 彩はゆっくりと瞬きをやめた瞼がゆっくりと開き、焦点を結び始める。
「……あれ、寝てた?」
慌てて手の中の本のページをめくる。
文字を目で追うと、さっきまで読んでいた光景が頭の中で蘇る。
ふと視線を前に戻すと、誠桜学院一の才女と謳われる鷹司櫻子が腕を組みながらこっちを睨んでいる。
「こんにちは。えーっと、鷹司さん。」
鈴宮彩は何かと言うと突っかかってくるこの子が少し苦手だった。何がそんなに彼女の気に障っているのか自分では分からない。多分、彼女の名前は間違っていない…はずだ。
「2年2組 鈴宮 彩。なんで、授業をサボって図書室にいるの?」
君だってここにいるじゃないか……。
考えていることが口をついて出るのは昔からの悪い癖だ。
「君は?」
「私は学級委員として、探しに来たんです!」
少し語気が荒く、顔色が上気している。
生徒会副会長にして、学級委員。そして、学年2位の才女にして同じクラスの優秀者向け特別夏期講習会の選抜者。
授業か……なんの科目だっけ。ああ、確か……。
「数学の時間か。でも、夏期特別講習って参加自由な自習のようなものだし……。」
学院の各学年の成績優秀者トップ三十名を選抜クラスとして2週間、夏期特別講習と称して学院の保有する高原寮に招待する。費用は学院持ちだ。
有名大学への進学率の向上と、学業意欲の向上が建て前の目的だ。
『勉強を頑張るとご褒美に避暑地にタダで行けますよー!』と言うのが学院の陰の売り文句だ。
自習が基本なのだが、成績優秀者は殆ど全員が学校に推薦されたプログラムに参加している。勿論、自分で組んでも構わないのだが学校側推薦のに出席しておけば無難だという意識が他のみんなの中には多分に働いている。
1年の時にも参加したが、ここの図書室は歴史書が多くて、時間が足りないことこの上ない。
講習期間の殆どを図書室で過ごしてしまう自分とは大違いだ。
「な…自習といっても選抜クラスなのだし、参加すべきじゃないかしら。」
「……ふーん。それは……うん、ありがとう。」
まったく、なんと言ったら良いのやら。
「初日からサボるなんて、良い度胸ね。学年トップの余裕かしら。」
「吸血鬼って教会の作り出した作り話だと思う?」
教会が信者数を増やして、その地位を固めたい時に、都合よく吸血鬼のような異質な者たちが登場している。まるで台本があるかのように。
聖書に記載されているイエス・キリストの誕生でも、中世で教会がその立場を確固とした時にも教会に都合良い様々な事柄が起こっている。
後世の作り話にしても都合が良すぎる。穿ち過ぎかもしれないこの考えがぐるぐると回る。
でも、なんで圧倒的な力を持つ吸血鬼達は教会に駆逐されて行ってしまったのだろう?
人数が少ないから?
昼間は動けないから?
寝ている時は無防備な事は分かっていたろうしなあ。
でも、誰が弱点を教えたんだろう。
本当は教会側と共謀して、ペストの流行で不安になっていた人心を他の恐怖の対象に向けることで、逆に心の安寧を図っていたんじゃないだろうか?
後世の勝者は間違いなく教会だ…でも、吸血鬼も何かを得ているとしたら?などと考えてしまう。
まだ、寝起きで頭がぼーっとしているので思ったことを考えもせず口にしてしまう。
「鈴宮 彩!2年の教室へ行きますよ。」
呆れ顔の学級委員は腰に手を当てて、目で立つように睨んでいる。
「えー。いいよ、ここで……。それにほら、もうすぐ授業も終わる時間だし。」
壁の時計は初日のプログラムがあと少しで終わる事を示していた。
食後の昼寝を満喫しているうちに都合良い時間になっている。
さすがに勉強詰めということはなく、朝8時から午後2時までが基本プログラムで、それ以降は任意で授業を組み合わせることができる。
去年は空いている時間で3年のクラスに潜り込んでみたが、あまり面白くはなかった。特に目新しいものは発見できなかった。
人によっては午後5時までびっしり受講プログラムを組んでいる人もいるに違いない。
もしかして、目の前のこの子も…そういうタイプかな?
「ごめんね、鷹司さんの時間を無駄にさせてしまって。」
予想外の返答に目を丸くしているのがよく分かる。
「!」
「ちなみに色々探したの?ここは去年見つけた特等席なんだけどな。」
図書室の少し奥まったところにあって、見つかりづらいし風通しも良くて特に午後には気持ちよく昼寝も…瞬きもできる。
「好きにすればいいわ!」
学級委員は最後に何かを言いたげだったが、諦めたのかクルリと背を向けて出て行こうとする。
「ありがと。」
後ろ姿からも耳の先が赤くなっている事が分かる。
はぁ…怒らせてしまった。
読みかけの本に目を落とす前に、申し訳なく思い、その背中に声をかける。
学級委員というもの大変なんだな。
自分に回ってきた時には丁重にお断りしているだけに、少し罪悪感がある。
でも、折角の至福の時間。ここで邪魔されたくはなかった。
その時、ざらっとした感覚が突然全身を包む。
音ではない、空気の圧力のような圧迫感を感じる。
あえて言うなら触感だろうか?
ブツブツの皮が肌を撫でていく感覚。
悪寒とは明らかに違う。毛が逆立つような感覚。
目の前が暗く感じるほど濃密な空気を感じる。
何か来る。そう思った瞬間。
グラリ。
大地が揺れた。
地震!?隕石でも落ちたのかと思ったが音もなく、ユサユサと揺れる様はこの地方には珍しくも地震っぽい。
「きゃ。」
学級委員は驚いた弾みで、座り込み本棚にしがみついている。
蔵書数ではこの地区有数だろう図書室だけに、棚は高いところまである。ふと見ると本棚の上の方から大好きな中世の歴史書が落ちかけている。
危ない!
飛び起きて、学級委員に覆いかぶさるように身体で盾を作る。
我ながら良く間に合ったと思う。
…ゴテ。大きな音を立てて本が頭蓋骨と衝突して、床に落ちる。
目の前に星が飛ぶのを目の当たりにしつつ、思いの外の痛みが頭部を襲う。
ホントに星が見えるんだ、などと思いつつ。ページが破れたり、汚れていませんようにと別の事を祈る。
自分の心配ではなく、落ちてきた本の心配をしている事が分かったら、また学級委員さんは一言、二言何か言うに違いない。
ここは黙っておくことにしよう。
揺れはようやく収まってきたが、頭はまだズキズキしている。
タンコブくらいはできたかも。
「やっと収まったかな?…大丈夫?鷹司さん。」
下を覗き込み、存外に近い距離にある学級委員の顔を見ながら確認する。
「あ、うん。」
怖かったのだろう、ちょっと涙目になっている。
天災ってのは突然だしね。
寝ている時の地震ほど質が悪いものもない。突然、叩き起こしておいて余震などの名残りも残しつつ去っていく。
立ち去られた方は心配でなかなか寝付けなかったりする。
落ちている本を拾って、傷ついていなことを確認して棚に戻す。
何にせよ本が傷つかなくて良かった。
再び視線を 下に戻すと、学級委員はまだへたり込んでいる。
「立てる?地震結構、大きかったね。」
彼女はおずおずとこちらに手を伸ばしてくる。
握手…なわけないか?
紳士よろしく引っ張り起こして差し上げる。
「ありがと。護ってくれて。」
「一度、寮に戻ろう。」
自分に呟く。
そういえば荷物も解かず、午前中の歴史の授業に参加したのでちょっと部屋が心配になってみる。
お気に入りの本が傷ついてないといいのだけれど。
手に持ったままだった自分が読んでいた本を元の場所に戻して、寮に向かおうとした。
右手がぎゅーっと引っ張られる。
え!?
櫻子が手を離そうとしなかったのに自分だけ動いたので手だけが置き去りになったのだ。
一瞬、櫻子と目が合い見つめ合う。
ハッと我に返った櫻子が慌てて手を離す。
「わ、わー、たしも寮に戻ってみるね。部屋が気になるし。」
「はぁー。」
我ながら間抜けな返事だということは自覚しつつ、櫻子と並んで歩き始める。
櫻子の事は美人だとは思うが、彩としてはあまり恋愛などに興味があるわけではないので一緒にいるからといって何を意識することなく、歩いていた。
人が嫌いとか言うことではないが、積極的にこちら話をするより聞いている方が多いと思う。
コミュ障ではない・・・ないはずだと思っている。
しばらくすると構内放送で、寮に帰り自室待機になる旨の指示が出た。授業や自習室など所在がバラバラなので寮の方が点呼がし易いという判断らしい。
今までいた図書室を含む自習棟に隣接して寮は建っている。各自は夏の講習期間中は個室を与えられると言う豪華さだ。中身は質素そのものだが机とベッドに冷蔵庫にクーラー、インターネットも完備である。食事も朝昼晩と出て来る。
まさに至れり尽くせり!
その点は学期中の本校舎の方でも同じではある。
誠桜学院は国内有数の進学校であり、遠くからわざわざ入学して来る生徒も多数いる。
学院側も優秀な生徒確保に必死になっていて、通えないような遠隔地から入学して来る優秀な生徒は特待生待遇で学院側が寮を準備しているのだ。
彩の場合には、特待生ではあるが身寄りがないという点で寮住まいをしている。
育ての親代わりの鈴宮巖志郎は寡黙な人だった。
早くに息子夫婦をなくし、行き倒れていた彩を拾って育ててくれたのだ。
鈴宮家の家の前で行き倒れていたのは6歳くらいだったと聞いている。
巖志郎に拾われるまでの記憶がないので正確な歳が分からないのだが。
その辺は適当に巖志郎が当局に届け出をして、生きていくのに困らないようにしてくれたのらしい。
戸籍上には養子という扱いのようである。
ただし、誕生日は拾われた日であるという適当ぶりだ。
細かな事情まで理解していないが、巖志郎はその筋には顔が効くのか、手続きでゴタゴタした覚えはない。
見知らぬ大人の人がやって来て、一言二言質問に受け応えをしたら、全てが終わっていた。
今にして思えば児童相談所やら役所の人だったのだろう。
鈴宮家は剣術と古武術を組み合わせた八閃流武術道場をやっていた事と関係があるのだろうか?
しかし、彩の記憶がある限りは門下生は一人もいなかった。
たまにふらりと出かけていたので、出稽古をしていたのかもしれない。
この学院の理事長がその昔は門下生であった馴染みでこの学院を選んだ。
もちろん、キチンと受験して2位の成績で合格しているので裏口などではない。
因みに1位は隣を歩く櫻子だったりする。
彩が高校1年生の時に巖志郎が亡くなった連絡があったが、それは四十九忌も明けての事であった。
突然、知らない名前の人から届けられた小包に添えられた短い手紙に事の次第が書かれていて初めて知らされたのだ。
遠い親戚がわんさかと出てきて、遺産やら土地やらを処分して分配した後で拾われ子の彩に連絡があったのだ。
遺産相続の候補者は一人でも少ない方が良いし、まして血のつながりのない者をわざわざ入れて、引っ掻き回されたくないという思惑だったのだろう。
小包には三年分の学院の授業料を払っても余るくらいの金額の預金通帳と一振りの刀が入っていた。古美術商も買い取らなかったのか、何か形見の品でも渡して置かなくては寝覚めが悪かったのか。
手紙には「木刀」は形見分けだと書いてあったが、良く見もしないで送って来たのだろう。
その刀は道場の神棚に飾られていた物だった。
銘を虎杖丸という。
魔物を絡め取ると言われる古い物語に出て来るのと同じ名を持つそれは巖志郎が特に大切にしていたものだった。
稽古の時だけには触らせてくれたがそれ以外は神棚に祀られていた。それでも出稽古の時には必ず持参していたのを覚えている。
手紙を見て、虎杖丸を片手に鈴宮家に走った。
家があった場所は既に綺麗に整地されていて、面影などキレイさっぱりなくなっていた。
寂寥感なのか、何もない空き地を見ながら涙が止まらなかった事を覚えている。
彩が哀色の思い出に浸っている間に寮に到着した。
入り口のエントランスで入退室管理システムに学院証をかざすとピッという小さな音と共に自動ドアが開く。
これでサーバー上に鈴宮彩が寮に戻った事になる。
因みに自室のカードキーにもなっていて自室にいるかどうかも分かるシステムになっている。
これが全員を寮に戻して点呼するという意味だ。
機械がやるので楽だし、個人単位で登録するので名前や数え間違いがない。教師達も楽ができるというものだ。
食堂の脇を通り抜けると左が男子寮、右が女子寮と分かれる。
「す、鈴宮くん!あの、ありがとね。」
櫻子はそれだけ言うと小走りに自室の方に駆けていく。
「あ、あぁ…。」
何とも間の抜けた彩の言葉が虚しく霧散する。
彩は2階の自室へ階段を昇り、出入口と同じように学院証をカードキーにして鍵を開け、何もない部屋に入った。
白で統一している室内は掃除が行き届いており、チリひとつ落ちていない。
これも寮監の由乃さんのおかげだ。
移動のバスが到着した時に挨拶があったので覚えている。
小柄な女性で、ニコニコとしながら、子供の年齢くらいの私達に「お勉強頑張ってね」とか、「転ばないようにね」などと話しかけていた。
運動部系の合宿にはよく使われているので利用頻度も高いのだろう。高校生とはいえまだまだ子供な我々の扱いには慣れている感じだ。
地震の影響はベッドの上に広げた本が少しお行儀悪く、散らばっているくらいのものだった。
一先ずは安心した。
勉強机の上においてある地球儀を半分に割ったような半球形に突き刺さった棒付きの飴の中から適当な一本を手に取る。30個ほど半球を鍼治療のように突き刺しているそれは彩の数少ない贅沢の一つだ。様々な色合いの飴がそれぞれ別の味を楽しませてくれる。おそらく同じ味はない。今回はどんな味なのか毎回心の踊る。
その他の荷物はあまりない。基本的に制服で過ごせば良いので服などもそれほど持ってきている訳ではない。
(カモミールオレンジティー味…微妙にハズレ?)
彩は苦笑しつつ舌の上で飴を転がす。
枕元に置いたシングルベッドの幅程もある円筒形の筒も特に異常は見当たらない。鞘のままでは目立つので手頃な細長いスリングバッグに入ったそれは私物の少ない彩の大切なものだった。
虎杖丸。
寮の自室に置いてきても良かったのだが、自分の唯一の私物らしい物なので常に持ち歩いていた。
ベッドに座り、チャックを開けて白木の日本刀を取り出す。
育ての親の巖志郎が奥義と呼んでいた八閃流の八つの型は閃技と言う名で呼ばれ、拾われた時から何度も繰り返し実践し、彩の身体に染み込んでいる。
突き技、抜刀技、切り返し技などの組み合わせで型の名を呼んでいた。
装飾など一切ない白木の鞘と柄。一見すると地方のお土産屋で見かける木刀のようにも見えるが、彩がスラリと音もなく引き抜くと淡く紫に燿る刀身が顕になる。
珍しい色合いだと今でも思う。別段日本刀に詳しい訳ではないのだが、この色は聞いたことがない。
明日は早起きして、朝の鍛錬をしなくてはと心に決めて刀身を戻す。
地震の被害もそれほどないようだし、心配しなくても良さそうなどと思っていると外が騒がしく、生徒が徐々に帰って来たことを知らせていた。
彩はお気に入りの本の一冊を手に取るとそのままベッドに倒れ込んだ。
昼寝起きというのも変だが、まとわりついていた眠気が再び彩を包み込むまでそれほど時間はかからなかった。
規則正しい寝息と共に真夏の高い太陽はゆっくりと西の空へ沈んでいく。
「ここ…みたいね。」
まだあどけなさの残る金髪の少女は小学生と言っても通じそうな痩身でトテトテと学生寮に向かって歩きながら、ポツリと呟く。
太陽は少しだけ傾いているが、まだまだ陽射しは強い。
自慢の白い肌が焼けてしまう。本来なら再生能力でそれすらも復元できるがこちらでは魔力の拡散がそれを妨げている。
どうせならもっと近い所に出れなかったのだろうか?
まあ、転移を行う鏡の呪文は気まぐれとも聞くので何らかの魔力を感じられる場所に出ただけでも幸運と思わなくては。
自分を慰めながら歩くが、「はぁ〜」と我が身に溜息が出る。
何だってこんなにちっこくなっているの?
超ミニだった水色に白いフリルの襟がついたワンピースは今やロングスカートの様相である。引きずらないかが心配なくらいだ。
魔力消費を抑える魔術がかかっているとは言え、もう少し何とかならなかったの母上…?
ブカブカになった真っ平らな胸元を寂しげに見て、少し涙目になりつつ先を急ぐ。
ここの部分はもう少し女子を自己主張しても良いのぢゃなくて!?
特別な魔術で自分をこちら側に送り込んだ母親の顔を思い出す。
見つけたらすぐに契約して帰るのだ。
一刻も早く。
愚痴りながら歩くと目の前に白い建物が現れる。掴みづらいが確かに大きな魔力の持ち主がいる。
アルマディータはそう確信した。
まずは人間界に上手く潜り込まなくては。
「あら、どこの子かしら?」
柔らかな女性の声が厨房の裏手からした。
天の配剤…自然と笑みが溢れた。
にやり。
子供には似つかわしくない笑みはすぐに無邪気な少女のそれに取って代わった。
「お姉さん、お名前は?」
無邪気な子供の笑顔が警戒心を解く。
「私は、『由乃』と言うのよ。」
名前を応えた。
「そう…由乃というのね。」
言葉が文字となってアルマに届く。
(由乃というのね。)
改めて心の中で呟く。
一瞬、アルマの瞳に灯った紅い焔のような色は瞬きと共に消える。
「お祖母様、ご無沙汰してます。」
スカートの左右の裾を持ち上げ、優雅に挨拶をしてみせる。小さな頃からの宮廷仕込みの仕草が可憐さを2割程増してみせた。