商業都市で楽しい思い出を
翌朝の五時。
俊和は身支度を整え、二号室の扉をノックした。
「ミリアナ、起きていますか?」
「───」
「寝ていますね。
今日は起きるまで待ちますか」
俊和は外に出てから近くの店で朝食を済ませ、ジャスミンティーを飲んでる間に情報収集をしておく。
「最近のイルフィンザールは物騒なんだよ」
「それは、いつぐらいから?」
俊和が店主に尋ねると、店主は五分程で思い出して俊和に教えた。
「確か、七年前ぐらいだったかな。
イルフィンザールの管理者が変わった所為で、治安が悪くなったんだ」
「七年前、ですか」
「まあ、経済が活性化して売上は前より上がっているから文句を言う度胸がある奴はいないんだけどな。
そういえば、お客さん。
あの白髪の女の子は?」
「まだ寝ていますよ。
彼女は朝に弱いので」
「なるほどね〜。
ベアで働いていた時の嬢ちゃんは可愛かったな。
あの嬢ちゃんはあんたの嫁さん?」
店主のスキンヘッドの男は俊和を羨ましそうに見るが、俊和は首を横に振る。
「いえ、違いますよ。
私と彼女の関係は未成年と未成年後見人、ですね。
血の繋がりはありませんよ」
「未成年後見人か〜!
羨ましいな、結婚出来るじゃねぇか」
店主は俊和の肩を叩いて豪笑し、俊和は首を横に振った。
「結婚はミリアナ次第ですよ。
彼女自身が本気で惚れた相手なら問題ないと思います」
「つまらない奴だな。
そこは、自分の嫁にする! ってぐらいの意気込みじゃなきゃ」
「なるほど、考えておきますね」
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それから一時間後。
俊和が二号室の扉をノックすると、着替えを済ませたミリアナが部屋から出てきた。
「俊和さん、おはようございます」
「おはようございます、ミリアナ。
明日は帰りますから、行きたい店はありますか?」
「出来れば、大きな本屋さんに行きたいです!
この本の新刊の発売日が今日なので」
ミリアナが一度部屋に戻って同年代で人気の高い恋愛小説を俊和に渡し、俊和が簡単に数ページを読んで内容を理解した。
「中身は王女と騎士の恋愛、ですか」
「そうなんですよ!
セリーナちゃんの気持ちに共感できて、凄く切ない気持ちになるんです………!」
俊和に話しながらミリアナの目が若干潤んでいる。
渡された一巻は悲しいエピソードが多く、思い出して泣きそうになったのかもしれない、と俊和は納得した。
「なるほど。
本屋は十時頃開店らしいので、今日は天使の家に行ってみますか?」
「それって、で………」
「どう捉えても構いませんよ」
俊和が微笑し、ミリアナが顔を赤くして俯いた。
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数時間後。
馬車を使って俊和達は大陸トップシェアを占めるデパート・天使の家にいた。
「うわ〜! 凄く広いですね」
「天使の家はエルフィン=ハリクード創業の店で、商品の数は七千万を超えると言われています」
「な、七千万ですか!?」
ミリアナが想像していた量を上回り、ミリアナが目を輝かせる。
「七千万以上ということは、管理が難しそうですね」
「いえ、そういう訳でもありません。
食材、衣類、生活用品などでスタッフが割り振られていますから、実際に担当している商品の数は少ないそうですよ」
天使の家では従業員の数が多い為、休日は客と従業員で混雑する。
小さな子供がはぐれてしまうことも、少なくない。
「あの、俊和さん。
天使の家にいる間だけで構わないので手、繋いで貰っても良いですか?」
「構いませんよ。
さ、行きましょうか」
俊和はミリアナが好きな小説の登場人物の真似をしてミリアナの左手を握り、ミリアナは嬉しさと気恥ずかしさの入り混じったような顔で頷いた。
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それから俊和は一階の食料品売り場で生活必需品をまとめ買いし、水晶で自宅に送る。
「そういえば、水晶は高価な物だと思うのですが、俊和さんは何故そんなにお持ちなのですか?」
「仕事で無償で支給された分をほとんど使用しないので結構余ってしまいます。
それに、雇い主は余りは貰って良いという剛毅な性格の方ですから」
というより、雇い主の少女が単に余りを回収するのが面倒だから貰っていいと決めた。
「俊和さん、十時ぐらいになったと思うので本屋に行きませんか?」
「そうですね。
そろそろ行きましょうか」
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ミリアナが好きな恋愛小説は本当に人気のようで、五階の書籍フロアが営業を始めた瞬間に恋愛小説を手に入れようと沢山の女性が恋愛小説のコーナーにごった返していた。
「と、取れない………!」
ミリアナは女性達に混ざって手を伸ばそうとしても、体格が大柄な女性に妨害されてしまう。
涙目になっているミリアナを安心させる為に俊和は恋愛小説を手に入れることにした。
「ミリアナ、私にお任せを。
一冊だけですよね?」
「俊和さん、お願いします!」
ミリアナに頼まれた俊和は女性達の僅かな隙間をぬっていき、気づかれないように積み上げられた本の山から一冊を抜き取り、すぐに会計を済ませてミリアナの元に戻った。
「凄い…………!」
「なるほど、今回は特典が付属するようですね」
会計で支払いを済ませた時に渡されたメモ帳を見て、俊和は一人で頷いた。
「それにしても、これほどまでに人気のある小説だとは思いませんでした。
ミリアナは一巻の初版本を持っているのですか?」
「はい!
私は発売日に予約をしていましたので、一巻から最新巻まで全て初版本です」
(オークションに出品したら、ある程度の収入は期待できそうですね。
万が一の時は、視野に入れるとしましょう)
俊和は手帳にメモし、昼食は一階のフードコートを利用することにした。
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天使の家はフードコートが一番混雑していて、俊和達が昼食を食べ始めたのは一時を過ぎていた。
「俊和さんが食べているミンク海老を乗せた細くて灰色の麺が入っている料理は何ですか?」
「天麩羅蕎麦です。
味見してみますか?」
「じゃあ、少しだけ食べてみます」
俊和はミリアナの為に薬味を抜き、つゆに浸してミリアナの口に運ぶ。
「初めて食べてみましたが、独特の食感です。
何というか、喉ごしが良いって言うべきなのでしょうか、まだ上手く表現できません」
ミリアナは自分の知識不足に落ち込むが、俊和に手渡されたクレープを見て涎が出てしまいそうになる。
「ミリアナはクレープ一つで大丈夫ですか?」
「私は特に問題はないですよ。
昨日は、その………」
ミリアナが言いづらそうに口籠り、俊和は察して謝った。
「すみません。
好きに食べて下さい」
「い、いえ!
俊和さんが謝る必要はないですよ。
蕎麦を貰ったので、クレープはどうですか?」
「では、お言葉に甘えて」
俊和はクレープを少し食べると、味の感想を手帳に書き始めた。
「俊和さん?」
「上司がクレープに目がないので、初めて食べた店のクレープの感想と値段、場所を書いて渡しているんですよ」
キリカはクレープが好きで、本命の仕事と一緒にクレープの情報を集めて欲しいと俊和に毎回頼んでいる。
俊和もタダで水晶を貰っている為、文句を言う気はない。
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昼食を二人共済ませ、天使の家の外に出たタイミングで不審な挙動を見せる怪しい男が俊和達と入れ替わりで入っていったのを見て、俊和は携帯電話で軍に連絡を入れた。
「………という訳で、勘違いなら申し訳ありません」
『いえ、貴方が目撃した人物の特徴がかなり一致した犯罪者がいましたので、貴方は早めにそこから離れて下さい』
「了解しました。
それでは」
俊和は電話を終え、ミリアナの手を握る。
「と、俊和さん!?」
「ここは危険です。
今日の予定を変更して、今すぐユーグリス村に戻りますよ」
俊和は黒と白の水晶を破壊して、ミリアナと一緒に転移した。