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 澤村が家に帰ったのは深夜も三時近くになってはいた。そのような時間にも関わらず、家の灯りはついており、居間ではシキとサクがテレビを見ながら何かしらの談笑をしているようだった。二人共風呂に入った後のようで、寝巻きを着ていた。寝巻きを着ると一卵性双生児なだけあって、彼女達はどちらがどちらなのか、なかなか見分ける事が出来なかった。


 澤村は二人に、先程起こった事を簡潔に説明をした。コミュニティの事、シキの持つ特殊なエネルギーについて欲しがっているという事。もし手に入れられないとしても、他の集団の手に渡らない事を望んでいるという事。その為であるならば、強硬手段に出る事を厭わず、彼女は自発的に死ぬのを望んでいると言った。


 澤村が話している間、そして話し終えてからもシキはだまり続け、何かを考えているようだった。


「やはりいるのか」と黙るシキの様子をみながら、サクは言った。


「みたいだね」


「あたしは、絶対にシキを渡してはいけないと思う」とサクは言った。「たとえそれがどんな団体であったとしても。博士はそんな物を望んでいない。強大すぎる力はたとえどんな団体だったとしても、異常すぎる力を持つことになる」


「なら、どうするんだ」と澤村はサクを見た。


 サクはそれに答えず、シキを見た。シキの意思が必要だった。シキは暫く黙っていた。しかし彼女は言わなければいけないようだった。


「シキ」とサクは言った。


「少し、考えてもいいかな」とシキは言った。




 澤村とサクは深夜、部屋にこもってしまったシキが心配で居間にいた。彼女が居間に降りてきたのはそれから一時間ほどしてからだった。シキは少し泣いたのかもしれない、少し目が赤くなっていた。


「私、思うんですね」とシキは重い口調で話しだした。「世界って、機械の、例えば時計の一部分のような物じゃないかって。その中に入っている部品っていうのは、すべて必要な物で、そのどれか一つが壊れても機能できなくなる。端から端まですべての部品が相互に絡み合っている。それは壊れていく部品っていうものもある。それが必要だからです。時には死んでしまう事も、その部品の一つとしての正常な役割を果たす為には必要なのではないかって。サクちゃんの言う通り、私が狙われる事で、他に迷惑がかかるかもしれない。人は生きる限り一人ではいない。一人では生きられない。だったら仕方がないけど、やるしかないと思うの」


「そんな事はない」と澤村は言った。「君は逃げるべきだ、俺も手伝う。なんだったら俺も一緒に行ってもいい」


「無理だと思う」とシキは言った。「澤村さんは澤村さんの人生がある。しばらくは大丈夫だとしても、そんな風な生活を続ける事は出来ない。私達は歳をとる事になる、そうなったら生活ができるわけじゃない。きちんと留まっている必要がある。いつまでも私達は子供じゃいられない」


 澤村はその事について少しだけ考えて、考えないようにした。


 いったいいつまでこの生活を続ける事が出来るのだろう、と時々澤村は思う事があった。アルバイトで稼げる給料などたかが知れている、それに、たとえ今は大丈夫だとしても、アルバイトに入れる時間は、年齢を経ると共に減っていくだろう。そのとき俺は今と同じような生活が出来るだけの余裕があるだろうか、ただでさえ今は苦しい生活を強いられているというのに、という不安があった。ただでさえ今がそのような状態であり、家賃の事を考えずにそれなのだ。より大変な事になるのは目に見えていた。


「それでも、俺はこんなどうでもない人生を送っている人間だ。今更少しおかしくなったところで、どうって事はない」


 サクはそれを黙って聞いていた。口を挟まないようにしているようだった。


「それでも、私ですね」


「うん」


「暗いところに行くのが本当に怖い。死んだらどこへ行くんだろう。本当に怖い。自分がこれから暗い場所へ行くのが怖い。何もかもがなくなるのが怖い」


 言い切ると、シキは嗚咽をあげながら泣き出した。澤村はそれを黙って聞いていた。サクも目を伏せていた。


「……死んだら、孤島に行くと思っている」とやがて、澤村は彼女を慰める為に言った。


「孤島?」とシキは弱々しい声で尋ねた。


「そう、孤島。昔からそう思っているんだ。それは例えば、天国のようなもので、そこには何も不自由な物がない。だから今がどんなに辛くても、大丈夫だって。だから、その、死ぬっていうのは、それに向かう事だって。だから、どんなに今がつらくても、すべてが孤島に行く過程でしかないと思えば、どんなに辛いと思えるような事でも耐えられる。つまり、シキが今言った時計の一部分としての物もきっと、それに繋がっているんじゃないのかって、俺は思う」


「……それ、本当に言っているんですか?」


 そう言って、シキは澤村の目を見た。澤村はその言葉への返答に詰まった。シキの目は澤村の孤島に対する不信を見透かしているように思えた。


「私ですね、澤村さんと会う少し前、何も食べられない日が続いた時、空腹で堪らなくなったんですよ。数日間ほとんど食べられなくって、体の中に何も入っていなくって、力が全然入らなくって、空腹で空腹で空腹でたまらなくなってしまって、それ以外の事を何も考えられなくなってしまったんです。お腹が空いた事以外何も考えられなくなって、何もなくなってしまった体の中から、何かをたべろと命令するかのように、感情をすべて支配してしまったんですよ。なんとしてもお腹の中を埋めろって。多分私もその時、大きな暗闇の中に入ってしまったんだと思います。その時、すれ違った人を見て思ってしまったんです。そうだ、この人から奪っても別にいいんだって。その後の事なんてどうでもいい、とにかく、自分の空腹を埋める為にはそれを行わなければならないと。それで、あの日、夜になってから金属バットを持って出かけました。それが澤村さんでした。……でも、孤島、か。そうですね。確かに、そう考えたら少しはマシになれるかもしれないですね。救われるかもしれないですね」




 飢餓の感覚、その感覚は、澤村自身にも経験がある物だった。彼の場合、それが単純に、食事ではなく水分不足、という事であったのだが。彼は期せず一人暮らしを始めてすぐ、脱水症状を起こした。数日間程なら食事を摂らずとも耐えられるという思いが引き起こしたのだった。それがどうだったのかはさしたる問題ではない。問題なのは、彼の容器からすべての水分がなくなり、体水をひどく欲していたという事だった。体の中がその不足を埋めたがっていた。埋めなければいけないという感情が精神すべてを支配して、それ以外のすべてが考えられなくなる。考えのすべてが肉体の苦痛に支配されてしまう。


 精神が容器であるはずのそれの中に密接に結びついているという事。自分の中の水は自分の物ではないという事。水はどれほどとっても自分の物ではないという事。その時自分は孤島の事を思えなかったのではないか。その時孤島は何の役にも立たなかったのではないのか。




 その日、澤村とシキは一緒の布団に入って眠る事にした。シキは努めて普段通りに振舞おうとしていた。しかし、その奥にある物が怖くて仕方がないのがわかっていた。


「何か話して欲しいです」とシキは言った。


「何を話そう」


「なんでも。澤村さんの両親の話とかは?」


「それはしたくないんだ。枠の外の話なんだ」


「そっか、じゃあ、孤島ってどんな物?」


「わからない。自分の好きなところ」と澤村は言った。「自分の理想を思い浮かべればいいと思う。それは自分だけの孤島だ。自由に作ればいいと思う」


「忘れてしまったら、私はその孤島をどこに残せばいい?」


「さぁ、紙にでも書いてもいいし、絵で表してもいいと思う。粘土でこねてもいいし、表現しなくてもいい。ただ単純に、孤島があるだけで」と澤村は言った。しかし自分の言に確信を持てないでいた。


「そっか、じゃあ、今ここで澤村さんに言ってもいい?」


「うん、いいよ」と澤村は言った。


「そうですね、食事は……きちんととれると嬉しいですね。贅沢ではないにせよ、きちんと食べれるくらいには。服は……そんなに気にしないですね、うん。そんなに贅沢な生活がしたいわけじゃないから。あ、でも、テレビは見たいです。それで、そこでは……澤村さんがいて、サクちゃんがいて。そうですねー、たまーにアルバイトをして、それで、一緒にご飯を食べて、テレビを見て、買い物にいったりして、時々、図書館にも行って……」


 彼女はそれ以上何も言えなくなっていた。嗚咽がしばらく続いた。吐息が澤村の胸に息がかかった。


「ねぇ、澤村さん」としばらくしてシキは言った。


「何?」


「にひとさん、って呼んでもいいですか?」と聞いた。


「のりひとだよ」と澤村は訂正した。「それに、名前では呼ばれたくないんだ」


「いいじゃないですか、呼びやすいですし。例えばジョン、って呼ぶよりいいでしょう」そう言ってシキは澤村の胸に顔を埋めた。「にひとさん。どうして名前で呼ばれたくないんですか?」


「その話もしたくない」


「ねぇ、にひとさん」


 澤村はその名前で呼んで欲しくないと思った。しかしシキは澤村の事をその名前で呼び続けた。澤村はその名前の受け入れを拒否しながらも、シキの相手をしていた。


「何?」


「にひとさん」


 シキは泣いているように思えた。澤村は頭を撫でていた。


「にひとさん、私、凄く怖い。にひとさん」


 彼女は泣き出していた。ぎゅっと彼女は俺の背中に爪を立てていた。跡が残りそうな痛みだったが、沢村は我慢をした。二人はそのあと取り留めのない話をしていたが、気づけば二人ともいつの間にか眠っていた。



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