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 澤村と光は家を出た。陽が落ちる前で、世界はまるで赤いフィルターを貼り付けたかのように染まっていた。澤村と光は手を握っていた。光の握られていない方の腕には、金属バットが握られていた。澤村ではなく、彼女がそれを持つ事になったのは、ひとえに彼女の腕が機械化している為に、常人よりも力が強い、という事でもあった。二人が共に金属バットを持つ事も考えたが、ただでさえ暗闇の中で周りが見えないのだ、二人が共に暗闇の中で金属バットを振るうのは危険な事だった。


「帰ってきたら、ご飯を作ってあげる」と光は言った。光の料理はあまり美味しくない為に、澤村がそのほとんどを作っていた。


「そういう事を言ったら、帰れない物なんじゃないのかな」と澤村は笑った。「でもま、楽しみにしとく」


「上手になるからね、これからもっと。レパートリーも増やすよ」と光は笑った。「その為には、何度も作る回数を増やして、失敗を積み重ねていかないといけないんだから。


「つまりその積み重ねを食べろという事?」と澤村は聞いた。


「そういう事」


 二人はその道にやってきた。澤村がシキに襲われた道だ。曲がり角まで来て、二人はお互いの顔を見て、手を繋いだままその曲がり角の先に向かって歩き、暗闇降りていく事にした。そこに入るなり、二人を唐突に暗闇が襲った。




 周囲は何も見えなくなった。闇に吸い込まれていくように、すべての視界が奪われる。何もない宇宙空間のような、もう何度も感じてきた感覚が、澤村を襲った。


 ふと彼は、先程まで握っていたはずの光の手の感触が、自分の手に感じなくなっている事に気づいた。彼女はこの暗闇の中で、澤村から真っ先に剥ぎ取られたのだ。澤村は光の事を思った。大丈夫なのだろうか。暗闇の中、彼は薄れていくように剥がされていく自分の肉体を感じていた。何もない空間の中にそれらは消えていく。澤村の中にある無の部分と、外面にある無は共鳴するかのように惹かれ合い、お互いを理解するかのように求め合う。無と無は互いに求め合い、内外の無は澤村という存在を消そうと広がっていく。


 澤村はそれが消えていくのを眺めるように見ていた。不思議と不安を感じる事もなかった。怖くはあったが、惹かれ合いは自然な流れのように彼の目に映った。彼は一面ではその無と無がお互いを求めるように手を伸ばし合う事を理解していた。


 そして澤村の肉体という容器は、内と外の闇に飲み込まれて消えた。





 何もなくなった空間の中、澤村仁人という人間を澤村たらしめる物はなくなった。澤村は思った。どうすればいいのだろう。


 男が言った事を思い出した。


『孤島を思い浮かべるのです』


 光の言った事を思い出した。


『にひとはにひとの心の中に、孤島を持つべきなんだと思う』


 何もない空間だった。


 澤村は何もなくなってしまった空間の中、孤島の事を思った。装飾された物がすべて剥ぎ取られた中、暗闇の中に、孤島だけが残った。何もない空間の中に、考えとして孤島だけが残った。そして澤村は、その孤島を持って暗闇の中に澤村がいるという事を証明している事に気づいた。物でもなく、実在する物でもない孤島。澤村は孤島を思う事をやめない限り、そこに孤島があり続けた。


 そして澤村は自分が孤島になっている事に気づいた。孤島は澤村にとってもう枠ではなかった。それを信じる限りにおいて、孤島は澤村だという事に、彼は気づいた。


 暗闇はそれでも澤村に問いかけようとする。暗闇はシキの形をした物体になり、孤島になった澤村に話しかける。


「本当にそう思ってます?」


「何が」と孤島は答えた。


「私に言った孤島を、にひとさんは自分で否定したんですよ。


「そうかもしれない」と孤島(澤村)は答えた。「でも、その孤島を思う事こそが、俺なんだ。孤島が俺だったんだ」


 と澤村は言った。澤村が孤島を思う事こそが、孤島で、澤村だった。澤村はその限りにおいて、決して無にはならない。


「何それ」とシキの形をした暗闇は言った。


「確かに、孤島は向かう場所ではなかった。でも、向かう場所としての孤島を思う俺は俺なんだ。俺は空っぽじゃない。孤島を思う俺こそ孤島なんだ。僕は僕でいていいんだ!」(おめでとうコール)


「何を言っているんだか」


「だから、俺はお前じゃないんだ」と孤島は言った。


「確かにある意味においてはそうかもしれない」


 と暗闇はその形を崩し、元の暗闇になった。その声は、以前暗闇の中でかけられた、どこかで聞いた声だった。澤村はその声の正体に気づいた。それは澤村の声自身の声だった


 闇は澤村に形を変えていった。澤村になった暗闇は、孤島になった澤村にいう。


「だけどある意味においては、君は僕だ。そしてその方が、多くの割合を占めている。ほとんど君と僕は一緒だ。違う部分というのは、本当に一部分でしかない」


「確かにそうかもしれない」と孤島は言った。「でも、一部分であったとしても、確かにある意味においては違う。それは確かだ」


「いつにだって暗闇はある。最終的に勝つのは暗闇だ。夜の本質は暗闇でしかないけど、昼にだって陰はある。物事の本質は暗闇だよ。いつだって、いつだってだ。君は暗闇と自分が同じだという事に耐え切れなくなるだろう。騙し騙しやったところで、それに勝ち続ける事なんて出来ない」


「それでもなんとかやっていくさ」と孤島になった澤村は言った。


「どんなに虚構の光を作っても、いくら君が闇の中でどんな物を持ったとしても、それは簡単に君の手から離れていくだろう。ある時君は手にした物を簡単に失っていく。その前の日まで強固でしかなかったものを。君は気付いている。信じている事自体も無駄でしかない事を



「それでも、俺はしがみつく。俺自身が孤島なのだから」


「きっとその孤島も消えるだろう。今の闇はもうすぐ終わる、君が擬似的に暗闇の中で作ったその場凌ぎの光がこの闇を壊す。でもすぐにまた次の闇の中に君は迷い込む事になる。そのまた次の闇だって、いつか必ずやってくるもので、君を飲み込むだろう。それらに君は、君の言う孤島は、いつか必ず壊されてしまうだろう。何度でも夜はくる」


「でもその分朝はやってくる」


「そして昼がきて、夕方がきて、夜がくる。朝まで人工的な光を使い続ける事なんて出来ないだろう。電球はいつか必ず消えるように。いつか君は簡単に、その背骨を折ることになる。それは別に夜ではないかもしれない。お昼前のちょっとした時間に、その暗闇の中で君は簡単に折れるよ。そんな孤島幻想にしがみついたところで。何度でも何度でも闇はやってくるというのに」


「なんとかやってみせる」と孤島は言った。「折れたらそれはその時までさ。折れるまではしがみつく。何度でも塔は立て直すよ」


「なるほど、見ものだね」と暗闇は言った。「楽しみだ」 




「光!」と澤村は何も見えない中叫んだ。


「大丈夫、ここにいる」と光は言った。見えない空間でいた。


 光は闇の中で、金属のバットを振り回した。そしてそれが、何かを壊した。




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