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 光と買い物をしていた、その買い物から帰る時だった。


「お久しぶりです」あの男だった。


「こんにちは」


「今、お話できますか?」


「いいですよ……光、先帰ってて」


「にひと」


「大丈夫だから」と澤村は言って、彼女に荷物を渡した。


 澤村と男は三度喫茶店へと向かった。


「にひとさん、ですか」と男は光の言葉を思い出しながら言った。


「なんですか」


「いえ、面白い呼び方をしているんだな、と。仁人さんだから、ニヒトですか。実に面白い。今のあなたも、この間会った時と少し違っているように思える」


「あなたは変わっていないように思える」


「そうです。私は変わっていない」と男は言った。「いきましょうか」




「実はですね、今日で最後にしようと思っているんですよ」


「何をですか」


「あなたを勧誘するのをです。いつまでも可能性の無い人間を勧誘し続けるのも非効率的ですし、あなたの方としても、このような醜男に何度も絡まれたところで、気持ちのよい物でもないでしょう」


「そんな事は……」と澤村は言った。


 男と話す事は嫌だと思わない部分もあったのだ。それは本当の事なのだ。


「澤村さん、最近何かがありましたか」


「え?」


「何かを失くした。そんな気がします。これはね、私の感に過ぎないのですが」


「確かに、そうですね。はい、失くしました」


「やはり」そう男は言って、手を組んだ。「以前にお話した時、あなたは孤島を信じられない、と言いました。それに対して、私共は確か、何を信じたところで無を知っているのなら、それはもう何も信じられないと言ったのを、覚えていますか?」


 男の喋り方には、幾分かくたびれた感があった。以前までの話し方と決定的に違った。


「はい、覚えています」と澤村は言った。


「あなたは多分、それにはまってしまっているんですよ」と男は言った。「しかしそれは誰だって同じです。闇の中でいくら偽物の光を作ってみて、己を騙してみたところで、いずれすべては闇に飲まれていきます。壊れる時なんて一瞬です。誰もが闇の中に飲まれないように、怯えながら思考と閉ざすのです。あなたの孤島にしても、あなたが失った物にしても、そしてこれからあなたが頼りにしていこうとする物も。すべて同じです。そしてそれは、誰にしてもです。あなたにはいつでも暗闇がつきまとっていて、その暗闇があなたからすべてをはぎ取ろうとします。いくら何かで着飾ったとしても。


 私はですね、何も高説を垂れようってわけじゃないんです。でもね澤村さん、私はね、人生っていうものは年をとるにつれていろんな事に気付いていく物なんじゃないかって思うんですよ。そして、それはある時から失っていく事ばかりに変わっていく。大人になるって事は結局、無くなっていくものに対して、どう折り合いをつけるかって事でもあると思うんですよ。これは年寄りが愚痴っていると思ってください」


 そう言って男は水を飲んだ。


「すみません、あなたは本当に、俺をあなたの言うところのコミュニティに入れたいんですか。どうも違うような気がします。あなたは以前、俺を幹部候補として取りたいと言っていた。でも、あなたの口ぶりを聞いていると、俺をそのコミュニティから遠ざけてしまいたいという風に見えるんですよ」


「そうですね、澤村さんの言うとおり、その通りなのかもしれません。以前も言いました通り、私共は枠の働かない方に対して、どうぞこんな枠もありますよと手を差しのばします。そしてその差しのばした手を掴むと、言い方は悪いですが、私共はその方の視界を奪います、奪われている事すら感じさせないように。そして、私自身、その事実を知ってなお、ある時自分の視力を無理にでも奪ってしまい、枠を作る事にしています。でも、あなたはそれ以外の可能性もあるのではないか、私はそう思うのですよ。あなたを私共の孤島に入れるには勿体ないと思ったんですよ。誤解しないでいただきたいのですが、この勿体ないというのは純粋に私からみた時に、あなたの可能性を潰してしまわないようにという意味での勿体無い、という事なんですよ。澤村さんは、何も考えないでいい、非常に多くの特別なうちの一つにするには、勿体ないんですよ」


 そう言って男は水を飲んだ。まるで自分の中の虚を埋めるように。


「あなたの言っている事が、どういう事なのかよくわからないです」


 と澤村は言った。


「それに、すべてが無で、すべてが闇に飲み込まれるのなら、一体俺はどうすればいいんですか」


「孤島を信じるのです。あなたの孤島を」と男は言った。


「孤島なんて」


「あなたは自分の孤島を捨てるべきではない。壊れるものかもしれない。でも、それは信じるに値する物だと思います。私はね、澤村さん。私も、かつては澤村さんと同じような事をやっていたんです。私のはもうぼろぼろで、いつ見ても不格好なそれに、私は何度泣かされた事か。もう嫌で嫌で仕方がなくてですね、結局私はそれを書く事を辞めて、今のコミュニティの中に入りました。でも、私は自分が自分の枠を捨てた事をある意味においては後悔しています。後悔しながら、自分の今の枠を受容するしかなかった事を肯定しています。でも、あなたならもしかしたら、という考えがあるのです。これは私があなたに対してかける勝手な可能性を期待しているだけなのかもしれません。すみませんね、こんな話をして」


 店を出て、澤村は彼と握手をした。彼の不格好さは、今ではもう苦にはならなかった。彼はその選択をしたのだ。


「それでも、あなたはその今の枠を使う事で自分を保っていられている」と澤村は言った。


「たとえ不恰好でも。でも、そうですね。そう言われると、救われますよ。では、澤村さん、これっきりです。さようなら」


「さようなら」と澤村は言った。そして男と彼は別れた。別れた後で、彼は男の名前を最後まで聞かなかった事に気づいた。







 家に帰ると、光が出迎えてくれた。彼女は心配そうな表情をしていた。大丈夫だよ、と澤村は伝える。


「あの人は誰?」


「前に言っていた人」と澤村は答えた。そして、すべてを説明した。


「でも、どうしてそのコミュニティは人を増やそうとしているんだろう」と光は聞いた。


「以前、その事を聞いた事がある。彼は少し迷いながら、感動を共有する為、と言っていた。でも多分、本当はそうじゃない。彼らはおそらくだけど、人を集める事によって、今よりより強固な枠を作ろうとしていたんだと思う」


「枠を強化する」と光は聞いた。


「うん。土台のしっかりとしていない塔を、維持して作り続ける為に、その傷を埋める為の壁の魔法。人が増える為に、隙間をなくそうとしていた。彼らは人を集めて、何も見ないようにしようとしていたんじゃないかと思う」


「枠、って何?」


「暗闇に対抗する為のものだよ」


 と澤村は言って、説明をした。その暗闇にとらわれている事、悩まされ続けている事。シキの言う、大きな枠の中に、今も囚われ続けている事。光はそれを聞いていた。なんとなくだけどわかった、と彼女は言った。


「彼らは同一の枠を与える事できっと、彼らの暗闇に対抗する力を作っているんだと思う。でもそれはそれで正しい事なのかもしれない」


「わかる気がする」と光は言った。


「そう?」


「うん、私は一人の枠でしかなかったけど、博士から、サクという名前を貰って、シキのエネルギーを壊すという目的を貰っていた。そうしてその枠を持っている事で、辛い事ばかりの中でも、私は私で有り続ける事が出来た。でも、そこからその名前と目的を置いて出てきて、別の暗闇の中に入った時、私はどうすればいいのかわからなくて、その暗闇の中で潰されそうだった。泣き続けてきたある日、にひとがあたしに光って名前をくれた。それはあたしみたいな人間にとって、生きる為には絶対的に必要な事なんだ」


「だとしたら、俺にも必要なのかもしれないな」


「にひとにはあるじゃない」


「何が?」


「孤島」と光は言った。「以前、シキに言っていた」


「もうないよ。孤島なんてものはないんだ」


「どうしてそんな事を言うの」


「俺はね、光、俺は今まで、孤島で自分が救われると信じていた。孤島に行くことで、すべてが救われると思っていた。でもね、本当は全部そう思い込んでいただけで、とても痛かったんだよ。耐えられるなんて全部嘘だ。本当は辛かったけど、ずっとそれを耐えられると、孤島がありもしない事だってわかっていながら、それを思い込む事で見ないフリをしてきたんだ。孤島へ伸びる塔が完成した時、すべてが報われると思ってた。でも、そんな事はあるはずないんだって事も、ほんとはずっとわかっていたんだ。その事を眼前に突きつけられた時、俺は本当の孤島を手放していたんだ。俺の今の枠は、光、お前だよ。お前がいるから俺は生きられる」


「確かに、あたしはにひとの言う枠のうちの一つなのかもしれない。でも、あたしはきっと、その場の、一時凌ぎの光にしかなれないよ。あたしは澤村にとって、装飾品にしかなれなくて、いつかはいなくなる。一緒にいられない時だってある。その時、にひとは弱くなってしまう。にひとはにひとの心の中に、孤島を持つべきなんだと思う」


「俺にあのコミュニティへ行けっていうのか」


「違う。にひとは、にひとだけの孤島を持つべきだって言ってる。孤島を諦めてはいけない。孤島を信じる事を、孤島を作り続ける事を。にひとのイマジネーションを潰してはいけない。奪われてもいけない。にひとは孤島を作り続ける事が必要なんだ。にひとは作る人だから」


「俺は、もう孤島の事なんて考えていない」


「それは嘘。多分、澤村は孤島を求めてる。孤島の事を考えている」


「そんなことはない」


「嘘、あたしにはわかる。ねぇ、にひと」


 そう言って、光は澤村の頬に手を当てた。


「にひとは大きな暗闇の中から出なきゃいけない。その為には、にひとが言っていた、あの小さな暗闇の中に入らなきゃいけない。その時、あたしは見えなくなるはずなの。その時は、孤島の事を信じて。そして、あたしの名前を呼んで。あたしがその暗闇の中で、あたしである事を確認できるように。きちんと戦う為に」


「戦う?」


「枠から出るんでしょ。枠から出る為には、枠をぶち壊さなければならないでしょ」と光は言った。


「たとえ、光の名前を呼んでも、光はわかるかな?」


「わかるよ。たとえそれが偽名だって思ったとしても。あたしの名前は光。あたしはそれが嘘だってわかっている。でも、それでもあたしは光。それはあたしがあたしだという事、あたしにとっての孤島のようなもの。信じれば真実になる。きっと、冷たくても、冷たくなくても、神はそこにいる。そう思う事が必要なんじゃないかな」


 暗闇の中ではそれも壊れるかもしれない。


 その時は、笑って諦めるしかないんじゃないかな。きっと、暗闇を壊す事は出来ないんだから。


「ねぇ、こんな話をしてるけど、シキを恨まないで欲しいんだ」と光は言った。「シキはにひとを暗闇の中に入れたのかもしれない。でもシキを恨まないで。それはきっと、にひとにとって必要な闇なんだと思う。それを抜ける必要がにひとにはあって、それを抜けた先で、にひとは何かを得る事になるんだと思う」


「わかるよ」と澤村は言った。「暗闇の中から、俺は何かを見つけなきゃいけなかったんだ。だからきっと俺は、暗闇に惹かれるんだと思う。でも多分それに、上手く対処出来ないだけなんだ」


「そうだね、もしかしたら、暗闇から出る時に、にひとは大切な何かを失うかもしれない。でも、覚えて置いて。にひとには、孤島がある。にひとは、何もなくなったりしないって」


「わかった」と澤村は言った。


「じゃあ、枠を壊しにいこう」と光は言った。「さっさと終わらせよう」




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