安いもんだ、そんくらい。
「ここって本当に廃工場なのか? さっきから同じ所グルグル走ってるだけみてえだが」
左右に枝分かれした真っ直ぐ奥へと続く道、確かに進んでいる様に見えて、同じ光景の繰り返しを、ただひたすらに行き来している様に思った禊は、この廃工場の何かが可笑しいと感じた。
例えるならば迷路。焦燥感と疲労感がジワジワと背中に忍び寄る。それもそのはず、禊の体からは完全に人臓発現の効力は切れ、常人の五感と体力に戻っていた。
「これは、魔術による幻覚なのか? それとも、人為的な何かなのか?」
走っていた足を一度止め考える。すると、ウェストホルダーの中から試験管を二本取り出し、目の前に分かれた二本の通路に同時に投げ込んだ。
その瞬間、投げ込まれた試験管が、奥の方で大爆発を起こした。モクモクと広がる煙を一気に風圧がふっ飛ばし、その先に立つ二人の男女を露わにする。
「随分と手の込んだ手品を仕込んでくれたもんだな」
その一人は金髪を獅子の様に逆立たせ、鋭い刃を彷彿とさせる紅い眼光を向ける貴公子風の美青年。その隣に立つのは、ブロンド髪を無造作に垂らした女性。微かに記憶に残るその汚れた服は、当人の部屋で襲撃者に襲われた際、咄嗟に投げ渡した服と同一だ。
「探したぜ、ヴァーリ……」
「……なんで、嘘……本当に、本当に来るなんて……」
血色の悪い肌をしたヴァーリは、よろめく体に鞭を打ち、必死に声を絞り出す。
すでにハイトーンの澄んだ凛声は掠れ、声を聞くだけでも心が痛い。
「来るに決まってんだろ、一緒に帰るぞ!」
涙を流し、嗚咽を漏らすヴァーリと話をしていると、青年の声が割って入ってきた。
「おい貴様、誰に許可なく我が妻と会話をしている!」
『あ?』と苛立ちを見せながら、金髪の男に視線を飛ばす。その男は、雰囲気一つですぐに分かる。強さと野蛮さを秘め、野獣の仮面を被った、今回の事件の首謀者、その息子。
「ああ、気付くのが遅れたわ。てめえがイグニース・フェルナンデスか」
「フン、だったらなんだ。それを知って俺に挑む気か?」
イグニースが明らかな殺意を向けてくる。そして、殺す事への躊躇を持たないその声色は、率直にこれから訪れる『死』を感じさせていた。
「なあ、そういえばアンタのペットだったか? 人造人形。中々いい肩慣らしだったが、御主人の方は、一体どれくらいなんだ?」
余裕綽綽といった禊は、ニタリ顔でイグニースを挑発して見せる。一方で、そんな挑発を受けたイグニースの表情はというと、まさかの顔面蒼白。
「人造人形を、倒した? 何をバカな事を。試用運転では中級魔術師三人を圧殺したほどの力を持っているんだぞ! それを止めただと?」
「確かに耐久性はあったが、遅すぎる。力任せなのが致命的だったな」
時間が惜しいとばかりに、禊が身構える。その刹那、先程までの威厳を見せたイグニースは急に弱腰となって、隣に立つヴァーリを突き出した。
「は、早くアイツを殺せ! 家族がどうなってもいいのか!」
「……っく!」
ヴァーリが苦い表情のまま、渡されたサーベルを手に取り禊に向けた。だが、禊は顔色一つ変えず、ウェストホルダーに手を伸ばす。いつもならば、すぐに人造発現を打ち込む所だが、今回ばかりは打ち込む事はせず、そのままヴァーリへと接近した。
そしてヴァーリの間合いに入った瞬間、その鬼気迫る神速剣技が火を吹き出す。
「ぜああああああああああ!」
ヴァーリの肘からサーベルまでが残像に消える。目にも止まらぬ斬撃の嵐が禊を襲う。
カマイタチの如き裂傷が、一瞬の内に一〇、二〇と無数に禊の体へ刻まれていく。
迫りくる曲刀に、為す術無く禊の肉が裂かれ、鮮血が飛び散る。しかし、切られ続けていく体とは比例する様に、禊の瞳はその意志を、輝きを、強めていった。
「倒れろ、倒れろ、倒れろ……頼むから、頼むから倒れてくれ!」
命懸け、人質に取られた家族を守る為、死に物狂いでサーベルを振り抜くヴァーリは、涙を流しながら叫んでいた。
「私は、愛莉栖殿に守ってもらった……助けてもらった。この身を……この心を、なのに……その主人である禊を殺しては、合わせる顔も……生きる資格も無くなってしまう!」
それは真っ直ぐな心の叫び。嗄れた喉で振り絞った精一杯の心の叫びだった。
「気にするな……俺の事なんかより、自分の事だけ心配しろ」
振り抜くサーベルの剣身にはべったりとした血が、おびただしいほど塗りたくられていく。だが、禊には見えていた。刀が震えている事に。力の籠っていない一振り一振りは、例え修練された剣士と言えど、覚悟を決めた弱者を殺すことは出来ない。
「……っう、ひっぐ……すまん、すまん」
泣き、訴えるヴァーリの斬撃速度が低下する。離れた所では、イグニースが再び威勢を取り戻し、高笑いを決め込んでいた。
「はーはっはっは、いいぞいいぞ! そのまま殺してしまえ!」
浮かれているその目に、もはや危機感など無かった。
「禊、禊……私は、私は……」
「ああ、分かっている。来い、ここに突き刺せ」
もう避ける必要もない程のか弱い振り抜き。それは腕や握る手どころか、足や腰にも力の通っていない素人以下の振り抜きだった。
もうヴァーリ自身の体力も、精神も限界の様だ。その事を感じ取った禊は、ヴァーリの眼前に仁王立ちすると、左手の親指を胸にトントンと当て、狙えと促した。
「……出来ない、出来ないよ……そんな事」
「大丈夫、ヴァーリなら出来る。安いモンだ、そんくらい」
両手で握るサーベルをカタカタと鳴らしながら、少しずつ狙いをその指元に近づける。
「やれ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ、その減らず口を黙らせろおおおおお!」
「うわああああああああああ!」
イグニースの狂乱と、ヴァーリの絶叫が重なった。その時、禊の胸をサーベルが貫いたのだった。
「いやあああああああああああ!」




